【片島魚雷発射試験場】で、志願兵たちの声にそっと耳をすませて観よう! | あもん ザ・ワールド

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長崎県東彼杵郡川棚町を歩く4

放浪日2019年8月16日

 

【片島魚雷発射試験場】で、そっと耳をすませて観ています

【片島魚雷発射試験場】では

全国から志願または学徒動員された数万人の若者たちが訓練を受けていました

ここから出陣し、尊い命を落としたのは、3511人と言われています

戦前の日本では徴兵制があり、男子が20歳になれば徴兵検査を受けなければいけませんでした

検査の結果、甲乙丙丁戊と分けられていたそうです

甲と乙は合格の基準でしたが、戦況に伴い丙まで適用されるようになりました

必要に応じて赤紙が来て召集されていったそうです

太平洋戦争が起こると年を重ねるごとに戦況が厳しくなり

兵役年齢が19歳以上となり、17歳以上まで引き下がれました

また、それ以外にも“志願兵”と言う仕組みがあり、17歳以上の規定でありましたが

遂には14歳以上までに引き下げられることになりました

“志願”とは自らが願うことではありますが、14歳の少年が本当に自ら願う意志があったのかは分かりません

周りの人や学校などが、“強く勧める”と言う事もあったのだと思います

そんな仕組みを作り上げた当時の日本国で育った少年たちへ捧げます

『貴方はひとりで』

                                 

 貴方はひとりで生まれてきたけれど

 決してひとりぼっちでは無かった

 貴方はひとりで泣きわめいたけれど

 まわりのみんなは笑っていたのだ

 貴方はひとりで旅立ち去ったけれど

 決してひとりぼっちでは無かった

 貴方はひとりで背負い続けたけれど

 まわりのみんなが支えていたのだ


 貴方はひとりで生きると決めたけど

 決してひとりぼっちでは無かった

 貴方がひとりで逝ってしまう時には

 周りのみんなはまたねと言うのだ


 

 貴方はひとりになることはできるが

 私が命をひとりぼっちにはしない


【片島魚雷発射試験場】はなぜ?米軍の空襲被害に遭わなかったのでしょうか

日本側の見解としては、米軍がこの試験場の存在に気付かず、ビール工場と間違えていたと言われています

しかし、米軍は早くからこの施設の存在を偵察機から確認しており

航空写真で全ての設備を把握していました

施設の目的と全貌を把握していながら空襲攻撃をしなかったということは

米軍の空襲リストとして戦術的価値を見出せなかったのかなと思います

だけど、今勝手なことを言わせてもらうと

日本の戦況が悪化する前に【片島魚雷発射試験場】は壊してほしかった

そうすれば、理不尽な意志を持たされた志願兵たちが生まれることはなかったでしょう

老朽で崩れた戦争遺構の上に育っていた木々たちは

まるで、あの時の志願編の様に観えました

これを彼らが伝えたいメッセージだと噛みしめます

『怖い』とか『嫌だ』とかを少年が言えなかった時代があった日本国

そして現代もどこかの国で、あの時代の日本国と同じ運命を進んでいる国がある

そんなことを考えさせてくれた

【片島魚雷発射試験場】跡地でした

ん?この広場も【片島魚雷発射試験場】跡地なのでしょうか?

護衛艦もちづきの横断幕があります

1969年から1999年まで活躍した護衛艦らしいです

総航程は約地球33周分に達したそうです

えっつ!なに?この楽しそうな乗り物は??

【片島ドリームランド】と看板がありますよ!

あの志願兵たちが返ってきた時にすぐに遊べる施設を作っていたのか!?

詳細は不明ですw

 

ということで、続きます