甘ずっぱい蜜の部屋 -16ページ目

甘ずっぱい蜜の部屋

観劇(主にバレエ)&美術鑑賞&旅行&グルメ…などなど身辺雑記

青森県立美術館 鑑賞後、すぐ近くにある 三内丸山遺跡 へ行ってみました。

 

三内丸山遺跡

 

特別史跡 三内丸山遺跡

 

遺跡自体の存在は 江戸時代の頃からすでに知られていたそうです。

その当時の文献にも記述があり、土偶などの遺跡もよく発掘されていた、と。

 

本格的な発掘調査は 1992年、県営野球場を建設するにあたってからのこと。

 

すると そこが かなり大規模な集落であったことが分かり、すでに 始まっていた野球場建設を中止し、遺跡として保存することにしたそうです。

 

ちょうど 14時からのガイドツアー(無料)に参加できました。

 

広大な平原に 復元された竪穴式住居が点在しています。

柱の跡を参考に、専門家の監修のもと 復元されたそうです。

 

竪穴式住居 復元

竪穴建物跡

 

竪穴式住居 内部

竪穴建物跡(内部)

 

6畳ほどの広さ。

縄文人の平均寿命は 30~35才くらい。なので、ほとんどが 親と子だけの核家族だったと推測されます。

 

縄文時代は 嫁姑問題などはなかったのかも!?

 

生活は 狩猟・漁猟が主だった、と。

 

三内丸山遺跡 集落跡

 

掘立柱建物

掘立柱建物

 

貯蔵庫や 他の集落から訪れた人々の宿泊所として使われていたのではないか、とのことです。

 

掘立柱建物群

 

ちゃんと 柱も屋根もあり “家” の形をしてしまいます。

すでにこの時代から “軸組工法” の基礎が成り立っていたのでしょうか。

 

三内丸山遺跡のシンボル、大型掘立柱建物 が見えてきました。

 

三内丸山遺跡群

 

大型掘立柱建物

大型掘立柱建物

 

この建物の使用目的には学者によって <諸説あり>。

 

「見張り台」「灯台」「儀式用」 などが有力らしいです。

 

この柱も栗の木で復元されていますが、現在の日本では手に入らないので、ロシア産とのこと。

 

大型掘立柱建物

 

復元されてあるのは、本来と別の場所に建っています。

オリジナルはこちら ↓

 

大型掘立柱建物跡

大型掘立柱建物跡

 

柱穴は 直径 約2m、間隔 4.2m、当時の縄文人の腕の長さの3倍くらいだそうです。

 

この頃から きちんと 長さを測って建設されており、さらには それを指揮する “現場監督” がいたと推測されるそうです。

 

大型掘立柱建物跡 栗の木

大型掘立柱建物跡に残る柱の跡(栗の木)

 

直径 約1m の栗の木の柱が腐らずに残っています。

 

縄文人がこれだけの建物を建てる技術があったのであれば、出雲大社の空中神殿も間違いなく存在したと 「感じざるをえません」。

(あばれる君のマネ)

 

大型竪穴建物

大型竪穴建物跡

 

古代の集会所。今でいうところの公民館、ですって。

 

大型竪穴建物 内部

大型竪穴建物跡(内部)

 

中は広々としています。

ホントに こんな建物を建てられたのでしょうか?

 

大型竪穴建物 内部 囲炉裏

囲炉裏の跡

 

他にも 縄文人が埋葬された土坑墓の跡や、ごみ捨て場(分別処分していた、と!!) なども見学できました。

 

ミュージアム では、遺跡から出土した 土器や装飾品などや、縄文人の生活様式などが見学できました。

 

JOMON JAPAN

JOMON JAPAN

 

東北・北海道地域には あちこちに 縄文時代の遺跡があり、「北海道・北東北の縄文遺跡群」 として、世界遺産への登録を目指しており、来年 ほぼ決定するそうです。

 

世界遺産登録

 

そろそろ 帰りましょうか。

 

観光ルートバス ねぶたん号 で新青森駅に戻ります。

 

新青森駅 東口

 

駅の1階にある 北彩館 というお土産コーナーで お買い物をしました。

 

やはり リンゴのお菓子がたくさんあります。

海鮮の珍味も豊富。

 

ホタテのおつまみとりんごパイとシードルなどを購入しました。

 

ねぶたや青森県の伝統工芸品のオブジェに見送られます。

 

新青森駅 ねぶた オブジェ

 

新青森駅 ねぶた 鳳凰

鳳凰

 

新青森駅 こけし灯ろう

こけし灯ろう

 

新青森駅 ねぶた オブジェⅡ

 

新青森駅 棟方志功

 

16:17 発 はやぶさ に乗車。

 

17:55 仙台 着。

18:01 発 やまびこ に乗り換え。

 

仙台駅

羽生結弦選手の故郷。

 

19:44 宇都宮 着。

 

北関東在住とはいえ、本州 最北端の県に日帰りで行き来できるって、日本てコンパクトな国です。

 

突然思い立った一人旅、とっても満喫できました。

 

今度は是非 宿泊しながら もっといろいろなところを巡りたいです。

 

今を遡ること 6年前。

 

マルク・シャガール展 語るシャガール、語られるシャガール

 

という シャガールの展覧会で鑑賞した 1枚の絵画。

 

シャガール 『青い恋人たち』

『青い恋人たち』 1948-53年 宇都宮美術館

 

愛妻 ベラの死別後に描かれたこの絵画が、シャガールが舞台美術を手掛けた バレエ 『アレコ』 とテーマや画家自身の境遇がとてもよく似ている、と紹介されていました。

 

シャガールによるバレエ美術・・・

 

しかも、その 舞台背景画 4点中3点が 日本の 青森県立美術館 に所蔵されている、と。

 

さらに アメリカのフィラデルフィア美術館に所蔵されている 残り1点が、

美術館の改修工事により 長期借用中(2017年4月25日 - 2021年3月頃予定) !

