呉市を歩く22~あの遺産に逢えるまで、待ち続けること十数年間でしたw~の巻 | あもん ザ・ワールド

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放浪日 2018年11月24日

 

“日本遺産のまち 呉”を歩いて観るために

まずは、【歴史の見える丘】で【旧海軍工廠】を眺めています


大きなドッグが二つもあります

船が入っていたら、これまた、壮観な眺めだったでしょう

明治16年、西日本に軍港用地を探していた海軍省は

三方を山に囲まれ防御に優れた土地で、艦艇の入出港や生産の拠点として適していたことから

呉市に目をつけました

それが現在の呉市の始まりであり

島と港と造船という景色が広がっております

1884年、日本は横須賀に鎮守府を開設します

その後、1889年に呉と佐世保に、1901年に舞鶴に鎮守府を開設

第2次世界大戦後に鎮守府は廃止されますが、続いて鎮守府に海上自衛隊の地方隊を置き

『海兵さんの町』は継承されるようになります

そして、2016年、『鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~』として、日本遺産に認定されました

クレーンフェチである、あもんはクレーンに夢中ですがw

動かないかな?と観ていたけど、動きませんでした

島と港と造船とクレーンとが

あもん遺産に登録されたみたいですw

ここまでアップして覗くんかい!w

どんなに覗いても、動きませんよw

これは、【噫(ああ)戦艦大和塔】です

昭和44年の第30回大和進水日(8月8日)に建造されたそうです

“大和進水日”が定められるほど、日本国民にとって“戦艦大和”は偉大なる戦艦だったのですね

沖縄の危急を救うべく大和は特攻艦隊旗艦として出航します

この時もう“特攻しか”作戦が無かったのが大和の不運でもありました

日本海軍は日本の秘密最終兵器として生まれた大和に頼るしかありません

結果、南冥の海に護国の花と散った大和です

日本海軍はその後、こう記し残します

『大和は沈んでも、その技術は沈むことはない』と

その技術が継承されているのが呉市の誇りでもあります

その戦艦大和は、実はこのドッグで造られました

大きな屋根で覆われているのは、国家機密のために隠されながら造られていたからです

現在はこの建物と技術を“ジャパンマリンユナイテッド”が継承しています

“造船の技術”は明治時代から続く“日本の宝物”でもあります

宝物は誰かが守らなければいけません

その誰かの一人が呉市でもあります

改めて“戦艦大和”の生まれた場所を眺めます

じっと眺めていたら、近くでもっと観たくなりますよね

聞けば、ドッグは埋め戻していますが

この大屋根は“戦艦大和”建造時のままだそうです

大和を造った時から働いている建物こそ、日本遺産と言えるでしょう

そう思った時から、ぜひとも!近くでこの建物を観たくなっていました!

日本国を信じて働いていた先人が働いていた場所です

何も疑うことなく、日本が戦争に勝つものだと信じて働いていた場所です

あの頃の日本人の情熱を受け入れていた建物の近くに行って

いつか、建物に耳を傾けて聞きたいと思うようになりました

だけど、現在は民間企業として稼働しているため、立ち入ることはできません

でもきっといつか、チャンスは訪れるものだと、待ち続けること十数年間

ついにこの日がやってきたのです!!

そう!この日は、旧戦艦大和ドッグの一般公開日でした!

この情報を知った時は、興奮のため、

鼻血ブーでしたw

工場見学のため、ヘルメット必着です!

そして、久しぶりの“ブラあもん”です!w

さて、観に行きましょ~

写真ではクールを気取っていますが

この日は楽しすぎて“ニヤニヤくしゃくしゃ顔あもん”であったことは

ここだけの秘密にしておいてくださいw



ということで、続きます