【片島魚雷発射試験場】で“時が建築する芸術”を眺めてみよう! | あもん ザ・ワールド

あもん ザ・ワールド

君へと届け 元気玉

長崎県東彼杵郡川棚町を歩く2

放浪日2019年8月16日

 

かつて、東彼杵郡川棚町には、国家機密が存在していました

現代は【片島公園】として整備されており

【片島魚雷発射試験場】が老後を静かに過ごしています

【片島魚雷発射試験場】とは

第2次世界大戦の最中に

佐世保海軍工廠や三菱長崎兵器製作所で製造された魚雷の発射試験が行われた試験場の跡です

片島は現在陸続きですが、魚雷発射試験場が築かれた大正7年には大村湾に浮かぶ島でした

昭和17年に埋め立てが行われ、【川棚海軍工廠】が開設されています

戦況の悪化した昭和19年には横須賀から魚雷艇の訓練所が移設され

【川棚魚雷訓練所】が開設されます

同年9月頃からは、震洋(特攻艇)要員の育成が開始されます

更に回天(人間魚雷)、伏龍(機雷)、蚊竜(小型潜水艇)などの特攻要員育成も行われました

 

この建物は【空気圧圧縮喞筒所】で

喞筒(そくとう)(ポンプ)を使って魚雷内の空気室に空気や酸素を圧縮して装気する作業を行っていました

皆さんはどの様な事を想い、ここで魚雷に空気を充填していたのでしょうか?

 

周りに生い茂る木々たちがそっとその想いを聞いていたのかもしれません

 

おっつ!あれは【魚雷発射場】なのでは?

あの管制塔で試験結果を観察していたのでしょう

近くまで行けそうな気がするので、行って観てみましょう♪

どうやら、近くまで行けるみたい♪

はい!魚釣りはしません!

桟橋には溝が掘られています

これを利用し、台車に乗せて魚雷を運んでいたと予想します

直角に曲がった桟橋であります

元々穏やかな大村湾を囲んで無波を造ったのでしょう

桟橋は結構、老朽化が進んでいます

足元に気を付けて進みましょう

管制塔の横にピットが造られています

ここから魚雷が発射されていたのでしょうね

この破壊具合は、戦時中に急ピッチで造られたからでしょうか?

戦況悪化に対応するために必死だったのが伝わります

この煉瓦の塊は管制塔の壁でしょう

人力でここに置くことは不可能なので、たまたまここに落ちたのか?

いや、この管制塔はピットを跨いだ建物だったっぽいぞ!!

戦争遺構の自然崩壊の有り様を観られて、少々興奮しております!!w

いや、敵国の攻撃でこうなったのか??

あれやこれやと妄想していると、楽しいです!

入り口の扉は外されています

終戦間近の金属回収令によって回収されたのか?

魚雷発射の観察をする丸窓でしょう

丸窓の窓枠の金属まで回収されたっぽいぞ!

魚雷はここから、どの位の距離まで到達したのでしょうね

あの半島ぐらいまで届いたのかな?

煉瓦造りの管制塔

内部から観たらちょっとアートっぽいですね

結構な高さがあるし、窓開口も多くあるので、耐久性は弱い建物でしょうね

所々、白い漆喰で補修しているっぽいです

緊急な補修みたいですが、その努力が現代ではアートになっている気がします

崩壊された部分の曲線も、造ろうと思っても造れない形でしょう

崩壊に風化や劣化も加わり、“時が建築する芸術”がここには在ります

“時が建築する芸術”には様々な日本人の喜怒哀楽が込められています

理不尽だと想っていても

それを主張することはなく

ただ従順に命令に従って

そうでもして命を繋げることをしてきた時代

『こんちくしょう!』と言って、全てを投げつけてやりたい気持ちも大きかったでしょうね

だから、あもんたち現代人は“感謝”をしなければいけません

彼らが命を繋げてくれなかったら、あもんたちは生まれていませんから!!

そう想いながら、【片島魚雷発射試験場】を眺めています

※現在はこの建物周辺は立ち入り禁止となっているそうです