 

これは 是が非でも 鑑賞せねばっ! と、昨年 美術愛好仲間に声をかけたところ

 

友人A 「青森に行くなら 斜陽館 にも行きたい」

友人B 「青森に行くなら 白神山地(途中で奥入瀬渓流に変更)にも行きたい」

 

休暇を合わせることが叶わず 「来年(2020年) にしよう」 となったら まさかのコロナ禍。

 

「コロナが落ち着いてからにしよう」 となってしまったのだけれど、1点は来春に フィラデルフィア美術館に帰ってしまう予定。

 

あと 半年あるけれど、冬の東北は さすがに厳しそぅ ・・・

 

ということで、シルバーウイーク直前に突然思い立ち、一人で訪れることにしました。

 

これまで旅した国内の北限は 平泉中尊寺 まで。

 

青森県は人生初上陸となります。

 

金券ショップで購入しておいた JR東日本株主優待券(1枚 \3,500) を利用すると、40%引きで乗車券(+特急券)が購入できました。

(宇都宮 - 新青森 \16,070 → \9,630)

 

6:54 宇都宮発 東北新幹線やまびこ

 

北海道・東北新幹線はやぶさ は 宇都宮駅には停車しないので、仙台か盛岡で乗り換えなければなりません。

 

7:59 仙台着

仙台駅

 

羽生結弦選手の故郷、仙台。

 

8:06 仙台発 はやぶさ

 

秋田新幹線 こまち

秋田新幹線 こまち に連結されてきました。

 

連休初日だからか、帰省客と思しき乗客が多かったです。

 

9:49 新青森駅着。

新青森駅

 

ようこそ青森

 

ねぶた のオブジェに迎えられます。

 

新青森駅 棟方志功

正面エントランスホール。

棟方志功;作 「青い森から放つ」 の巨大壁画。

 

吉幾三

吉幾三

 

ちゃんと マスクをしておられます。

 

新青森駅 東口

新青森駅 東口

 

大きくて立派な駅です。

時計台は、三内丸山遺跡の大型掘立柱建物をイメージしているのでしょう。

 

青森県地図

観光案内板

 

駅前から乗れる 観光ルートバス ねぶたん号 で 1停留所(約10分)ですが、1時間近く待ちそうなので タクシーで行きました(\1,540)。

 

駅周辺は 特にこれといったものはなく、閑静な住宅街を抜けて行きます。

 

三内丸山遺跡の案内を通り過ぎると、ほどなく美術館が見えてきました。

 

青森県立美術館

青森県立美術館

 

広々とした敷地の向こうに 白亜の独創的な建物が見えます。

 

青森県立美術館 外観

 

建築家 青木淳氏により、すぐ近くの 三内丸山縄文遺跡の発掘現場から着想して設計されたそうです。

 

青森県立美術館 外観

 

正面の 木の形をした青く光るネオンサインは “青い森” (青森) を表現しているとか。

 

都内の美術館のように 日時指定予約の必要はありませんが、人数制限は設けているとのことです。

 

入口で検温し、入場券(\510)を購入します。

 

現在は コレクション展(常設展)のみの展示だそう。

 

新型コロナウイルス感染症拡大防止策についてのお知らせ

 

エレベーターで 地下2階、いざっ 「アレコ」 の間へ!

 

つづく→

 

アメブロ マルク・シャガール展 語るシャガール、語られるシャガール Ⅱ


 

 

 

 

 

 

気の毒なことに 神戸展は開催中止になってしまった、という

 

コートールド美術館展 魅惑の印象派

 

東京展は 昨年 秋~冬。

もし 巡回の順番が違っていたら、観に行けなかったでしょう。

 

“美術館改修工事/閉館 のため、コレクションたちによる出稼ぎ”

と、ありがちな展覧会。

 

でも、数年まえ LONDON 旅行では行けなかったので、よい機会でした。

 

コートールド美術館展 東京都美術館

東京都美術館

 

イギリスの実業家で コレクターだったという、創設者;サミュエル・コートールド(1876-1947) のコレクション。

 

フランス近代絵画の魅力を母国に伝えたいと、1920年代を中心に、精力的な収集を行い、1932年、ロンドン大学に美術研究所が創設されることが決まると、コレクションを寄贈。

 

その展示施設として誕生した美術館です。

 

松方幸次郎もそうですが、美術の収集に力を注いだ実業家たちは、やはり最初にフランス印象派に魅せられるのでしょうか。

 

印象に残っている絵画 ↓

 

第2章 時代背景から読み解く

 

秋の効果、アルジャントゥイユ

秋の効果、アルジャントゥイユ』 クロード・モネ 1873年 

 

「モネが当時暮らしたパリ郊外のアルジャントゥイユ。鉄道開設に伴い人々がこぞって訪れた町が、奥に描かれている。空と地表が均等に区分された構図が新しさを感じさせるが、作者の関心は秋の移ろう光や色彩、大気の描写にあったようだ。」

(「朝日新聞 DIGITAL」より)

 

印象派の絵画でよく耳にする アルジャントゥイユ。

どれほど絵心をかきたてられる景色なのか、昔からずっと気になっています。

 

舞台上の二人の踊り子

舞台上の二人の踊り子』 エドガー・ドガ 1874年

 

「2人の踊り子と思いきや、画面左端に3人目のスカートがちらり。舞台の広がりや奥行きを感じさせる。ドガは日本美術の影響を受け、それまで見られない視点を採用することがあった。本作の高い視点と余白の多さは、当時は斬新だった。」

(「朝日新聞 DIGITAL」より)

 

舞台にしろ稽古場にしろ、ドガのバレエ絵画には ほぼ必ず “間” があり、それが日本絵画の影響からかと感じることがあります。

 

真正面からではなく、客席上部から見下ろしたような構図や、入口からそっと稽古場を覗いているかのような視点は、バレエという舞踊芸術としてのスペクタクル性よりも、バレエダンサーたちの身体芸術に視点が置かれていたのでしょう。

 

桟敷席

桟敷席』 ピエール・オーギュスト・ルノワール 1874年

 

画家の弟、エドモンドのお気に入りのモデルだったという、にに・ロペス。

 

連れの男性は、舞台ではなく あさっての方向にオペラグラスを向け、観客席の女性客を物色している様子。

 

ニニの扮している女性は、裕福な人妻なのか、上流階級の女性なのか、はたまた 高級娼婦なのかは、はっきりと描かなかったそう。

 

「さまざまな階級や関係性をもつ男女が集う劇場だからこそ、ルノワールが敢えて曖昧なままとした設定が生きている。」

(作品紹介より)

 

“劇場” という場所が、男女の出逢いの場所であり、社交場であったことを感じさせられます。


主役は、舞台上のプリマドンナだけでなく、桟敷席のご婦人方の中にもいたことでしょう。

 

春、シャトゥー
『春、シャトゥー』 ピエール・オーギュスト・ルノワール 1873年頃

 

画面を埋め尽くす 木々や草原。

淡い色調が まだ芽吹いたばかりの 柔らかい草花であるとみて取れます。

季節がめぐって真夏になったら、成長した濃い色の葉っぱの むせ返るような情景に変化しそうです。

 

