ボリショイ・バレエ団黄金期築いたユーリー・グリゴロービチさん死去

ユーリー・グリゴローヴィッチ
(1927年1月2日 - 2025年5月19日)
バレエ大国 ロシアにおいて 旧ソ連時代も含めて最高峰のバレエ団
ボリショイ・バレエ団の芸術監督をつとめ、数々の名作を残した 大巨匠。
芸術監督在任中は、バレエ団のレパートリーを自身の振付作品のみで固めて 新作の上演を行わない、など 一部のダンサーたちから不満が噴出して 対立し、
80年代 世界の主要コンクールで優勝しまくっていた 若手時代のニーナ・アナニアシヴィリもなかなか来日公演に帯同させなかったり、と日本のバレエファンをやきもきさせてもいた。
グリゴローヴィッチの “秘蔵っ子” と重宝されていた(と思っていた・・・)イレク・ムハメドフ が 1990年に 英国ロイヤル・バレエ団に 移籍したときは、大丈夫か!? ボリショイ! とかなりぶったまげた。
彼曰く 「来る日も来る日も 『スパルタクス』 ばっかりで もぅ 飽きた」
1990年には ≪ボリショイ劇場グリゴローヴィチ・バレエ団≫ とかいう、平均年齢 22歳の若手バレエ団も設立して、1994年6~7月には日本公演も興行。
ちゃっかり “ボリショイ” なんて名前付いているけど、いわゆる “ボリショイバレエ団” とは全く無関係。
だけど、バレエにあまり詳しくない人たちは ほとんどみんな ボリショイバレエ団の来日公演、あるいは バレエ団の若手ダンサーで編成された公演、なんて思いこんでいたし
何かのインタビューで 「自分はボリショイバレエ団の芸術監督だから問題ない」 みたいなことを回答していたっけ。
すっかり 劇場 というかバレエ団を 私物化 しているようだった。
ロシアでは バレエは国から手厚く保護されている分、政治との関係もズブズブ・・・
その後 バレエ団の芸術監督は何人か入れ替わりしたし、西側の振付家の作品も上演するようになったけど、
やはり グリゴローヴィッチ氏は ボリショイの ドン(親分)。
特に 振付家として 男性ダンサーによる迫力ある群舞のシーンがある振付作品は バレエ史においても画期的だったし、『スパルタクス』にしても 『イワン雷帝』 にしても それらのシーンは ボリショイバレエ団の真骨頂。
舞踊とドラマトゥルギーのせめぎ合いの最たるものだった。
そういえば・・・
子どものころ通っていた バレエ団の教室の創設者の先生が、発表会プログラムの中で グリゴローヴィッチ氏の振付作品やお会いしたときの想い出を綴っていたっけ。
「10年ほど前の冬、モスクワのボリショイ劇場で 『スパルタクス』 をみて、のっけから驚いてしまった。
丁度僕がベートーベンの『第9シンフォニー』を、栃木会館で上演したばかりで、訪ソした時点だったから、余計びっくりしてしまった次第だ。
幕間と同時の、彼等の豪快な、闘いの踊りが、僕の『第9シンフォニー』の最後の歓喜の踊りの振りと殆ど同様だったからだ。
・・・ クラシック・ダンスの常識的な振りならともかく、全くのオリジナルな振付であった中に、僕の様な東洋人の発想が、かいま見られたことの不思議さを、あらてめて、思いかえされたのである。
数年前、ボリショイ・バレエが来演、この『スパルタクス』を上演した時は、僕がもっとも感動した、開幕と同時のあの素晴らしかった、闘いの踊りは、なぜかカットされてあった。」
(1980年5月10日 第37回公演プログラム P.11 「按舞者の独りごと」 ユリス美共)
地元での来日公演(1983年10月5日)の折、楽屋訪問時のエピソード↓
「私共は来意を告げ、グリゴロビィチ氏の著書「BALLET」2冊を示すと「おう!」と驚きの目を輝かせて、さも満足そうにサインをしてくれた。
この本はまだ日本には来ていなかった。
私はこの他に、吾々の訪ソ公演(1981年)の写真やプログラム等を、それに今から61年前い来日した、世界的に著名なバレリーナ、アンナ・パヴロワ・バレエ団の東京・帝国劇場公演の際の写真コピー数葉とその他の資料を持参した。
グリゴロビィチ氏はパヴロワの資料を再参手にとり見ていたが、何やら言いにくそうに「このコピー頂けないでしょうか。」と静かに話しかけて来た。
「これは、差上げるつもりで持参したものです。どうぞ。」グリゴロビィチ氏は晴々とした笑顔で、さっと手を差しのべ「スパシーボ(ありがとう)」と、私の手を強く握りしめて幾度も振った。
何分パヴロワ来日の1922年には、私は19歳だったが、グリゴロビィチ氏はまだ生まれていなかったから、パヴロワの舞台を見ている歴史的人間の私に、いくばくかの興味を覚えたらしい。
パブロワのことを、さらに話し合いたい風情だったが、警備員にせかされて、残念ながら会見は打ち切らざるを得なかった。
ユーリー・グリゴロビィチ氏は最後まで、笑顔をたやさなかった。」
(1984年12月2日 第44回公演プログラム P.11~12 「81才老少年の悲しみと悦び」 ユリス美共)
政治的ないざこざは別として、バレエという舞踊芸術・総合芸術の可能性を広め、昇華させてこられた尽力は相当なものだったのかな、と。
ボリショイ・バレエ団は 今なお グリゴローヴィッチの振付作品を上演し続けているし。
もちろん、バレエ団の力量を多方面から見せてもらえるような レパートリーの拡充やオリジナル作品の上演にも力を注いでほしいけど、これぞ、ボリショイ! と圧倒される氏の作品も遺してはほしい。
ボリショイ劇場の象徴的存在であった振付師
グリゴローヴィチ氏の逝去に寄せて
ロシア国立ボリショイ・バレエ
追悼 ユーリー・グリゴローヴィチ(振付家)



