【2009年12月7日】
今日は 美しい古都、プラハの観光です。私が最も憧れていた都市のひとつ。お天気にも恵まれました。

<世界遺産>
プラハ歴史地区
“百塔の都” “建築博物館の町” “ヨーロッパの魔法の都” “北のローマ” と称される美しい街。
朝、まずは プラハ城から観光スタートです。
大型バスは旧市街の中に入れないので、駐車場から歩いて行きます。
門をくぐると、目の前に聖ヴィート大聖堂のファサードが現れました。
奥行き124m、幅60m、塔の高さ96.6mのゴシック建築。
もとは930年に作られた トランダ (円筒型のシンプルな教会。ロマネスク様式の典型) から始まりました。
14.世紀のカレル4世の時代に現在の形に改築する工事が始められました。
とても堂々とした 荘厳な大聖堂。中に入ります。
大聖堂内部
聖シギスムント礼拝堂
ムハ(ミュシャ)によるステンドグラス「聖キリルと聖メトディウス」
ステンドグラス
ステンドグラスが反射する大聖堂内部
主祭壇
聖ヴァーツラフ礼拝堂
聖ヴィート大聖堂 外観
聖ヴィート大聖堂 後陣 クリスマスツリー
王宮へ入ります。
王宮内部 議会の間
王冠・王妁(複製)
ベラスケス 『フェリペ2世』 (複製画)
もう1度 外へ。
ヴラチスラフ王子の命で建設され、920年に完成した城内最古ロマネスク様式の教会。
火災後1142年に再建。17世紀にバロック式ファサードが加わりました。
教会内部
後陣のヴォールト天井「聖母の戴冠」(16世紀)浮彫フレスコ画
扉の上 聖イジー(聖ジョージ)とドラゴン
黄金小路
プラハ城の城壁に1597年小さな家を並べ、城に使える召使などが住み始めやがてその一角に連金術師たちが住むようになり、この名前がつけられました。
現在は土産物屋が並びます。
マリオネットのお店
プラハはマリオネットの人形劇が盛んです。
ブルタヴァ川にかかるカレル橋を渡って 旧市街へと向かいます。
カレル橋
14世紀から15世紀初頭にかけてカレル4世の時代にゴシック様式で建造された橋。
全長約520m 幅約10m 両脇の欄干に30体の聖人像が並びます。
ブロンズの十字架像(1629年ヒルガー鋳造1657年建立)
プラハ旧市街
旧市庁舎 天文時計
ちょうど お昼時。
時計の上の小さな窓から 聖人たちが順に現れます。
天文時計
上;プラネタリウム(地球を中心に回る太陽と月、その他の天体の動き)
下;カレンダリウム(王道12宮と農村における四季の作業を描いた暦)
プラネタリウムの両脇にある人形;虚栄心・貪欲・死神・異教徒の侵略 の4つの恐怖
カレンダリウムの両脇にある人形;歴史記録者、天使、天文学者、哲学者
9:00~21:00の毎正時 死神が鳴らす鐘の音と共にキリストの十二使徒が順番に現れます。
時計のショーを見た後はお昼。その後、自由行動になります。
昼食レストラン
もう1度 旧市街広場に行ってみました。
1365年に改築されたゴシック様式の教会。15世紀前半には フス派の本拠地として機能していました。
正式名称は “ティーン(税関)の前の聖母マリア教会” 教会裏に税関があったのでその名がついたそうです。
ヤン・フス
15世紀チェコの宗教改革の先駆者。
ローマ教会の堕落を批判した罪で1415年火あぶりの刑に処せられました。
これによりフスの信奉者はフス派を名乗って立ち上がり以後カトリック教会と激しく戦うこととなります。
クリスマスツリーの前に木彫りのクリッペが飾られていました。ほぼ等身大(?)
クリスマスマーケットは この旧市街広場で行われています。
本当は 自由時間は美術館(プラハ美術館かミュシャ美術館)に行きたかったのですが、あいにく月曜日で休館日のため、現地ガイドさんに行き方を教わり、地下鉄とトラムを乗り継いでストラホフ修道院に行くことにしました。
ストラホフ修道院
入口
12世紀中頃に大公ブラチスラフ2世とオロモウク司教の庇護の下に建てられたブレモントレ会の僧院
フレスコ画で埋め尽くされた 『神学の間』 と 『哲学の間』 が見どころです。
残念ながら 『哲学の間』 は修復中でした(しっかり募金箱だけ置いてありましたが・・・)。
帰りは歩いて旧市街まで戻りました。
丘の上からプラハ市街地を一望できます。
途中、マラー・ストラナ(小地区) と呼ばれる プラハ城の足元から南にかけて広がる地域にさしかかりました。
ペスト記念塔
聖ミクラーシュ教会
ボヘミアの反宗教改革の先頭に立つイエズス会が ゴシック式教会の跡地に建てたボヘミアバロック建築の教会。
マラー・ストラナ橋塔
ここから 再びカレル橋を渡ります。
ライトアップされたプラハ城
この旅行の

ショット
川の向こうに浮かび上がったお城とブルタヴァ川の水面に揺れる光がとても幻想的です。
旧市街広場のクリスマスマーケットを散策
ドイツと比べると かなりこじんまりとした、可愛らしいマーケットです。
ただ、グリューワインがプラスチックのカップなのは頂けナイ
あの 町の名前が入った ご当地マグカップを集めるのが楽しみなのにぃ
この後、皆さんと集合して 先ほどのストラホフ修道院の隣にあるレストランにお夕食に行きました。
プラハのビール(黒ビール)、しっかり頂きました
今日の観光はここまで。
想像通り、プラハは魅力的な街です。


プラハの春
1968年旧チェコスロヴァキアで始まった政治改革
1968年1月 保守派のノヴォトニーは共産党第一書記の座を失い、改革派のドゥプチェクが第一書記に就任。
言論の自由をはじめとする様々な権利と自由の獲得の気運が高まりました。
しかし、改革運動が自国に押し寄せることを懸念した旧ソ連、旧東欧諸国は改革運動を非難。
8月21日、ワルシャワ条約機構諸国は改革を阻止するために軍事介入を決行し、旧ソ連がヴァーツラフ広場に戦車を乗入れ、占拠しました(チェコ事件)。
1969年1月16日カレル大学の学生・ヤン・パラフが焼身自殺をもってこれに抗議。
1970年6月ドゥプチェク、チェルニーク等改革派幹部は除名され、プラハの春は終焉しました。

プラハ侵攻の8日間(1968年)
8月20日 ワルシャワ条約機構が、事前通告なしにチェコスロヴァキア国境を越えて侵入。
8月21日 ヴァーツラフ広場、旧市街広場などに市民が集まり始め、プラハの春を主導したドゥプチェク第一書記らが逮捕される。
市民と占領兵が衝突し、17人が死亡。その後も多くの犠牲者が出た。
8月22日 プラハ市民がヴァーツラフ広場で予定していたデモを中止。
8月23日 チェコスロヴァキア全土で占領に反対するゼネストを実施。
スヴォボダ大統領がモスクワでソ連代表と交渉を開始。
8月26日 メディアの統制、改革派の更迭などが盛り込まれた「モスクワ議定書」が署名される。
8月27日 モスクワで交渉していた政府関係者が帰国。

プラハの春音楽祭
毎年春に開催される国際音楽祭。1946年に第1回の音楽祭が開催されました。
毎回、スメタナの命日である5月12日に代表作「わが祖国」の演奏で開幕します。
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