フォリー=ベルジェールのバー

フォリー=ベルジェールのバー』 エドゥアール・マネ 1882年

 

この展覧会の、というより コートールド美術館の目玉 といえる 看板絵画。

 

フォリー=ベルジェール は、現存するミュージックホール。

 

虚ろな表情でカウンターに立つバーメイド。

鏡に映る後ろ姿の彼女は、お客と思しき男性と会話を交わしているようです。

 

もしかしたら、本当の彼女は男性と接客中だけれど、実際には心ここにあらずで他のことに気を取られているのか、考え事をしているのか。

 

あるいは、誰か 特別に待っている客がいるのか。

 

鏡の外と中で、虚と実が入れ替わってしまったかにも見えます。

 

Folies Bergère

Folies Bergère

 

フォリー=ベルジェール劇場

 

フォリー=ベルジェール劇場 内部

 

Belle Époque “古き良き時代” のパリの華やぎが劇場の隅々にしみわたっていそうです。

 

音声ガイドをご担当されたのは、三浦春馬さん。

 

三浦春馬さんとともに名画探訪 コートールド美術館展

 

 

『フォリー=ベルジェールのバー』 のモデルと同じポーズをとっておられます。

 

三浦さんは、英国に留学経験があったほか、NHKの番組ロケでも訪英したことがあるなど、イギリスには縁が深かったようです。

 

三浦春馬さんが名画の音声ガイド コートールド美術館展

 

素晴らしい絵画に触れたこのお仕事のほか、美しく楽しい思い出のみお土産に持って旅立って頂きたいです。

 

フォリー=ベルジェールのバー

 

コートールド美術館展 フォトスポット

フォトスポット

 

TOKYO 2020

TOKYO 2020

 

2019年11月24日 鑑賞


 

 

 

 

 

 

 

うつのみや妖精ミュージアム で 8/1 に開催された

 

井村君江名誉館長による ギャラリートーク に参加してきました。

 

日本における 妖精研究の第一人者であり、

 

ケルト・ファンタジー文学研究家

明星大学名誉教授

フェアリー協会会長

 イギリス・フォークロア学会終身会員

 

という肩書をお持ちで、福島県の 妖精美術館 の館長も務めておられます。

 

宇都宮市ご出身というご縁から、1万点を超える絵画や学術書などの貴重な妖精関係資料を市に寄贈され、同じく 宇都宮市出身の実業家齋藤文男氏から寄贈された陶磁器や絵画などの妖精関係作品を展示するために、平成19年7月に中心街のビル内に 妖精ミュージアム がオープンしました。

 

ちなみに、宇都宮市のゆるキャラマスコット、ミヤリー は、宇都宮の「宮」とフェアリーの「リー」を合わせて誕生。

 

宇都宮妖精ミュージアム

 

うつのみや妖精ミュージアム

 

このミュージアムで開催された 井村名誉館長による ギャラリートークに参加してきました。(8/1)

 

ギャラリートーク 妖精について(1)

 

テーマは “チョーサの妖精”

 

イングランドの詩人、ジェフリー・チョーサー(Geoffrey Chaucer; 1340頃 - 1400) の著、『カンタベリー物語』(The Canterbury Tales) の物語に登場する妖精たちについてのお話でした。

 

『カンタベリー物語』 は、カンタベリー大聖堂へ巡礼に向かう人々が 道中の旅籠で一人ずつ物語を語っていく “枠物語”

 

イタリア・ルネサンス期の詩人、ボッカッチョの 『デカメロン』 に影響されたといわれます。

 

この 『カンタベリー物語』 における 妖精との関わりは、

Ⅰ 中世ロマンスへの愛着

Ⅱ 新しい妖精像の創造

が読み取れるとのことです。

 

また、古い時代は、妖精たちの中に ギリシア神話の神々の派生とおぼしき妖精たちも混在していたそう。

 

紹介された物語のひとつ 「貿易商人の話」 には、冥界の王プルートと、その王妃;プロセルピナ(最高神ユピテルとケレースの娘)が、“妖精” として登場している、と。

 

やがて 物語に妖精が登場しなくなると、それらに代わって キリスト教の修道士たちが活躍するようになった、という解説でした。

 

超人的な能力で 人間たちを守ったり 騙したりするのは、妖精から神々へと移行した、ということでしょうか。

 

なかなか 興味深いお話でした。

 

ギャラリーの企画展、

妖精の国へようこそ! 実は知らない?妖精のコト

 

ギャラリートーク 8月1日.

 

人里、森、水辺、海、妖精の国、と 5つのエリアに分けて、それぞれの場所に潜む妖精たちをパネルで紹介。

 

興味をそそられたのは、水の精;ルサルカ。

 

スラヴ神話に登場する水の精で、オンディーヌ、セイレーン、ローレライ同様 美しい歌声で人間を誘惑する、とも言われているそう。

 

ドヴォルザークのオペラ 『ルサルカ』(全3幕)にもなっています。

 

ストーリーは アンデルセンの童話『人魚姫』 と酷似。

 

第1幕のルサルカによるアリア 『月に寄せる歌(Song to the Moon / Měsíčku na nebi hlubokém)』 は、単独でも演奏される美しいアリア。

 

在ペルー日本大使公邸占拠事件(1996年)を基にした

映画 『ベル・カント とらわれのアリア』(2018) の中でも ルネ・フレミング により歌われています。

 

ハンブルク・バレエ団 の芸術監督にして世界的振付家の ジョン・ノイマイヤー が、

チャイコフスキー記念東京バレエ団 に振り付けた オリジナル作品

 

月に寄せる7つの俳句

 

は、このアリアから触発された題名なのでしょうか?

