東山菅塔は五千の兵を進めていた。

地の利はこちらにある。兵の士気も問題なく、数も多い。有利な条件は揃っているが、それに甘んじて慢心する菅塔ではなかった。五千の兵を五つに分割し要所要所に配していく。官軍千騎を率いている雷神は腕自慢の豪傑である。突破力を頼みに進軍して来るだろう。その習性を利用して、必殺の地へ誘い込み挟撃をかける構えである。まず、菅塔自ら千を率いていき雷神の挑発にあたる。

官軍の滞在している古寺が見える場所まで進んだ。敵にも確認できる距離である。四半刻もしない内に出陣してきた。先頭には金色の武者がいる。あれが雷神と見定め、菅塔は軍配を振った。両者は衝突したが菅塔側の旗色は悪かった。


「退け!」


頃合いを見計らって退却を命じた。駆けながら後ろを振り返ると追撃を受けている。狙い通りであった。小さな盆地の中程で菅塔は馬首を返した。その動きに連動して四方に配された伏兵が一斉に歓声を上げた。そして追撃を懸けて来ている官軍の動きが止まった。

勝敗は最後まで分からぬのが戦の常道で在りながら、菅塔は思わずほくそ笑んだ。包囲された官軍は退却せざるを得ない。が、盆地の入り口は土砂で塞いである。既に退路は断ってあるのだ。つまり、彼らには全滅するしか選択肢が残されていない。

次の瞬間、菅塔は驚愕した。一度は動きの止まった官軍が、またこちらに目掛けて突撃を再開したのだ。五千の兵は千づつ分けて、包囲の伏兵に回してある。今、眼前の雷神率いる官軍と自分の部隊の兵力はほぼ互角であった。手勢から怨嗟のの声が漏れている。数と戦略で優位に立っていた筈が、一瞬にして同条件に叩き落とされたのだ。決死の官軍の突撃に対し、虚を突かれた手勢。結果は見えていた。

包囲部隊が到達するまでにはまだ時を要す。頭が白くなった菅塔は満足な指揮もできぬまま部隊は殲滅されたのだった。辛うじて逃げ遂せた菅塔は唇を噛み締めるしかなかった。

気付けばただ一人で山道を駆けていた。ここまで来た過程を思い出せない。程錯乱していたらしい。馬から降りて近くの高所に登り、戦場を見た。広がるのは凄惨な光景。本軍の壊滅により包囲部隊が混乱し勢いづいた官軍に蹂躙され尽くされていた。


(雷神の勇猛振りを見誤った・・・)


そのまま座り込み胡坐をかいた。自分一人だけ生きておめおめ帰れるものではなかった。太刀を抜き腹にあてがった。


「断を下すにはまだ早いのではないか?」


突如、後ろから声を掛けられた。菅塔は振り返り狼狽した。なんと、元京が立っていたのである。


「何故此処に?」


「百戦錬磨の勇将とて、敗けに怯えぬ戦はない。勝敗は兵家の常。敗けを恥じるならばこの先だ。菅塔」


菅塔は思わず額を地面に叩きつけた。瞼から涙が止め処なく、体中が火のように熱い。何か言おうとしたが言葉にならなかった。


「次郎が貴様の対陣中に高宮山に兵を廻した。これで雷神の首が拝めよう」


元京は菅塔の肩を力強く抱いた。

太平道の公言する、生まれながらの身分で一生が決まってしまう今の世に反発し、身分の垣根を取っ払おうとする考えは、苦しい生活を強いられている大衆に支持を受けた。その組織の中枢は、才を持ちながら境遇に恵まれず雄飛の時を得られなあかった武士達が中心に構成されている。そのため、純粋な信仰心から付き従う者達だけではなく、立身の手として便乗している者も混じっているのが実情である。

国を敵に回しての反乱。当然ながら派遣されて来た官軍への対応について、主だった者等が道主・元京の屋敷に集ってきていた。

広間では元京を中心に十人程が左右に分かれている。それに囲まれる様に、岩石の様な男が床に手をついていた。


「此度の一件は、我が手の者の軽挙によるもの。何卒配下の不始末を挽回する機会をお与え下され」


岩の様な男は手をついたまま、元京の返答をまった。


「お待ち下され」


取巻きの一人が割って入った。温厚そうな老人である。


「相手は名うて猛将・雷神で御座る。それがしの見立てでは菅塔殿ではちと役不足と見受けられまするが」


「何と!いくら吉菅殿とて聞き捨てられませんな。何が不足か承りましょう」


菅塔は岩の様な身体を起こし目を剥いて吉菅に喰ってかかった。


「ふむ。菅塔殿は配下の尻拭いのつもりで御座ろうが。この緒戦の重要さはご存じであろうの」


「・・・・・!」


血を昇らせた頭で思案し、直ぐにはっとした。この乱を始めて以来始めて中央から寄せられた征伐軍。日和見の群衆にとっても最も注視すべき重要な局面である。この勝敗が今後の太平道にとって、大きな影響を与えるであろうことに考えが行き着いたのだ。


「む、無論で御座る」


喰いついた手前、直ぐに折れることは感情が許さず苦し紛れに答えた。

ここで、今まで黙っていた元京が扇で床を叩いた。


「よかろう。菅塔にまかせようか。官軍千というがどれだけの兵で打ち破れる?」


「精鋭五千」


官軍の五倍の兵力の要求に周囲はどよめいた。しかし元京は菅塔の算盤の叩き出した答えに満足であった。見栄や外聞で同等の兵力を答申してる様では、この局面は乗り切れない。




皆が退席した後、元京と吉菅だけが残っていた。吉菅は下座に座っていて元京は立って吉菅を通り過ぎ外を眺めている。二人は背を向けあっている形だ。暫く沈黙が続いたが元京が口を開いた。


「憎まれ役をさせてしまったな」


「勿体無い。わしは戦はできませぬ。これくらいしか尽くせることがありませぬ」


「そうか。そちの本懐は国造りにあったな。寄る地が無ければ国は造れぬか」


吉菅は微笑んだ。


「菅塔殿は見かけに寄らず神経が細かい。独断で動いた配下の失態の挽回に執着し心を乱しておりました。平静を取り戻しましたが成し遂げられるでしょうか?」


「元来周到な男だ。十分渡りあえるであろう―――が、不確実なのが戦だ。どれだけ手を尽くしても万全とは云えぬか。」


ひとりごちた元京が思案の途についた時、心地よい風が吹き抜けた。