ア・ルース・ボーイ | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。


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ア・ルース・ボーイ (新潮文庫)/佐伯 一麦



第4回三島由紀夫賞受賞作品。


第16回三島由紀夫賞受賞作品である、

「阿修羅ガール」(参考記事→ 2008.4.9「阿修羅ガール」 )に衝撃を受け、

引き続き三島由紀夫賞受賞作品を読んでみた。


「阿修羅ガール」に比べれば,15年前ということもあり,文章がぶっとんでる,とか

そういった作品ではなく,普通の文学作品であった。



進学校の高校生だったアキラ(中退)には,幼い頃,トラウマになる出来事がいくつもあった。

幼い頃の性的虐待,高校の教師の窮屈さ,母親との不仲。

自分は自分の力だけで生きていく,と幼いながらに決めたアキラは,高校を辞めることを決意する。

そして恋人の幹のお腹には赤ちゃんができ,

彼女は彼女で,未婚の母になることを決意する。


と,まあ,出だしからお腹いっぱい。

めまいがするほど未来が暗くて暗い話である。


そんな中でも,アキラは幹を心の底から愛していて,赤ちゃんも深く深く愛していた。

父親ではないのに(幹とそういう行為をしていない),

赤ちゃんの顔を見る度に,父親としての自覚を深めていく,

そのアキラの姿は不思議でもあり温かい。



この話は,過去の自分を今の自分が乗り越えていく,これが根幹であると思う。

今の自分に重くのしかかる過去の自分(に起きた不幸な出来事)。


今のアキラが,突然5歳のアキラになったりするので,読者は不意打ちをくらう。

なんとなく流し読みなんかした日には,

自分がアキラの時間軸のどこに立っているのか見失ってしまう。


過去のアキラに起きたことは,あまりに重く,あまりにツライ。

自分の子供にこんな事が起きたら,と思うと,外にも出せないかも・・。

ただ,アキラの母は違った。

アキラは母にとってただの邪魔な存在だった。

愛されたことのないアキラだった。


だから。

それを振り払うがごとく,幹に依存し,幹の子供を愛する。

愛される喜びにうちふるえ,そしてその倍以上に幹を愛する。


将来はまるで暗闇だけれど,幹と赤ちゃんがいれば,明るい気がするアキラなのだった。


それでも,赤ちゃんの本当の父親の陰に不安を覚えるアキラ。

いつか二人(幹と赤ちゃん)が,自分のもとからいなくなってしまうんじゃないだろうか?

自分からこの二人を奪われてしまうんじゃないだろうか?

漠然とした不安がいつもアキラを襲っている。


ただただ苦しくて,終始,アキラの将来が案じられてならない小説だった。

でも,まっくらでもない。そこがミソ。

暗くて,上昇する気配すら感じられないアキラの未来。


でも最後のシーン。

アキラは自分の高校の上に立り,過去と今を考えるアキラ。

そしてアキラの友人大山が,非行から立ち直り,大学受験を目指し合格する。

それを心からお祝いするアキラ。

その姿は,こうなんというか,勇ましいというか,

自分の殻をようやく破って一回り大きくなった姿のように感じた。


暗闇の1点の,ひとすじの光。

そういう小説だった。


タイトルの「ルース」は,ルーズで,堕落する,等の意味があるが,

アキラは,「ルース」という単語に「解放された」という意味を発見する。

高校時代,教師が彼を「ア・ルース・フィッシュ(だらしのないやつ)」と揶揄したが,

彼はそれをバネ(?)に,自分を,ルース(解放),と前向きにとらえている。

このタイトルの「ア・ルース・ボーイ」は二つの意味を込めたものだろう。


いい話だったけど,アキラはこれからどうなっちゃうのかなあ。

幹はどうしちゃったのかなあ。


とか色々しばらくもやもやしちゃったなあ。



それにしても,私。

母親との不仲,母親の子への愛情不足,がテーマの話を,

最近,立て続けに読んでいるなあ。

(前回の「ピアノ・サンド」収録の「ブラック・ジャム」もそうだったし・・・。)


子供にとって母親という存在は,いかに大きな影響を及ぼすのかをひしひしと感じる。

それに比べて,これらの作品,父親が出てこないったらありゃしない・・・。

空気に紛れている父親の存在。

(でも気配すら感じられない,というゼロ状態じゃないのがまた読者に陰を落とす・・。)