 

ちなみに ノイマイヤーのレパートリーに 『人魚姫』 があり、日本公演でも上演されました(2009年)。

 

うつのみ妖精ミュージアム 妖精図鑑

うつのみや妖精ミュージアム 妖精図鑑

 

ようこそ妖精の国へ 個性豊かな23種類 宇都宮市のミュージアムで企画展 8月25日 東京新聞


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本初の回顧展、という サミュエル・イェスルン・デ・メスキータ(1868~1944) の展覧会。

 

昨年 東京ステーションギャラリーで開催されて、若者たちに大反響だったとか。

 

地元の市立美術館で開催されているので、観に行きました。

 

宇都宮市美術館 メスキータ展

宇都宮市美術館

 

メスキータ展

エッシャーが、命懸けで守った男。メスキータ

 

オランダ出身の、ポルトガル系ユダヤ人だったというメスキータ。

 

画家、版画家、そしてデザイナーとして活躍する一方、美術学校の教師として マウリッツ・エッシャー をはじめ 多くの学生を指導(1902年~)。

 

ユダヤ人であったため、ナチスのオランダ侵攻によっアウシュヴィッツて強制収容所に送られ、1944年に亡くなってしまいます。

 

しかし、教え子であったエッシャーとその友人たちは、メスキータのアトリエに残された作品を持ち帰って命がけで保管し、戦後はその名前を後世に残すために尽力しました。

 

展示されていた作品のほとんどが個人蔵。

 

過酷な歴史を生き抜いた芸術家の 貴重な作品群と対面してきました。

 

メメント・モリ(頭蓋骨と自画像)1926年 個人蔵

『メメント・モリ(頭蓋骨と自画像)』 1926年 個人蔵

 

「memento mori」 “死を想え/死を忘れるな” (ラテン語)

 

無表情の老人と向か合っている 頭蓋骨は まるで嗤っているかのよう。

 

この世に生れ落ちてきたときから約束されている “死”

 

年を取るとともに、徐々に 生身の人間の影が薄れ、“死” の影が濃くなっていくかのようです。

 

うつむく女 1913年 個人蔵

『うつむく女』 1913年 個人蔵

 

ファンタジー稲妻を見る二人 1914年 個人蔵

『ファンタジー稲妻を見る二人』 1914年 個人蔵

 

版画やドローイングなど、白黒の平面的な作品にも関わらず、人物たちのリアルな表情に驚かされました。

 

宇都宮市美術館 中央ホール

中央ホール

 

8/9(日)鑑賞。(8/30迄)

 

エッシャーが命懸けで守った画家、メスキータとは何者か?

 

エッシャーが、命懸けで守った男。 メスキータ(栃木展)

 

エッシャーが守ったメスキータの版画。


 

 

【2006年11月29日】

1/29(水)TOKYO NARITA 11:25着

無事 帰国。

海外へ行き始めた頃は、成田に着いた途端 現実に引き戻されて ガックリきてしまっていたけれど、

最近は というか 今回みたいな個人旅行だと、ほっ として気が抜けちゃう 顔

行きは 乗り換えの時や、現地まで着いてもホテルに到着するまでソワソワするし、観光中でも何に遭遇するか分からないし、街歩き中も地図とにらめっこ。

ほぼ ずーっと 気が張ったまま。

とにかく、

病気や大きなトラブルもなく帰ってくることができて一安心。

最後に ちとヘマやらかしましたが 汗

携帯レンタルしたカウンターで 「すみませ~ん顔」 と事情を説明し、ケース、充電器とフィレンツェのポリスで作成してもらった盗難届を提出。

特に何も問題なく 「はい、分かりました。」 と。

迎えに来てくれていた父の車に乗って帰宅。

今夜は 1週間ぶりにバスタブのお風呂に入れるぅ お風呂

2006年 フリーステイ フィレンツェ 7日間 【完】


【2006年11月28日】

昨夜、ホテルに着いて やれやれ と一息ついたところ、私は ある事に気づき 顔面蒼白、冷や汗が身体中から流れ出るような事態に・・・まったりねこ

なんとシィ・・・・・ン。

「(レンタルした)携帯がないっっっ叫び

落ち着け、落ち着け、って自分に言い聞かせて 手荷物からお土産袋から丁寧にひっくり返して探したけど、やっぱり見つからない ma-ko

そんな …(汗) どうしよう どうしよう どうしよう フェレット(困)

記憶を辿ると、オニサンティ教会を出たあと リコンフォームの電話をかけて 返答の電話がかかってきた時までは確かにあった。

その後 サンタ・トリニタ教会へ行き、最後に グッチのお店へ・・・

どこかへ荷物を置いた時に滑り落ちちゃったのかしら sao☆

いつも ちゃんとファスナーのついたショルダーバッグの中に入れておいたのに 猫・が~ん 汗

もぉ どうして 私って こぅ ヌけているだろぅ ↓
ホント 自分でもやんなっちゃう がくり

どうでもいいことは すっごい 心配性だったり神経質だったりするのに 顔 しゅん

とにかく いても立ってもいられなくて 探しに出ることに sei

さいわい そんなに外も真っ暗ではないし、出歩いている人も結構いるので 治安的に怖くはなかったけど、

グッチのお店も教会も もぅ閉まっていた。ううっ

絶望して放心状態の私に 母曰く 「タクシーで警察へ行きましょう」 と。

日本じゃないんだから、拾得物なんて わざわざ届けてくれる奇特な人、いないよ・・・ と思ったら

「盗まれたことにして、盗難届書いてもらいましょ」

yuh ここまで 殆ど私任せで後くっついてきただけのマンマ、突如豹変 konatu

旅慣れているのか、年の功か ・・・!!

たしかに 成田のレンタル店で借りた時 保険に入ったから 警察の届書があれば大丈夫なんだけど、いいのかぁ sei

近くの サンタ・トリニタ広場にタクシーが止まっていて、あんまり英語に自信なさそうな兄ちゃん(ドライバー)に 「ポリスステーション プレーゴ」 とか言ったら、警察まで乗せて行ってくれまして・・・

チップ込の料金渡したら 意外にも嬉しそうな反応。

警察署に入って事情説明したら
「今日は英語の調書を書ける署員がいない。明日来て」
とツレナイ返事。

ダメだ こりゃ ショック 再び諦めるも またもやマンマ、

「明日 早めに空港に行って 空港の警察に作ってもらいましょ」 と。

んじゃ、そうする。しゅん2

帰りは トボトボ歩いてホテルへ帰宅。はー

夜空

翌朝

5泊寝泊りした ホテル・アンドレアともお別れ。

ホテル・アンドレア

タクシーを呼んでもらって 空港へと向かいます。

空港のポリスに昨日の事情を話すと、英語が話せる女性の方を担当のつけてくれました。

ちょうど 免税のカウンターで順番待ちをしていたのですが、私たちの書類をさっと取って カウンターの職員の方に渡してくれちゃいました。あらまー

なんだか どさくさに紛れて順番すっ飛ばして先に処理してもらっちゃった おぉ

その後 空港内の警察officeで 「オニサンティ教会見学してー サンタ・トリニタ教会へ行く途中、誰かがぶつかって来てぇー」 とかなんとか、テキトーに話をつくろって携帯なくしてしまったことを説明し、書類を作ってもらいました。あせ

もしかして グッチの店内に落ちているんじゃないかと思ったけど、今さら仕方ない 汗

気をとりなして 親切な女性警官の方にお礼を言って、出国ゲートへ。

フィレンツェの空港は結構小さいです。東京駅のがデカいんじゃないかな ・・・

フィレンツェ空港発 12:15 AZ1693

ミラノ空港に着くと、免税店はすでに クリスマスの雰囲気です。

イタリアのクリスマスのお菓子、パネトーネを購入。パネトーネ

中国人らしき人に中国語で話しかけられてしまいました 汗

日本語で返したら 「Ho capito (伊;分かりました)」 ですって。

同国人に見えたのかな????

