安芸高田市を歩く6~【郡山城】で“毛利家”の墓参りをして観てみよう!~ | あもん ザ・ワールド

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放浪日 2019年5月1日

 

安芸高田市とは広島県の北部、島根県県境に位置します

2004年の大合併により出来た新しい市でもありますが

中世の時代から武士が入部し、繁栄していた歴史のある地です

あもん達広島人にとってこの地は“吉田町”という呼び方が馴染みがあります

この日は“毛利元就”の居城であった【郡山城】を歩いて観ています

ちょっとした公園っぽくなっているのは

防災工事によって整備されたからだそうです

なるほど!その工事により、安芸高田市の遺跡が出てきて

新たな歴史が紐解かれたってわけですね!!

一石二鳥とはこのことなでしょう

“毛利隆元”のお墓がありました

迷うことなく行って観ましょう

“毛利隆元”とは“毛利元就”の嫡男、つまり跡取りです

彼の弟が“吉川元春”と“小早川隆景”で、彼の息子が“毛利輝元”です

嫡男に関わらず知名度が低いのが“隆元”なのであります

“隆元”が生を受けた時の中国地方は“大内家”と“尼子家”という二大勢力が実権を握っており

毛利家はどちらかに従属していないと生き残れないほどの力でした

そこで、“隆元”は15歳になった時に“大内家”に人質に出されます

戦国時代ではよくあったお話ですよね

今となって考えれば15歳とは中学生の年頃

“隆元”はどんな心境だったのでしょうか?

“大内家”は当時、山口県の守護大名であって

京都の文化に精通した教養のある“大内義隆”が当主でした

この時に山口県は『西の京』と言われるほど雅な町となっていきます

その町を観た“隆元”は大きな衝撃を受けたでしょう

さらに、“隆元”は人質と言えど、当主にとても可愛がられたみたいです

数年後、“隆元”は安芸高田市に帰ってきて、後に毛利家の当主となります

しかし、この時も“元就”は元気いっぱいで、実権を握っていたのは元就でした

しかも、弟2人が優良な家臣だった為に、当主“隆元”はあまり活躍しなかったみたいです

その後“隆元”が飛躍したのは“厳島の戦い”でした

この戦いは“隆元”を寵愛した“大内義隆”の弔い合戦だったからです

毛利家は、この戦いの勝利により山口県の実権を握るようになり

毛利家を戦国大名の一家として名を挙げた結果となりました

大きな飛躍を遂げた毛利家の次なる敵は、山陰に勢力をふるう“尼子家”です

尼子侵略に向けて“隆元”は山陰地方へ進んできました

しかし、“隆元”はこの尼子侵略の時に急死してしまいます

戦いで命を落としたのではなく

ある武将から饗応を受けた直後に体調を崩しました

41歳であった突然の“隆元の死”の原因は

現代でも謎に包まれているそうです

ほう!尼子家との戦場があったのですね!

おおーあそこか!!とよく分かります!w

どんな戦いかは分かりませんが、どんな戦いでも妄想しても良いですw

それが、古戦場跡の楽しみ方だと思います

さてさて、お次は“毛利元就”の墓所へと行って観ましょう

そこは聖地になっており、参道がしばらく続きます

安芸高田市のひとつの観光モデルとなっています

毛利元就について知りたい方、郡山城を歩いて登ってみたい方向けのルートです

“毛利元就”も幼くして両親を亡くし、父の遺産や地位を家臣に奪われ、謀反を起こした弟を成敗するなど、過酷な人生を過ごしていました

その影響により“堅実な性格”だったと言われています

派手な戦いよりも、調略による勝利が得意だと知られ、“知将”と呼ばれるようになりました

えっつ!文部省が管理しているの!

ん?これは誰のお墓でしょう?

用十郎と書かれていますが、誰ですか?

毛利家の繁栄に尽力した方ですか?

全く分かりませんでしたw

もしかしたら、誰かに秘密にされているのかもしれませんw

おお!ここが【郡山城】だったことが実感できます

この石垣の横を多くの武将たちが通ったのだと思うと感慨深いです

毛利家のあらゆる歴史を知る石垣たち

彼らにそっと耳をすませば、元就公の声が聞こえてくるかもしれません

そうして、古城フェチの方は楽しむのでしょうw

元就公は『天下を競望せず』と常々語っていたと言われています

これは、自分の代ではこれ以上(中国地方以上)勢力拡大しないという意志からです

息子や孫にまで“遺訓”として残したことから、その想いは強かったのでしょう

その真意は語られていませんが、元就の想いは江戸時代成立まで続いたのだと思います

おお!これが“毛利元就”のお墓ですか!

どことなくオーラが広がっており

パワースポットであること間違いなしでしょう!

『これが毛利元就の力か!』と思わず呟いてしまいました

そしてまだ、遠くに居られるとも感じます

木々たちも元就公にパワーを頂いているご様子で

神聖なる光に包まれている静寂な場所

ここで思い偲ぶには、丁度いい舞台ですね

朝の掃除のおじさんが働いていました

こうして元就公は現代でも見守られているのですね~

ん?“毛利一族”のお墓でした!!

完全に元就公に話しかけるモードだったのに!!

まさに、元就公の調略にひっかかった感じですw

どうやら、あもんは元就公に一瞬で攻め落とされるようですww

 

ということで、続きます