広島県三原市を歩く4~都市計画によって分断された【三原城】を観てみよう!~の巻 | あもん ザ・ワールド

あもん ザ・ワールド

君へと届け 元気玉

放浪日:2018年11月4日

 

小早川隆景が築いた“浮城”と名高い【三原城】を歩いて観ています

毛利元就の三男“小早川隆景”は三原湾に浮かぶ中州を繫いで砦を築きました

これが【三原城】の原型を成したものと思われ、“三原要塞”とも呼ばれています

“小早川隆景”は四国の伊予を統治し、信義あふれる知将として知られていました

豊臣秀吉に『日本の西は隆景に任せておれば安泰』と厚い信頼をされていたぐらいです

活躍した時代は安土桃山時代から徳川の時代へ向かっている時代です

多くの戦国大名がベクトルを定める必要性があった難しい時代です

毛利元就の時代での中国地方の勢力図

あの手この手を尽くして中国地方を統一しようと試みます

毛利元就の取った作戦は、次男元春を吉川家へ、三男隆景を小早川家へ養子として送ることでありました

それにより広島県のエリアが結束され、大内氏と尼子氏に対抗していったのです

1580年から10年かけて三原要塞は更に整備が進められ

【三原城】は“海城”として存在するようになりました

海と繋がっているお城なので、満潮時には石垣が隠れたそうです

まるで海に浮かんでいるように見えた為に“浮城”と呼ばれていたそうです

【三原城】が姿を変えていったのは、明治維新後に帝国海軍の鎮守府が管理を行い始めてからです

建物・樹木は競売や移設、用材処分などされました

明治27年、山陽鉄道三原駅建設の時に城地は駅用地に使用されることになりました

また、海側の城地にも国道2号線が整備され海とも分断された形となりました

模型で【三原城】の原型を観てみます

まだ分断されていなかった時代の写真です

よく残っていましたね

この地図を観ればよく分かります

見事に分断されていますね

かつては海城として驚異を与えていた【三原城】は

時代の開発によって廃城となってしまったのです

それによって、“駅を降りたらお城”という

世にも珍しい光景が広がるようになりましたw

鉄道を取り込んだお城ですね

考えようによっては、最強のお城かもしれません

最強のお城【三原城】の堀を歩いて観てみましょう

現在は歴史公園として活躍中です

発掘調査の結果、色んなモノが見つかったみたいです

たった7つの石で“長屋門跡”を妄想中です

ちょっと難しいですw

なぜこれだけが残ったのか?

深く考えると浪漫があります

天守の無い天守台

演劇の無い舞台の様です

主役がいないと天守台の美しさが際立ちます

水と鯉が天守台を盛り上げます

悠々と鯉が泳げるのも、ここに天守台があり続けているからです

おお!これまたビッグなプロジェクトが!

三原市民は“小早川隆景”推しが多いのでしょう

隆景さんがこの【三原城】を造らなかったら

三原市の今の発展は無かったとも言っても過言ではないでしょう

登ってはならぬ!と隆景さんが言っています

えっつ!彼が隆景さんですかっ!?w

あもんの妄想では隆景さんはイケメン系だったのですが

どちらかと言えば、兄の“吉川元春”さんチックでしょうw

“やっさだるマン”と言う名前のヒーローでしたw

隆景さんと元春さんとは関係が無かったようです

きもカワ系のゆるキャラなのでしょうか?

おお!黒のカリスマ“蝶野”さんが来ていたのか!

お祭りではヒール役として、隆景さんとバトルをしたのですか?w

 

という事で、続きます