なんか・・・ ちょっと ショック 凹む 失礼

ミラノ・マルペンサ空港発 15:15 AZ786 飛行機

11/29(水)TOKYO NARITA 11:25着 予定。

最後の最後に 大ドジふんじゃったケド あせ

ともあれ、

中学生の頃から憧れていた イタリア・ルネサンスの都、十分に堪能できました。キラにこ

とはいえ、見どころはまだまだいっぱい。!

もし 日程に余裕があったら シエナかピサ、プラートあたりに行けるかと思ったけど フィレンツェだけで 見るものがありすぎ ふう

フィレンツェだけで いっぱいいっぱいでした。ふん

しかも

あろうことか、世界一古い薬局 サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局 の存在をすっかり忘れてしまったという大失態を おつ

毎日 近くを通っていたハズなのに uu+.

ジェラート アイス も食べてない うう…
私は 一体 イタリアに何しに行ったんだ ?

もしかして 「また おいで」って言われているコトなのかな うさぎ

ハイ もちろん 亜友未

【2006年11月27日】

早くも最終日。

今日は満を持して(?)フィレンツェのシンボルを見学します。

サン・ジョヴァンニ洗礼堂

Battistero di San Giovanni
Battistero di San Giovanni

天国の門
東門『天国の扉』 ギベルティ

ほかの観光客ご一行様が来ないうちに撮影 shokopon

サン・ジョヴァンニ洗礼堂   サン・ジョヴァンニ洗礼堂
左) 南門 『洗礼者ヨハネの生涯』 A.ピサーノ
右) 北門 『キリストの生涯』 L.ギベルティ

洗礼堂内部
サン・ジョヴァンニ洗礼堂 クーポラ
天井

対立法王ヨハネ23世の墓 (ドナテッロ&ミケランジェロ)

ドゥオーモ付属美術館

大聖堂付属美術館

ドゥオーモ由来のオリジナル作品を展示

ドゥオーモ付属美術館 オリジナル彫像


サン・ジョヴァンニ洗礼堂 展示品

サン・ジョヴァンニ洗礼堂 展示品  ドゥオーモ付属美術館 展示品

サン・ジョヴァンニ洗礼堂 展示品
サン・ジョヴァンニ洗礼堂 『イエスの洗礼』 A.サンヴィーノ
(オリジナル)


『ピエタ』 ミケランジェロ    『ピエタ』 ミケランジェロ
『ピエタ』 ミケランジェロ・ブォナローティ
(ティベリオ・カリカーニにより現在の姿に)

バチカンにある同じ主題の作品とは随分雰囲気が異なります。
芸術家の作風の変遷を感じさせられます。

合唱隊席(ドナテッロ)
合唱隊席 ドナッテロ作

合唱隊席(ルカ・デッラ・ロビア)
合唱隊席 ルカ・デッラ・ロビア作

『預言者ハバクク』ドナテッロ
『預言者ハバクク』 ドナテッロ

パネル
パネル

『マグダラのマリア』 ドナテッロ    磔刑のイエスと対峙するマグダラのマリア
『マグダラのマリア』 ドナテッロ作
右)磔刑のイエスと向き合うマグダラのマリア(後姿)

アンドレア・ピサーノ<鐘楼のパネル>
鐘楼のパネル アンドレア・サビーノ作

楽園追放
楽園追放

『天国の門』ロレンツォ・ギベルティ
『天国の門』 ロレンツォ・ギベルティ (オリジナル)

同図異時法 で一枚のパネルの中にも複数の物語が描かれています。


『三天使の訪れ』『イサクの犠牲』  『ソロモンとシバの女王』
左) 『三天使の訪れ』 『イサクの犠牲』 右) 『ソロモンとシバの女王』

『モーゼの十戒』  『地を耕すアダムとイブ』
左) 『モーゼの十戒』
右) 『地を耕すアダムとイブ(始祖の労働)』
『アベルの犠牲』 『カインのアベル殺し』

『人間創造』『原罪』『楽園追放』  『ダビデ、ゴリアテを撃つ』
左) 『人間創造』 『原罪』 『楽園追放』
右)『ダビデ、ゴリアテを撃つ』 (ペリシテ人との戦い)

『ヨゼフの兄弟たち』『商人に売られるヨセフ』  『エサウとヤコブの物語』
左) 『ヨゼフの兄弟たち』 『商人に売られるヨセフ』
右) 『エサウとヤコブの物語』

『ヨシュワの物語(エリコの陥落)』  『ノアの箱舟』『ノアの泥酔』『ノアの犠牲』
左) 『ヨシュワの物語(エリコの陥落)』
右) 『ノアの箱舟』 『ノアの泥酔』 『ノアの犠牲』

名画がある教会をいくつか見て回ろうと思います。

サント・スピリト教会
サント・スピリト教会
Santo Spirito

アゴスティーノ修道会の初期ルネッサンスを代表する教会。
ブルネッレスキの設計により、15世紀半ばに建てられました。
ファサードは未完のまま。
鐘楼はB.ダニョロの設計により1503年に造られ、内部の礼拝堂にはフィリッピーノ・リッピらのルネッサンス絵画と彫刻で飾られています。

何度か行ったのですが、残念ながら 閉まっていて入れませんでした。

サンタ・マリア・デル・カルミネ教会
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会
Bilica di Santa Maria del Carmine

13世紀半ばにフィレンツェゴシックの様式で建設が始められたカルメル会の教会(18世紀に火災でほとんど焼失)。
現在の建物はG.ルッジェーリらが設計したバロック様式(1771~1775年)。
ルネッサンスの到来を告げる絵画史上の傑作であるマザッチョのフレスコ画が描かれているブランカッチ礼拝堂 Cappella Brancacci が有名。

教会内部
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会内部

ブランカッチ礼拝堂
マザッチョ 『聖ペテロの生涯』
『聖ペテロの生涯』 マザッチョ


ブランカッチ礼拝堂 『楽園追放』    『貢の銭』
左) (左上)マザッチョ『楽園追放』  (左下)F.リッピ『牢獄の聖ペテロを訪れる聖パウロ』
右) (右上)マザッチョ『貢の銭』 「マタイ福音書」(17章24-27節)より(右下)マザッチョとフィリッピーノ・リッピ『テオフィルスの息子の蘇生と教座の聖ペテロ』

