静岡県熱海市を歩く13
放浪日 2024年9月16日
【起雲閣】の【ローマ風浴室】を観たら、入浴したくなりました
てか、【起雲閣】さんに宿泊がしたくなってきていますw
皇国第一等之温泉“豆州熱海全図”という絵図がありました
何時代ぐらいの熱海の絵図なのでしょうね~
明治時代から大正時代にかけて土産物として売られていたのですね
先ほど観たのは1884年・明治17年頃の絵図でありましたか
1908年・明治41年8月の改訂版です
町割りは変わっていませんが、温泉旅館が大きくなっている様に観えます
徐々に熱海の虜になった日本人が増えて行ったのでしょうねw
当時の鉄道時刻表が記されています
これは、次の旅の予定を立てるのに便利ですよね
通常、1日2便の運航でしたか~
東京から熱海まで、汽車→鉄道馬車→人力車と乗り継ぎ、1円21銭かかります
人力車を駕籠に変えたら1円58銭でした
汽船と早船で小田原まで行ったら、24銭高いのか~
いったいどれだけの時間がかかるかが不明ですけど
小田原から熱海まで約4時間かかっていましたか!
現代では在来線で25分程度の行程です
1914年・大正3年1月の改訂版をよく観ると
温泉旅館が増えており、2階だった旅館が3階建てになっています
熱海旅行が大流行した時代なのでしょうか?
この時代で温泉の効能や分析結果を示すようになったのですね
日本全国で温泉旅行ブームが起きたのでしょうか?
東京から熱海まで鉄道が通り、1円64銭で行けるようになっています
小田原熱海間の駕籠が1円2銭から5円と5倍の金額になっています!
人力車は65銭から3円以上というその日の時価設定だとは!
この時代から人手不足に悩まされていたのでしょうか?
おお!江戸時代に発行された全国温泉番付がありましたよ
江戸時代から日本では温泉巡りの習慣があったのですね~
温泉番付には横綱は存在しておらず最高位は大関だそうです
東の大関は“草津温泉”東の大関は“有馬温泉”と納得いく番付です
別府温泉は前頭の実力でしたか~
熱海温泉は何故か行司の立ち位置ですけどw
明治時代になったらどんな番付になっているか観てみましょう!
あまり変わっていなかった件でしたw
唯一、秋田の小鹿島の湯が前頭から小結に昇進しています
この温泉地でどんな革命が起きたのでしょうか?w
畳敷きの廊下を通って、次のお部屋へ向かいましょう
床が畳敷きというだけで高級感が生まれますよね
このお部屋の色は“ベンガラ色”でした
暗い赤みを帯びた赤茶色であります
こちらのお部屋は1919年・大正8年完成の【孔雀】というお部屋です
このお部屋も初代主の内田さんが母の為に造ったお部屋です
暖かみのあるベンガラ色に床柱は“杉絞り丸太”で変化を加えています
そして、スズラン型の照明が可愛らしい
こちらは昭和型のファンヒーターなのでは?
令和時代の今でも現役だったら凄いですよね!
さて、最後に庭園を歩いて観て終わりましょう♪
隅から隅まで整備されていて、どこを観ても綺麗です
小道に床石を敷き、芝との段差をつけています
これによって芝の上を歩く人は少なく、綺麗な芝の管理ができますね
1階が【麒麟】と2階が【大鳳】の建物です
外観は落ち着いた雰囲気ですが、内装がド派手という
内弁慶のお父さんの様ですw←ちょっと例えが失礼ですw
【玉姫】と【玉渓】のコンビは
可愛らしいお嬢様姉妹の様な雰囲気です
こちらの離れはちょっと変わった性格の叔父さんっぽいw
色んな流行に染まりやすい性格が伺えますw
やはり後ろから全体を見守っているのはお母さんでしょう!
お母さんからは全ての庭園が見渡せるようになっているのは
家族からのプレゼントなのかもしれませんねw
おばあちゃんはあの松の木の後ろにひっそりと暮らしています
お母さんに家族のことを託してからは
好きな木々に囲まれて鳥などと会話しながら暮らしています
家族が庭園を中心に
それぞれのプライバシーを維持しながら
時に集い、時に喧嘩して、幸せに暮らしているような【起雲閣】ですね~
おじいちゃんは【金剛】と【ローマ風浴室】でしょう!
このお部屋だけは代々受け継がれなければいけない気がします
あもんはいつか、【起雲閣】が旅館で復活したら
退職金を使ってでも一棟貸しで泊まって観たいですw
↑あもんの退職金でも心細いかもよw
ということで、続きます





























