色んな事に諸説あるらしい小倉の町を歩いて観てみよう! | あもん ザ・ワールド

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福岡県北九州市小倉を歩く1

放浪日2019年8月18日

 

2019年8月8日から10日まで“マニアックな兵庫旅”をしてきました

帰宅して一日休息を取った後、あもんは再び旅に出ることにしました

『えっつ!?あもんって人、働いているの?』と言う疑問を持たれる方がおられると思いますが、働いています

大卒から同じ会社で、20年間を超える勤続年数です

あもんの人生の目標は“働きながら旅をする”ということで

仕事を止めて日本一周するという事では無く、マイペースに時間の許す限り好きなスタイルで全国を旅しているのです

さて、今回の旅先は九州です!そして、“マニアック九州”です!w

今日はいよいよ最終日!福岡県を楽しむ予定です♪

まずは福岡県北九州市小倉にある【魚町銀天街】から歩いて観てみましょう♪

朝一散歩なので、しっかりとお店は閉まっていますw

シックなアーケードが掛かっています

実は【魚町銀天街】は“公道上にアーケードが架かる商店街”としては

日本の発祥の地であります!

1950年に日本で初めて公道上に全長130mのアーケードが完成しました

“銀天街”と言う名称は全国にありますが、そう名付けたのも【魚町銀天街】が初めてです

“銀の天井に輝く町”を意味するそうです

『それ!いいじゃん!』と各地の商店街が『俺も!俺も!』となったそうです

古い商店街のサガである商店街火災の歴史もあります

2014年2月に3丁目において火災が発生し、11棟が全半焼

そして、記憶に新しい2024年1月3日の一丁目付近の火災

この火災で35店舗2900mが焼失してしまったそうです

共にけが人が居なかったのが幸いでしょう

この正月は1日2日と大きな出来事があったので、あまり話題にはなりませんでしたが、小倉にも被災された方がいることを知っていてください

さて、【魚町銀天街】を抜けるとお城が観えてきます

大都会小倉の町に建つシンボル的存在の【小倉城】です

なんですか?この変わった建物は?

歴史が深い小倉ですが、現代建築物も面白い建物が多いです

商店街から【小倉城】へ架かっている【鴎外橋】です

小説家であり軍医であった“森鴎外”は小倉にゆかりがあった人物なのですね~

冬には有名なライトアップがあり、恋人の聖地にもなる所です

あちらに架かっているのは【太陽の橋】です

なかなかユニークは橋姿をしていますね~

何もモニュメントでしょうか?

“小倉空襲”の鎮魂像なのでしょうか?

長崎市の原爆投下は、当初計画では、ここ小倉が投下予定地でありました

【小倉城】の歴史は1569年に毛利氏がここに城を築いたことから始まります

その後、関ヶ原の戦い後に“細川忠興”が入城し、天守閣を築きました

小倉藩初代藩主であった“細川忠興”は“唐造り”と呼ばれる特徴的な城を築城しました

そして、城下町小倉の町を作り上げたのも“細川忠興”であります

白く美しい天守閣ですね

大都会の憩いの場として、小倉人の自慢のシンボルとして活躍中です

角のラインが揃っていて、美しい!

“知勇兼備”と言われた細川忠興の生まれは京都でありました

彼は小倉の町づくりで、京都をお手本にして造ったそうです

町割りや町名などを学んで観ると、それがよく分かります

また、小倉の人々にはお馴染みの“小倉祇園太鼓”も今日の文化のひとつとして取り入れたそうです

実は【小倉城】の天守閣は一度焼失しており、約120年間、天守がない状態が続いていました

この天守閣は昭和34年1959年に再建されたそうです

小倉市制施行60周年を記念して建てられた鉄筋コンクリート造城です

再建の際には当初は無かった千鳥破風が付けられ、当初より豪華になったと言われています

えっつ!それ、再建なの?と思われる方も多いでしょうが

【小倉城】は外観をそのまま再現した“復元天守”では無く

外観を正確には復元してはいないモノの、当時と同じ場所に建てられたという“復興天守”であるそうです

あもんもそんな分類があるとは知りませんでした

ゆるキャラは“とらっちゃ”です

2009年小倉城再建50周年を記念して誕生しました

趣味は“ぬか漬けを作って食べる事”で、特技は“とらっちゃダンス”らしいです

えっつ!“宮本武蔵”と“佐々木小次郎”?

小倉市にゆかりがあったの??

若くイケメンな武蔵!

宮本武蔵は藩主細川忠興が居た時代に7年も小倉に滞在していたそうです

なるほど!巌流島の戦いの許可を出したのが、細川忠興でしたか!

行政に決闘の許可を得るとか、二人とも真面目に決闘をしたかったのですね!

イケメン佐々木小次郎もいます!

佐々木小次郎は、藩主細川忠興に仕え、小倉藩の剣術師範を務めていたと言われています

そして驚いたことに“佐々木小次郎”と言う名前は実は正しいかどうかは不明だそうです

“佐々木小次郎”が歴史に出たのは、巌流島の戦いより230年も後のことであって

その出生年にも諸説あるため、この時18祭とか、50代とか、70歳とか諸説あるそうです

もしかしたら、架空の人物であるかもしれません

でも、もう、“イケメン小次郎”で定着しているので、それで良きだと思います!w

俳優の佐々木蔵之介さんに寄せていませんか?w

さて、先ほど見つけた気になる【太陽橋】を渡って観ましょう♪

なかなか斬新なデザインですね

芸術性が高い橋だと思います

【太陽橋】全体が芸術作品の様です

この様な橋が架かっている小倉市民が羨ましいですね~

ん?だれか2人いますよ?

えーーー顔がマカロニ??

なんですか、彼らは!?

顔がしっかり、マカロニw

そして、何故マカロニ?w

多くの人がこのマカロニに手を突っ込んでいるそうです

そして、何故マカロニなのかは、諸説あるらしいので

多くの人がその真意を知らないらしいですw

 

と言う事で、続きます