祭壇画 『カルミネの聖母』
祭壇画 『カルミネの聖母』

左)(右上)マゾリーノ 『足萎えの治癒とタビタの蘇生』 (右下)フィリッピーノ・リッピ 『魔術師シモンとの議論と聖ペテロの磔刑』
右) (右上)マゾリーノ 『原罪』 (右下)F.リッピ 『天使に牢から解放される聖ペテロ』 「使徒行伝」(12章1-6節)より

サンタ・マリア・デル・カルミネ教会 中庭
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会 中庭

いよいよ フィレンツェのシンボル、ドゥオーモへと向かいます。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ

Cattedrale di Santa Maria del Fiore  <Duomo>
ドゥオーモ  ドゥオーモ
とても精緻な彫刻

フィレンツェの象徴。
1296年にA.ディ・カンビオにより建設が始められ、ブルネッレスキによって円蓋が掛け終わったのは1436年(頂上のランタン部は1468年)。
ファサードは19世紀にE.デ・ファブリにより完成、3つの入り口扉のブロンズ装飾も19世紀末。

ドゥオーモ内部

『神曲』を手にするダンテ・アリギエーリ
『神曲』を手にするダンテ・アリギエーリ
ドメニコ・ディ・ミケリーノ(1465年)


左) 『ジョン・フォークウッド騎馬像』 パオロ・ウッチェッロ
右) 『ニッコロ・ダ・トレンティーノ騎馬像』 アンドレア・デル・カスターニョ

ウッチェッロ『時計の文字盤』
ウッチェッロ『時計の文字盤』


クープラ
クーポラ

せっかくなので、クーポラに登ってみることにしました。階段上る棒人間

フィレンツェを一望


ジョットの鐘楼   ジョットの鐘楼
ジョットの鐘楼

ジョットの鐘楼
 Campanile di Giotto

1334年にジョットとA.ピサーノによって建設が始められ、1359年に完成。
高さ85m、ゴシック様式。イタリアで最も美しい鐘楼と呼ばれ、ダンテも称賛したとか。

調子に乗って(?)ジョットの鐘楼の方にも登ってみることに。急いで階段上る棒人間

目の前にドゥオーモがそびえ立ちます。




晩秋の黄昏時のフィレンツェ

サン・ロレンツォ教会、ヴェッキオ宮が見えます。

大パノラマを堪能し、最後に教会を2つほど見学して 旅も終わりです。

オニサンティ教会

ロンバルディア地方のウミリアーティ会の聖堂として13世紀半ばに建設されました。
17~18世紀に大幅に改築され、フィレンツェで最初のバロックのファサード(M.ニジェッティ)が取り付けられました。
鐘楼は創建当時のまま。

右翼廊には ボッティチェリのお墓があります。

オニサンティ教会    オニサンティ教会 ファサード
Chiesa di Ognissanti

代表的な絵画
『最後の晩餐』ギルランダイオ 1480
『最後の晩餐』 ギルランダイオ 1480年
かつての修道院食堂(聖堂左扉より)に残っています。
後に レオナルド・ダ・ヴィンチに影響を与えたと言われるそうです。

慈愛の聖母』 ギルランダイオ
『慈愛の聖母』 ギルランダイオ
ヴェスプッチ家の礼拝堂 の絵画。
後世 新大陸を発見するアメリゴが出た家系である、ヴェスプッチ家の一族が 聖母のマントの下に庇護されています。

ヴェスプッチ家の依頼による ボッティチェリとギルランダイオの競作の絵画があります。
かつては本堂にありましたが、16世紀の改築時にここに移されたのだそうです。

『書斎の聖アウグスティヌス』 1480年頃
『書斎の聖アウグスティヌス』 サンドロ・ボッティチェリ 1480-1481年

ギルランダイオ 『書斎の聖ヒエロニムス』
ギルランダイオ 『書斎の聖ヒエロニムス』 (制作年不詳)

サンタ・トリニタ教会

Basilica di Santa Trinita  サンタ・トリニタ教会
Basilica di Santa Trinita

フィレンツェにおけるゴシック建築の教会。
ファサードは B.ブオンタレンティ によるバロック時代のもの。

教会内部
『聖母の戴冠』    サンタ・トリニタ教会内
左) 聖母の戴冠 ビッチ・ディ・ロレンツォ

Salimbeni-Bartolini Chapel
L.モナコ 『聖母マリアの生涯』 1420 - 1425 聖母マリア伝(外典)より

マリアの死
マリアの死

金門の出会い
金門の出会い

マリアとヨセフの結婚
マリアとヨセフの結婚

マリアの神殿奉献
マリアの神殿奉献

『受胎告知』
祭壇画 『受胎告知』 L.モナコ 1425年

サッセッティの礼拝堂
ギルランダイオによる『聖フランチェスコ伝』 フレスコ画 が礼拝堂一面に描かれていす。

ギルランダイオ 『牧者の礼拝』
祭壇画 『牧者の礼拝』 ドメニコ・ギルランダイオ 1480年

目の覚めるような 美しい宗教画です。

これにて フィレンツェ観光終了です。

とにかく 見るもの、見るべきものがたくさんあって 目が2つだけじゃ足らない汗1

名残惜しみつつ 通い慣れた広場→道へと向かおうとしたところ・・・

ブランド店が軒を連ねる トルナブオーニ通り Via de' Tornabuoni を歩いていたら、

GUCCI グッチ 発見y’s

ちょっと覗いて行こうか~o と 足を踏み入れてしまい…* gucci

誘惑に負けた好

まぁ せっかく来た記念にリボン(イタリアカラー)

ポン・テ・ヴェッキオ
ポン・テ・ヴェッキオ
Ponte Vecchio

フィレンツェ最古の橋
(1218年にカッライア橋が架けられるまで、町唯一の橋)。
現在の橋は1345年に架けられました
(伝:N.ディ・フィオラヴァンテ作)。
13世紀以降橋の上に商店が並び、16世紀以降悪臭を放っていた肉屋に代わって貴金属と宝石商が集められ、現在至ります。
第二次大戦末期のドイツ軍の額はを免れた唯一の橋。
歌劇 “Gianni Schicchi”(Puccini) 劇中のアリア、
“O mio babbino caro”(私のお父さん) にも登場する橋。

