大阪府吹田市万博記念公園を歩く9~【大阪万博】には復興と進化、希望と未来があった!~の巻 | あもん ザ・ワールド

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放浪日:2018年9月8日

 

【大阪万博公園】にある【太陽の塔】を観た後に

【EXPO‘70パビリオン】という大阪万博の博物館で

じっくりと大阪万博を観ています

大阪万博の目標入場者数は3千万人でありました

意外にも多くの入場者があったので、途中で5千万人の目標に変更しましたが

最終的には6千400万人越えしたそうです

記念すべき5千万人目の入場者は当時21歳の大学生でした

その記念の景品として、“世界一周航空券”と“賞金30万円”がプレゼントされたそうです

ちなみに、当時のサラリーマンの平均月収は6万円、年収は87万円でした

戦後復興からの高度経済成長期を迎えた時期に開催された大阪万博は

世界に“進化した日本”を認めてもらう狙いもあったでしょう

戦争によって失った建物と文化を復興するのが当初の目的ではありましたが

復興が終えるにつれて、日本には“希望”が生まれてきました

『世界に認められる日本国を造ろう!』

『敗戦国だって、ここまで進化できるんだ!』

『それを、大阪万博で証明してやろう!!』

そしてそれは、“日本と世界の調和”が出来ると言う事ではないでしょうか?

人はもともと、ひとつです

国籍が違えど、ひとつです

命と心をもつ、ひとつです

ただ、生まれた環境が違うだけ

ただ、気候や食文化が違うだけ

ただ、肌の色や言語が違うだけ

岡本太郎さんは“大阪万博を知らない世代”のあもんに

そう教えてくれた気がしています



感謝の気持ちを込めて、岡本太郎さんの連写ですw

日本人は、戦後から大阪万博まで必死に生きていました

戦争で失った“家族”を取り戻すために、必死に子供たちを育てました

子供たちに美味しいモノをたくさん食べて貰うために、必死に働きました

大阪万博が開催され、日本と世界の調和ができ始めたから

日本人が未来に興味を持てたのかもしれません

自分たちの力で復興させた日本が、ここからどんな進化を遂げるのかと

ワクワクしていた時代でもありましたね

なるほど、万博のバックステージ特集ですか

これは、面白そうだ

案内所はやはり人気だったのでしょうね

案内嬢のオーディションとかあったのでしょうか?

なんとも未来を感じるお衣装でw

衣装だけ見ると今でも戦えそうです

やはり、違和感があったのは、ヘルメットの様な帽子でしょうか?w

約22万人の迷子を処理した場所ですか

どのパビリオンよりもお祭り騒ぎだったのかもしれませんねw

そりゃ、ケガをする子供も多かったでしょう

面白いカタチの緊急電話が気になりますw

こんな綺麗な女性に治療してもらえる特権もありました

“大人の仮病”の統計を取っていたら面白かったかもしれませんw

おっと!これは、テレビ電話では無いでしょうか?

未来のカタチが実践されていたのですね!

この未来の衣装は実現されませんでしたw

綺麗な女性がテレビ電話の相手だったら、長電話しそうですw

よって、仕事にならないということで、普及にブレーキが掛かったと言う噂がありますw

電気自動車も走っていたのか!!

しかも、6人乗りタクシー!

6人乗りのパトカーは有効に使われたかどうかは不明ですw

きっと、この時は犯人を追いかける能力は無かったのだと思われますからw

これはもしかして、“電動アシスト付き自転車”なのでは?

1970年代にすでに実現されていたのですね!

万博会場では注目の的だったでしょう!

ミニスカ美人女性が乗っていたら凄い注目の的だったでしょう!w

これも万博入場者数を稼いだ要因ですか?w

 

ということで、続きます