放浪日:2018年4月14日
“梨をテーマとした日本唯一のミュージアム”【鳥取二十世紀梨記念館】で
梨に正面から向かい合って勉強をしています
おっと何やら梨の歴史が学べそうなエリアがありますよ
“梨と生きる”
鳥取県民の熱い想いです
これは恐らく当時の梨箱でしょう
戦前の梨箱だと分かります
東郷と言うのは地名かな?
ん?誰かいるぞ
梨農家の蝋人形展示でした
リアルすぎる蝋人形ですw
奥さんはせっせと梨を箱詰めにしています
じっくり観ると奥さんが悲しそうです
悲壮感たっぷりw
梨農家も決して楽な仕事じゃなかったのでしょう
それは、旦那が働かないからか!w
旦那、もっと働け!!
とは言え、当時は高級フルーツだったはず
二十世紀梨はどのようにして鳥取の名産となっていったのでしょうか?
詳しく展示がされていました
江戸時代にはすでに梨の栽培方法が確立されていたのですね
二十世紀梨の誕生は明治後期です
当時は梨の栽培は大農家しか手掛けられなかった
一か八かの事業だったのかもしれません
梨農園で働く方々ですか?
若い女性が多いのは、働き手の確保も事業の目的だったのかもしれません
鳥取県では10本の梨の木から始まりました
その内、3本も現存しているのが鳥取県の梨愛ですね
梨事業はやはり、順調には行かなかったみたいです
こうなりましたか!
巨額の資金を投入した農家はパニックに陥ったでしょう
それでも家族総出で働きながら一家を守らなければいけなかった
いつの時代も家族を養うことは大変なことです
昭和初期には黒斑病を克服しています!
黒斑病克服が二十世紀梨の再出発点となり
世界が不況に陥っている中、日本一になり梨文化が誕生しました
昭和9年の新聞で堂々と日本一を獲得しています
当時の新聞の文字はデカ文字が使われていたのですね
和田さん似のちびっ子ですww
厳しい冬がある鳥取県で新たな産業が文化となりました
鳥取県民の梨を愛している理由が分かりました
鳥取県でも第2次世界大戦を戦っていました
梨とは関係ないのですがw
戦後、二十世紀梨は庶民と身近になっていきます
日本一の称号は町に文化を生みましたが
過剰供給が生む苦悩もあるみたいですね
とはいえ、消費者にとっては梨が身近になって良かったという歴史です
昭和28年には“ナシ娘”も登場したとですか!w
あもんも当時、“ナシ娘”に会っていたら
きっと、3つくらい買うでしょうねw
ということで続きます