ポン・テ・ヴェッキオ を渡ってアルノ川を超えます。

ヴァザーリの回廊
ヴァザーリの回廊
ウフィツィ美術館とピッティ宮殿を結んだ回廊。

サンタ・フェリチタ教会
サンタ・フェリチタ教会
Chiesa di Santa Felicita

手前は ヴァザーリの回廊。回廊から教会の中が見えるようになっています。

マニエリスム様式の巨匠、ポントルモのフレスコ画が見られます。

カッポーニ礼拝堂
受胎告知』 ポントルモ サンタ・フェリチタ教会
『受胎告知』 ポントルモ

ポントルモ 『十字架降下』
『十字架降下』 ポントルモ 1525-1528年頃

ピッティ宮 歴代トスカーナ大公の宮廷

ピッティ宮殿
Palazzo Pitti

歴代トスカーナ大公の宮廷。正面幅200m以上もある、ルネッサンス期の最大規模を誇る邸宅。
メディチ家に対抗するフィレンツェでも指折りの大聖人、ルーカ・ピッティが15世紀後半に造った私邸。
巨額の建築費が続かなくなり、トスカーナ大公コジモ1世の妃エレオノーラ・ディ・トレドが買い取って改修、療養の場となりました。
その後も数度にわたり拡張され、1859年まで歴代トスカーナ大公が住む宮廷となりました。
現在は7つに及ぶ美術館・博物館が入っています。

ピッティ宮殿
入口

宮殿内部
ピッティ宮殿 プロメテウスの間
プロメテウスの間

ピッティ宮殿 玉座の間
玉座の間

ピッティ宮殿
ピッティ宮 中庭(マニエリスム建築)

1559年アンマンナーティによって中庭を囲む二つの翼が付け足され 17世紀前半にはファサードが延長、ほぼ現在の姿になりました。
18世紀後半ピッティ広場に張り出した左右の翼が造られました。

パラティーナ美術館 Galleria Palatina

ピッティ宮殿内の美術館のひとつ。歴代トスカーナ大公のコレクションを公開したもので、ルネッサンスからバロックにかけての作品が展示されています。ラファエロやティツィアーノの作品に優れたものが多くあります。

小椅子の聖母
『小椅子の聖母』 ラファエロ・サンツィオ

『聖母子と聖アンナの生涯』 フィリッポ・リッピ
『聖母子と聖アンナの生涯』 フィリッポ・リッピ

大公の聖母(1504年)
『大公の聖母』 ラファエロ・サンツィオ

『聖母子とヨハネ』 ラファエロ
『聖母子とヨハネ』 ラファエロ・サンツィオ

『ラ・エッラ』 ティツィアーノ
『ラ・ベッラ』 ティツィアーノ

悔悛するマグダラのマリア
『悔悛するマグダラのマリア』 ティツィアーノ

『洗礼者ヨハネ』 アンドレア・デル・サルト
『洗礼者ヨハネ』 アンドレア・デル・サルト

ヴェールを被る婦人の肖像(ラ・ヴェラータ)
『ヴェールを被る婦人の肖像(ラ・ヴェラータ)』 ラファエロ・サンツィオ
1516年頃

この絵のモデルは 約2年後に描かれた 『ラ・フォルナリーナ』 と同じ人物であるとされ、ラファエロの恋人であったパン屋の娘(マルゲリータ・ルティ)と言われています。

若い婦人の肖像(ラ・フォルナリーナ) 1518-1519年
『若い婦人の肖像(ラ・フォルナリーナ)』 ラファエロ・サンツィオ
1518-19年 ローマ/パラティーナ国立古典絵画館蔵

ボーボリ庭園
ボーボリ庭園
Giardio di Boboli

ピッティ宮に続く、広大なイタリア式庭園。トリボロらによって16世紀半ばに設計されました。


宮殿の後方に続く サン・ジョルジョの坂を上ってみることに。

サン・ジョルジョの坂
サン・ジョルジョの坂  サン・ジョルジョの坂

木立の間から ドゥーモの屋根が見えました。

サン・ジョルジョ門
サン・ジョルジョ門

この辺りから ベルヴェデーレ要塞へ行けるのですが、そちらは割愛して ふたたび ポン・テ・ヴェッキオを渡って戻りました。

町の中心となる シニョーリア広場へ出ます。

ロッジア・ディ・ランツィ Loggia dei Lanzi の彫刻

サビーネ女の略奪 パトロクロスを支えるメネラオス
左) 『サビーネ女の略奪』 ジャンボローニャ
右) 『パトロクロスを支えるメネラオス』

ヘラクレスとネッソ  ポリュクセネの凌辱
左) 『ヘラクレスとネッソ』 ジャン・ボローニャ
右) 『ポリュクセネの凌辱』 ピオ・フェンディ

ペルセウス
『ペルセウス』 ベンヴェヌート・チェッリーニ

シニョーリア広場
『ネプチューンの噴水』 アンマンナーティ
『ネプチューンの噴水』 アンマンナーティシ

この広場で 怪僧サヴォナローラが火刑に処せられた場所があるはずなのですが、人混みで見つけられませんでした。

ヴェッキオ宮
ヴェッキオ宮入口
Palazzo Vecchio

かつてのフィレンツェ共和国庁舎.
1299年、A.ディ・カンビオにより建設開始され、
1530年にトスカーナ公国が出現するまで、フィレンツェ共和国の政庁でした。
現在も市庁舎として使われています。

出入り口をはさむように ふたつの彫像があります。

ヴェッキオ宮 ミケランジェロ『ダヴィデ』  バンディネッリ 『ヘラクレスとカークス』
左) 『ダヴィデ(コピー)』 ミケランジェロ
右) 『ヘラクレスとカークス』 バンディネッリ

宮殿 中庭(15世紀後半 ミケロッツォ設計)
ヴェッキオ宮 中庭

ヴェッキオ宮 中庭『イルカを持つキューピット』
『イルカを持つキューピット』 アンドレア・デル・ヴェロッキオ (15世紀)

宮殿内部
ミケランジェロ『勝利』
『勝利』 Genio della Vittoria ミケランジェロ作

ヴェッキオ宮内部  ヴェッキオ宮内部

五百人広場
ヴェッキオ宮殿 五百人広場

五百人広場
五百人広場 天井

『ピサの攻略』 ジョルジョ・バザーリ
『ピサの攻略』 ジョルジョ・バサーリ

フランチェスコ1世のストゥディオーロ(16世紀)
フランチェスコ1世のストゥディオーロ
円形の額内 『大公妃エレオノーラ・ディ・トレドの肖像』

イルカを抱くキューピット(オリジナル)
イルカを抱くキューピット (オリジナル)

