青森県立美術館 鑑賞後、すぐ近くにある 三内丸山遺跡 へ行ってみました。
遺跡自体の存在は 江戸時代の頃からすでに知られていたそうです。
その当時の文献にも記述があり、土偶などの遺跡もよく発掘されていた、と。
本格的な発掘調査は 1992年、県営野球場を建設するにあたってからのこと。
すると そこが かなり大規模な集落であったことが分かり、すでに 始まっていた野球場建設を中止し、遺跡として保存することにしたそうです。
ちょうど 14時からのガイドツアー(無料)に参加できました。
広大な平原に 復元された竪穴式住居が点在しています。
柱の跡を参考に、専門家の監修のもと 復元されたそうです。
竪穴建物跡
竪穴建物跡(内部)
6畳ほどの広さ。
縄文人の平均寿命は 30~35才くらい。なので、ほとんどが 親と子だけの核家族だったと推測されます。
縄文時代は 嫁姑問題などはなかったのかも!?
生活は 狩猟・漁猟が主だった、と。
掘立柱建物
貯蔵庫や 他の集落から訪れた人々の宿泊所として使われていたのではないか、とのことです。
ちゃんと 柱も屋根もあり “家” の形をしてしまいます。
すでにこの時代から “軸組工法” の基礎が成り立っていたのでしょうか。
三内丸山遺跡のシンボル、大型掘立柱建物 が見えてきました。
この建物の使用目的には学者によって <諸説あり>。
「見張り台」「灯台」「儀式用」 などが有力らしいです。
この柱も栗の木で復元されていますが、現在の日本では手に入らないので、ロシア産とのこと。
復元されてあるのは、本来と別の場所に建っています。
オリジナルはこちら ↓
大型掘立柱建物跡
柱穴は 直径 約2m、間隔 4.2m、当時の縄文人の腕の長さの3倍くらいだそうです。
この頃から きちんと 長さを測って建設されており、さらには それを指揮する “現場監督” がいたと推測されるそうです。
大型掘立柱建物跡に残る柱の跡(栗の木)
直径 約1m の栗の木の柱が腐らずに残っています。
縄文人がこれだけの建物を建てる技術があったのであれば、出雲大社の空中神殿も間違いなく存在したと 「感じざるをえません」。
(あばれる君のマネ)
大型竪穴建物跡
古代の集会所。今でいうところの公民館、ですって。
大型竪穴建物跡(内部)
中は広々としています。
ホントに こんな建物を建てられたのでしょうか?
囲炉裏の跡
他にも 縄文人が埋葬された土坑墓の跡や、ごみ捨て場(分別処分していた、と!!) なども見学できました。
ミュージアム では、遺跡から出土した 土器や装飾品などや、縄文人の生活様式などが見学できました。
東北・北海道地域には あちこちに 縄文時代の遺跡があり、「北海道・北東北の縄文遺跡群」 として、世界遺産への登録を目指しており、来年 ほぼ決定するそうです。
そろそろ 帰りましょうか。
観光ルートバス ねぶたん号 で新青森駅に戻ります。
駅の1階にある 北彩館 というお土産コーナーで お買い物をしました。
やはり リンゴのお菓子がたくさんあります。
海鮮の珍味も豊富。
ホタテのおつまみとりんごパイとシードルなどを購入しました。
ねぶたや青森県の伝統工芸品のオブジェに見送られます。
鳳凰
こけし灯ろう
16:17 発 はやぶさ に乗車。
17:55 仙台 着。
18:01 発 やまびこ に乗り換え。
羽生結弦選手の故郷。
19:44 宇都宮 着。
北関東在住とはいえ、本州 最北端の県に日帰りで行き来できるって、日本てコンパクトな国です。
突然思い立った一人旅、とっても満喫できました。
今度は是非 宿泊しながら もっといろいろなところを巡りたいです。



























































として気が抜けちゃう 

」 と事情を説明し、ケース、充電器とフィレンツェのポリスで作成してもらった盗難届を提出。



」
どうしよう どうしよう どうしよう 







ここまで 殆ど私任せで後くっついてきただけのマンマ、突如豹変 


再び諦めるも またもやマンマ、





















も食べてない 


























































































発見
と 足を踏み入れてしまい

けた


























































































