放浪日:2018年4月30日
同和鉱業片上鉄道線跡地にある【柵原鉱山資料館】で柵原鉱山の豊かさを体感しています
柵原鉱山の始まりは津山城築城の時でした
ここも森忠政氏がきっかけだったとは驚きです
江戸、明治、大正、昭和、平成と続いた鉱山とは、これまた凄い!
柵原鉱山が栄え始めたのは戦後からだそうです
硫化鉄鉱から採れる硫黄は化学肥料や繊維の原料として利用され始めたからです
日本政府が“硫化鉱の緊急増産”を閣議決定したことから、国内の農業生産の要となったそうです
1966年昭和41年総生産量は年間約90万トンのピークを迎えましたが
その後硫化鉄鉱は石油生産時にできる硫黄に需要を取って代わられ、衰退が始まったそうです
お嬢さんを雑に書きすぎですw
豊かな暮らしが出来ていたとはいえ、労働は過酷だったでしょう
写真は宣伝用なのか?正装でポーズしている風ですねw
近くに流れる吉井川の氾濫による坑内水没事故や
公害問題、戦争による労働力の低迷など
日本の歴史と共に柵原鉱山の歴史でも悲しい出来事も多くあったのでしょう
そんな過酷な生活の中でも逞しく生きる男たち
有毒ガスマスク?を笑顔で並べている男たち
昼休憩が一番楽しい男たち
町には供給所が今でいうイオンの様なモノなのかな?
昭和30年代のイオンですw
この町では一家に一台TVの仕様だったのでしょうか
供給所は子供が喜ぶものがいっぱい!
駄菓子屋の様な賑わいだったのでしょう!
インスタントのマッシュポテトなんてあったの?
豊かな生活を超えてリッチな生活だったのかもしれません
ガキ大将はココアシュガレットを咥えていましたw
すこんぶとフルーツガム!誰かつまみ食いしているな!w
劇画チックなグリコの時代ですかw
グリコを食べれば滋養強壮に役立つと思っていた時代です
メンソールがこの時代からあったとは!!!
マグネットがU字型というのが時代を感じますねw
“初姿”って何ですか?
じっくり観たら、白髪染めと書いていました
このセリフも昭和を感じるww
SNSで呟いたら、全否定をされるセリフですww
食塩が袋詰めで買えるというのは、有難いことだった時代なんですよね~
ヤミの塩 流す家無し!というのが売り文句かw
昭和7年にもう福利厚生施設ができていた!
しかも収容人数3000人、岡山県最大級だっただと!
どんだけ優良企業だったのでしょうか!
三沢あけみさんもショーをしてくれていた
歌手でデビューの時に“色気がありすぎる!”という理由で放送禁止になった逸話がある歌手です
橋幸夫さんだって、来ていますから!
ここは現代で言うドーム公演的存在だったのか?w
全国3大鉱山集会所公演とかあったのかもしれないw
社員クラブだってありましたよ!
もう、鉱山会社の面影が無くなってきていますw
社員クラブでフォークダンス
このクラブで結ばれたカップルもいたのでしょうね~
おお!若き日の上皇様!
日本農業界の発展のために視察に来ていただきましたか!
おおおお!昭和天皇も巡幸されていた!
この日から柵原鉱山は活気づいたと言っても過言ではないでしょう~
ということで、続きます