1月13日、日曜日。

高熱と背中の痛みで眠れない。
眠いのに横になることができないのが辛い。

内出血とむくみで歩くと激痛が走る。
最早1人でベッドから立ち上がることもできない。

立ち上がると、目の前が真っ暗になる瞬間がある。

それでも、酸素はまだ最大の5Lにはしたくない。
後がなくなって、呼吸が苦しくなるのが恐い。

腎臓が働かなくなってきたようで、
手足がむくむ。
その分トイレの回数が激減している。

そんな一日一回くらいの用足しにも
支えてもらわなければトイレに辿り着けない。

娘2人に抱えられてやっとトイレに辿り着いたら
目に前が二回ほど真っ暗になって粗相してしまった。
意識が朦朧としているTは
そのことにさえも気づかない。

気付いてから、Tは落ち込んだ。

どうしてこんな身体になってしまったのだ。

「この病気は、残酷だな」
Tが長女に呟いた。

長女は何も言えなかった。


長女は、しょんぼりした日曜日の父の姿が忘れられない。

病気で苦しんで死んでしまえ
と、本気で思ったことが何度もある。

彼女の呪いは現実になってしまった。

どうして
一生懸命誠実に生きてきた人間が
最後にこんな思いをしなければいけないのだろう。

父の粗相を片付けることなんてなんでもないが
落ち込んだ姿が本当に辛い。

ずっと弱音を吐かなかった父だから
トイレくらいで、落ち込んで欲しくない。

「トイレに行けなくなったら、人間じゃないよな」

誤解を招く発言かもしれないが
何十年、理学療法士というリハビリの仕事をしてきて
1人でも多くの人が自立できるようにと努力してきた。

どうしたら人間らしく生活できるのか考え続けてきた。

「T先生のリハビリは本当にしんどい」
と、みんな口を揃えたが
たくさんの人が元気になった。


午後、末妹夫婦とその長男が見舞いに来た。
甥っ子にはカヌーも自転車も教えた。

もちろん、もうすっかり大人だが
男の子がいなかったTにとっては
可愛い甥っ子だ。


疲れていたので横になったまま話をした。

末妹とは、先日グループホームに入っている母のことで
大げんかしたばかりだった。

Tは、母のことを出来るだけ自分で見たくて
いい施設を探したかったが
結局全て妹達に任せる事になった。


Tはもう、何も出来ない。

ままならないことばかりだ。


長女が前泊で仕事があるというので出掛けて行った。

いつも通り、
「気を付けて行けよ。頑張って来いよ。」
と、Tが言った。

「うん、行って来るね。」
と、長女はTの手を握った。

温かい。
Tは生きている。
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夜ご飯は風月のお好み焼きだった。
認知症の母を連れて、よく食べに行ったものだ。
お好み焼きを、ふた口だけ食べた。

