【清荒神清澄寺】の境内を歩いて観て、人気の凄さが分かりました! | あもん ザ・ワールド

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兵庫県宝塚市を歩く9

放浪日2019年11月2日

老舗店舗が並ぶ【清荒神清澄寺】の参詣道を歩いて観ています

参詣道を歩いている人は結構多いです

近隣地域では“荒神さん”と呼ばれ親しまれているお寺の様です

近年では関西でもトップレベルのパワースポットと言われるようになり

若者のハートも掴んでいるご様子です

江戸時代や昭和時代の観光旅行ブームの時は大盛況だったのでしょうね

現在はどこかひっそりとしていますが、こういう雰囲気も好みです

おお!龍の頭部分まで来ましたよ!

龍の身体を登ってお寺に行くとか、縁起が良いですよね

まずは山門が現れました

小ぶりながらも立派な山門です

明治40年頃に建立されたと伝えられています

やはり、平安時代に宇多天皇が“日本第一清荒神”と言ってくれたことが大きいですよね

平安時代から現代まで参拝者が途絶えない人気寺になっています

境内配置図を見ると、“本堂”と“拝殿”があります

つまり、寺院と神社が一緒の境内にある“神仏習合”の形態を維持していることです

明治初期に発令された“神仏分離令”に合意しなかったという事です

この様な寺院神社は日本に数えるぐらいしか残っていません

まずは本堂から

本堂は江戸末期に移築された建物でしたが、平成の大改修で今日の姿となったそうです

本尊である“大日如来”と“不動明王”“弘法大師”が祀られています

本堂前には“一願地蔵尊像”がおられます

この大きなお地蔵さんに柄杓の水を高々と上げながら、一つだけお願いごとをすれば叶うと言われています

とても巨大なお地蔵さんなので、皆さん勢いよくぶっかけていますw

水に顔がかかれば願いが叶うとも言われていますが、なかなか到達しないご様です

お次は神社に参って観ましょう

考えれば、寺院と神社を一度に参れるのでお得ですよね

布袋和尚がおられましたよ!

元々は中国の高僧で、大きな袋を杖にかけて担いで全国行脚をしていたらしいですが

日本ではひょんなことから七福神の一人とされ、一気に人気者になった和尚です

拝殿です

ここには、三宝荒神王、大聖歓喜天、十一面観音菩薩他が祀られています

祈れば、富貴を授け、病を除き、夫婦和合・子を授かるなど良いコトづくしです

また、徐病・減罪・求福を祈れば厳正利益を得られるという良いコトづくしです

人気な理由が分かりますね

ん?“荒神影向の榊”とあります

神様がおられる拝殿の裏にあるそうですが、何でしょう?

拝殿の裏にあったのは“護法堂”という建物でした

とりあえず、全ての神様にお願いしておくのが神社ルールでしょう

神様は何度でもお願いを聞いてくれますから

カッコイイ神殿造りの建物です

長く伸びた庇が特徴的ですね

その建物裏にあったのが“荒神影向の榊”です

開創時に荒神様が姿を現した神聖なる場所です

あもんたち一般人が近寄っても良いのかな?と思いました

全くもって、OKだそうです!w

みなさん、神聖なる地にお賽銭を納めている様子です

でも、柵の間に棒がありますけど?なんでですか?

実は、ここは、お賽銭を納める所では無く

お賽銭を頂く所だそうです!

おぉ!これは、珍しい!!

砂を棒でホジホジしながら、お賽銭を頂くみたいです!!

なんとも変わった風習ですね!

頂いたお賽銭を紙に包んで財布に入れておくと小遣い銭不自由はしないと言われています

しかし、ルールがひとつあり、次回参詣時には、そのお賽銭を倍返ししないといけないそうです

あまり欲張ってはいけないようですよw

古くからの習わしも環境問題を考えることになりました

日本人は何事にも真面目なんですよね

おぉ!なんですか、これは?

なるほど、なるほど!火の神様だったのですね!

大量の火箸が納められています

【清荒神清澄寺】の人気の凄さが分かります

人々の暮らしに欠かせない火は万物を浄化する神聖なモノとして古来より尊ばれてきたそうです

現代では使わない火箸がこんなに大量に見たら圧巻ですね

ちゃんと分別奉納されています

日本人は何事にも真面目です

火を使う台所は家庭や会社の中心で、台所が賑わえば、家庭や会社が繁栄するという信仰です

その信仰が家内安全、商売繁盛、厄除開運などの現世利益をもたらしますから!

別格の箱入り火箸もあるという!

どこかのお偉いさんの奉納品なのでしょうね

【清荒神清澄寺】の人気の凄さを学ぶことが出来ました

近隣さんだけでなく全国で“荒神さん”と想われ愛されているお寺さんなのですね

この字が今と言う字だという事を、この時初めて知りました!w

“ラ”じゃなくて“テ”なの!!

いつ、どんな理由で“ラ”になったの!!

旧字体が新字体に変わったのは戦後の“国語改革”によるものだそうです

その時字体が変わったのは1,850もの文字です

その理由は“従来使われている漢字は多すぎて、使い方も複雑なため、教育上または社会生活上多くの不便があった。これを制限することは、国民の生活能力を上げ、文化水準を高める上に、資するところが少なくない”と言うことです

“テ”から“ラ”に変わって、国民の生活能力と文化水準が高まったそうですよ!

 

ということで、続きます