岡山県津山市を歩く43~鉄道と共に進化した日本を観てみよう!~ | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

放浪日:2018年4月30日

 

津山市歩き旅を終わり帰路の途中で

【津山まなび鉄道館】に寄り道しています

【津山まなび鉄道館】は扇形機関車庫や転車台の他に四つのルームがあり

鉄道の事を見て、触って、楽しく学べる所です

GWだからか、ちびっ子が走り周っている光景がありました

何にしても“大きい広い”はテンションが上がるアイテムですから

『パパ~これ何~』と聞かれるでしょう

現代では転車台を詳しく説明できるパパは少ないでしょう

パパは家族で訪れる時には予習をしておきましょうw

じぃじやばぁばにとっては懐かしの車両でしょうね

ここは家族一員で楽しめる場所だと思いました

扇形機関車庫の裏側に素敵丸窓があるではありませんか!

ぽつんと目立たない所にふたつ

設計者の遊び心でしょうか?

裏側に大きな窓が続く建物です

採光の目的が大きかったのでしょう

車両整備には明るい空間が必要ですから

扇形となっているのは転車台までの距離をどの車庫からも一定にする為でしょうか?

合理的な発想ですが、建物を扇形に造るのは難しかったでしょう


ロビンマスクに似ていますw

あゆみルームとしくみルームがありました

まずは、あゆみルームから覗いて観ましょう

岡山の鉄道歴史も結構古い

岡山~神戸間は米10升の値段だったとは!

でも、3日が5時間となったので、当然だと思います

日本初の食堂車

当時は列車の振動も大きかったでしょうから

大騒ぎの食堂だったのだと予想します

マッチ箱と呼ばれたそうです

ということは、乗客はマッチですw

昭和11年のマッチ箱

何度修理をして何年活躍したのでしょうか?

やはり、国産蒸気機関車が日本の文化を発展させたでしょう

『俺が時代の最先端だが、何か?』と言っていそうw

昭和初期から続く駅の歴史

そこには多くの喜怒哀楽があったでしょう

当時、扇形機関車庫は全国あり、それほど珍しいモノでは無かったでしょう

時代により扇形機関車庫形式は消滅していき

今では日本鉄道史を語る語り建物として貴重な存在となっております

“桃娘”が駅に登場していたみたい!!

さすが!岡山です!!

桃娘見たさに鉄道に乗った人も多くいるでしょうw

実は桃娘は1996年まで存在し、700人以上が活躍したみたいです

ライバルとして“マスカット娘”も存在したみたいw

そして、桃娘は2011年に15年ぶり復活も遂げています!


SLから新幹線に進化した時代

ひとつの時代が終わり、新たな時代が始まった瞬間です

鉄道の仕組みを分かりやすく体験できます

答えは、レールと車輪があるシリーズが一番小さな力で動かせます

昔の駅務室が再現されていました

毎日見ていて見飽きていたこの一角も

改めて再現されると想い出が沢山積もっているでしょう

今では無人化の切符売り場ですが、当時は人と人が一枚一枚で交流していました

ただの小さな切符ですが、一枚一枚手から手へ渡される

まるで旅立つことを許してくれてみたいです

“逃げるように”この駅を旅経つ人も多かったでしょう

そんな方々にも『逃げてもいいんだよ』と唯一言ってくれるが切符だったでしょうね~

現代の『ピッ!』ではその感情は伝わりません。。。

『それじゃ、駅長さん、行ってきます~』

『おう!いつでも帰ってきてええんで~』

『いつまでも変わらず、ここで待っとるけぇの~』

そんな言葉が聞こえた気がしました

 

ということで、続きます