これが最後の固形の食事になった。

か細い声で愛犬を呼んでも、
こっちに来ない。

もうすぐ死ぬ人間に
犬は近づかない。
8日に退院してから、毎晩熱が出る。

むくみと内出血の広がった足が痛くて眠れない。
腕にも注射痕の内出血が拡がってきた。
左眼の血豆はなくなってきたが青紫の内出血は相変わらずだ。

すっかり肉が落ちた背中の骨が横になると痛い。
骨と布団が当たる部分にも内出血ができた。

むくみで腫れた皮膚は脆弱で
皮膚が破れると、血が止まりにくい上、感染症にかかる危険性がある。
それを防ぐため、次女がストッキングを切ってカバーしてくれた。

始めは左足だけだったが、両足になり、両手両足になった。

貧血状態なので風呂に入る体力がない。
看護師の次女がテキパキと身体を拭いてくれた。

泣いてばかりだった次女は、こんなにも看護のプロになった。
立派になった。
病気がなければ、知らなかったことだ。

味覚障害もまだ続いている。
長女が柿をむいてくれた。

甘くて美味しかった。

愛知の義父が作った柿を食べたいなぁ、とTは思った。


酸素吸入器はマックスが5Lだが
後がなくなると怖いので
よっぽどしんどいとき以外は2Lか3L辺りにしている。

身体の中で白血病細胞が暴れている。

1月11日、金曜日。
退院後、通院で初めて輸血した。
長女がビッグホーンに乗せて連れて行ってくれた。

これまでの注射の後がものすごいことになっているので
採血するのに看護師が四苦八苦していた。

採血の検査の結果、
好中球が遂にゼロになった。

好中球は、白血球の一種で感染を防ぐ役割がある。

それがゼロになるということは、

そういうことだ。

こんなにも早いのか。


Tにはやっておかなければならないことがたくさんあった。

初期の入院の頃
病気がよくなったとしても、カヌーはもうできないだろう、
と全て処分していた。

少し走るくらいなら、と自転車は残していたが
臍帯血移植前に1番気に入っていた一台を残して甥っ子たちにあげた。

この自転車を処分しなければいけない。

見積もりに出したら、
30万円で買った自転車が、5万だと言われた。

少しでもお金を遺したかったが、
あまりの安さに二の足を踏んだ。

そしてもうひとつ。
愛車のビッグホーンを処分しなくてはいけない。

ビッグホーンは、いすゞから出た名車だが
既に廃盤でもあるので、メンテナンスにとてもお金がかかる。

通勤はもちろん
カヌーや自転車を載せて26万キロ走った。

エンジンから内装まで
手塩に掛けた愛車だ。

そんな愛車を処分するのは本当に辛いが
大きい車は家族の誰も乗らないので仕方なかった。

もう一台のスイフトより、よっぽど運転しやすいのに。


赤血球を輸血したので風呂に入ったが
浸かると体力を消耗してしまった。

輸血した先からザルのようになくなっていく。

風呂好きのTが風呂に入ったのはこれが最後だった。

両脇を支えて貰わないと、階段を上がれなくなった。
次女の提案で、Tのベッドを一階に移した。


長女が自慢の餃子を作った。

失敗したとか言っていたが
味覚障害で相変わらず味がわからない。

「せっかく美味しい餃子やのに、味がわからんなぁ」
とTが言うと

「あんま美味しくないから、わからんくて丁度いい。」
と長女が笑った。



1月12日、土曜日。
6社に愛車の見積もり依頼をしたら
4社が早々に集まった。

名刺の裏に金額を書いて一斉に出してもらい、1番高い金額の会社にお願いした。

他の会社が、後で五万上乗せすると電話してきた。
そんな姑息なヤツにビッグホーンは渡せない。

この走行距離で、車検一ヶ月前で、他の車なら普通は廃車だろう。

やっぱり自慢の愛車だ。

久しぶりに大好きな車の話ができたのが嬉しかった。

気の良さそうな担当の兄ちゃんは18日に取りに来ます、と言った。
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見積もりで随分体力を使った。


昼間は、Tの隣に孫のベビーベッドが置いてある。
2人並んで寝ているのがなかなかおもしろい。

孫はベッドに設置されたクルクル回るメリーに夢中だ。

たまに目が合うと、Tを見てニコニコ笑う。

赤ん坊の生命力は不思議だ。
周りを元気付ける力がある。
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未来ある孫を見つめて
Tは何を思っただろう。


退院してから、寝る前に三人の娘たちと会話するのが日課だ。

取り留めのない世間話ばかりだが
そんなことが大切なひとときだ。

思えば、そんな会話も病気になるまでしたことがなかった。

もう寝ろ、と娘たちを促して床に着くが
Tは熱と痛みで眠れない。

孫への授乳のついでに
次女がいつも夜中に様子を見にきてくれた。


もう一度、吉野川を見たいなぁ、と、Tは思う。

たくさん遊んで
子どもたちを連れて行って
職場の仲間たちにカヌーの楽しさを教えて
たくさん友人ができた場所だった。

愛犬のアプルもアモネも連れて行った。

暖かくなったら、アモを連れて吉野に行こう。
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やっておきたいことは、
まだまだたくさんあるのだ。


2013年1月8日 退院した。

お世話になった先生方、看護師の方々たちには
もう二度と会うことはないだろう。


家でのTの寝床は二階だ。

次女は、
すぐにしんどくなるかもしれないから、一階の部屋にしたら、
と言ったが

一階から二階に上がるのもリハビリになるから、と断った。
これ以上筋力を落としたくなかった。

感染症対策のため、新しい布団に空気清浄機が用意されていた。

在宅用酸素吸入器も用意されていた。

こんなもの、必要ないのに、とTは苛立ちを見せた。

これからは、町のクリニックから往診に来てもらう在宅医療となる。
治療はしないので、痛いときや苦しいときに対応してもらう緩和医療だ。

週二回、赤血球と血小板を輸血してくれる病院も手配した。

今まで毎日だった輸血が週二回になるのは不安だったが
通院ではそれが限界だった。

退院したその日に職場へ辞職の連絡をした。
二年もの間、籍を置いてもらっていたことが奇跡なのだ。

辞職してしまえば、国保に切り替わる間、無保険になってしまう。
それでは膨大な医療費を払えない、
と家族に止められた。

自分には退き際の美学さえ許されないのか。


Tはどうしても生まれ故郷の下関に行きたかった。

10年程前から、下関の父とたまに会うようになっていた。
18歳から断絶していた父と、不思議な強い絆ができていた。

その父もまた、末期の肺がんだった。

「俺が先か、お前が先か」
と父が言い、Tも笑った。

下関に戻り、父と最後に会い、
関門海峡の見える旅館でふぐを食べたい。
若くして逝った友人の墓に参りたい。

新幹線に乗れる体力はもはや残っていなかったので
長女と三女が車で連れて行ってくれることになった。
旅館を予約した。

いつに間にかどこかでぶつけたらしい左足が内出血し
日に日に拡がって、歩くのが痛くなってきた。

むくみも出てきた。

一階と二階を這うようにして行き来するようになった。
赤血球がないので、一度上っただけでゼイゼイうずくまってしまう。
酸素吸入器が必須になってきた。

「お父さん、下関は諦めて」
妻と次女に説得された。

「残り少ない時間を、一緒に日向ぼっこして過ごそうよ。」
妻が泣いて謂う。

「わかった。」
Tは決めた。

T自身、あまりにも急速に衰えて行く身体を痛感していた。

長女は説得しなかった。

途中で死ぬかもしれなくても
最後に行きたいところへは絶対行きたい。

長女には父の気持ちがわかる。
Tと長女は、そんなところがよく似たのだ。

下関の父に行けなくなったと伝えると
「俺が奈良へ行く」
と父が言った。

最後に会いたいのは、向こうも同じらしい。


「どうしてそんなに会いたいん?」
母やTたちに苦労させた父のことを
家族はあまりよく思っていない。

妻からの問いに

「父と息子だから」

とTは答えた。

父子の絆とはかくも不思議なものらしい。
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