ペネロペの間
ペネロペの間 天井画

ホメロスの叙事詩 『オデュッセイア』 より主人公オデュッセウスの帰還を待ち続けて 求婚者たちの時間稼ぎをする貞淑な妻、ペネロペが描かれています。
ペネロペは言い寄る求婚者たちに、夫の死装束が縫い終わるまで返事を待つように言いながら 毎晩縫いかけの装束の糸をほどいていました。

聖母子
『聖母子』

礼拝堂(『受胎告知』の絵)
礼拝堂 『受胎告知』 の場面

百合の間
百合の間

ヴェッキオ宮内部 百合の間
玉座は サン・ザノビ

15世紀に造られた部屋。ドメニコ・ギルランダイオによってローマ人や聖人たちが描かれています。ライオンが掲げている旗は、民衆の十字とフィレンツェ共和国の紋章の百合の花。

『ユディットとフォルフェルネス』ドナテッロ』
『ユディットとフォルフェルネス』 ドナテッロ
(フィレンツェ共和国のシンボル)

ライオン
宮殿の頂上にある風見鶏(風見ライオン?)オリジナル
てっぺんの「百合の花」と「ライオン」はフィレンツェ共和国のシンボル

本日の見学はここまでとなります。
連日盛りだくさんの内容です。にゃは



最新保存版 週刊 世界の美術館【第35号】 ピッティ美術館とアカデミア美術館 (イタリア).../著者不明
¥580
Amazon.co.jp

パラティーナ美術館と国王夫妻の居室/著者不明
¥価格不明
Amazon.co.jp


【2006年11月26日】

毎日お天気に恵まれて、とても助かります。今日も まず旧市街へ。

街角の聖母子
タベルナコロ(Tabernacolo) 街角の聖母子像

かつてペストに感染し、教会に入れてもらえない人々はこのような町中の像に祈りを捧げたといわれます。

フィレンツェの顔。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂Lily rose pink

ドゥオーモ


色大理石が朝日を受けて輝いています。
まさに イタリア・ルネサンスが花開いた “花の都” の象徴。
後日 内部をゆっくり見学しようと思います。

サン・ジョヴァンニ洗礼堂前
天国の門
<天国の門> の前にはすでに人だかりがおぉ!
門の上の彫像は 『イエスの洗礼』 A.サンヴィーノ (コピー)です。

パッツィ・クァラテージ宮
パッツィ・クァラテージ宮

パッツィ家のヤコポの依頼を受けて1472年にG.ダ・サンガッロが設計・建築しましたが、1478年のパッツィ家による陰謀の後、館は共和国に没収されました。15世紀富裕階層の住居の典型。

バルジェッロ国立博物館
バルジェッロ国立博物館    バルジェッロ国立博物館
Museo Nazionale del Bargello

1200年代半ばに建てられた行政長官(ポデスタ)の館。
16世紀には司法長官(バルジェッロ)の役所兼邸宅となり、今日までその呼び名が残りました。
現在はミケランジェロをはじめルネッサンス期の彫刻を主に集めた博物館。
建物の一角には高さ54mの塔が建ち、典型的な中世の中庭Cortileには回廊や上階への階段が配置され、壁画はさまざまな紋章や石版などで飾られています。

博物館内部

ヘラクレス
『ヘラクレス』

バルジェッロ国立博物館 聖母子
『聖母子』

祭壇
祭壇

鳥の彫像
メディチ家がカステッロの館の為に製作させた動物の彫刻

『マーキュリー』 ジャンボローニャ
『マーキュリー』 ジャン・ボローニャ作

『バッカス』 ミケランジェロ
『バッカス』 ミケランジェロ作

『ダヴィデ』 ヴェロッキオ
『ダヴィデ』 アンドレア・デル・ヴェロッキオ作
(レオナルド・ダ・ヴィンチがモデルとか)

『ダヴィデ』 ドナテッロ
『ダヴィデ』 ドナテッロ作

初日から 毎日通っている 、ドォーモとシニョーリア広場広場を結ぶ カルツァイウォーリ通り沿いにある教会。 これ

外壁に 幾つもの彫像が鎮座しています。

オルサンミケーレ教会

オルサンミケーレ教会 オルサンミケーレ教会
Chiesa di Orsanmichele

1240年、小麦市場と礼拝所を兼ねた建物が建てられた(設計;アルノルフォ・ディ・カンビオ)が、火災で焼失し、1337年に当時の建築家たちにより再建。
オルティ・イン・サン・ミケーレ(聖ミケーレの菜園)が訛って現在の呼び名になりました。
外側外壁に立つのは14世紀の同業組合の守護聖人。

オルサンミケーレ教会

オルサンミケーレ教会外壁(北側)
ドナッテロ(?)『聖ペテロ』    ナンニ・ディ・バンコ『聖フィリッポ』
左) 『聖ペテロ』 ドナテッロ(?) 右) 『聖フィリッポ』 ナンニ・ディ・バンコ

ナンニ・ディ・バンコ『殉教の4聖人    (西面) ギベルティ『聖マタイ』
左) 『殉教の4聖人』 ナンニ・ディ・バンコ 右) 『聖マタイ』 ギベルティ

ギベルティ『聖ステファノ』    ピエロ・ランベルティ『聖ヤコポ』
左) 『聖ステファノ』 ギベルティ 右) 『聖ヤコポ』 ピエロ・ランベルティ

<南面>
(南面)  ドナテッロ『聖マルコ』    ナンニ・ディ・バンコ『聖エジディオ』
左) 『聖マルコ』 ドナテッロ 右) 『聖エジディオ』 ナンニ・ディ・バンコ

『バラの聖母』(作者不明)   ジャンボローニャ『聖ルカ』
左) 『バラの聖母』 (作者不明) 右) 『聖ルカ』 ジャン・ボローニャ

カルツァイウォーリ通り(東面)教会内部
(東面)   ギベルティ『洗礼者ヨハネ』    ヴェロッキオ『聖トマスの不信』
左) 『聖トマスの不信』 ヴェロッキオ 右) 『洗礼者ヨハネ』 ギベルティ

バッチョ・ダ・モンテルーポ『福音史家ヨハネ』
『福音史家ヨハネ』

教会内部
A.オルカーニャの祭壇
バッチョ・ダ・モンテルーポ
A.オルカーニャの祭壇(フィレンツェにおけるゴシック美術の代表例のひとつ)

祭壇 『恩寵の聖母』 ダッディ作
『恩寵の聖母』 ダッディ作

アルノ川へと向かいます。歩く

「フリーステイ フィレンツェ 4日目」 その2 へ続く