愛友市場を歩く | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

広島で生まれ広島で育ち
大人になって広島を旅立った
四十手前で帰広し、改めて眺めた広島
目の前にはドキドキするような広島があった
広島の街が変わったのか?
それとも、俺の見る目が変わったのか?
ひとつだけ変わっていないのは
『ほうじゃね』という広島弁だけだった


広島出身のくせにあまり広島を知らないあもんが
古い記憶と新しい現実を見に歩き続けます
本日は愛友市場を歩きます



放浪日:2013年11月2日



広島市の玄関口 広島駅
広島を訪れた旅人はまずここからの景色を広島と認識する





我らがスター吉川君が出迎えてくれます

『えっ、田舎じゃん!』そう思わずつぶやいた旅人は多くいるであろう
広島市は都市成型として珍しい経過を追っている
様々な歴史の中でこのような都市となってしまったのだが
結論的に言うと、広島駅前は政令指定都市らしくない
しかし近年、広島駅周辺再開発事業がやっと復活し
広島駅前や駅裏の開発事業が進んでいる
数年後はようやく政令指定都市らしい駅周辺となるであろう

しかし、新しいモノが出来るということは古いモノが無くなるということ
広島人が戦後、大切に大事に守ってきたモノが無くなっていくという現実も確かにあるのだ
そのひとつが広島駅前にある 愛友市場





愛友市場は戦後の焼け野原に闇市として始まり広島の復興とともに成長してきた商店街だ
地名を取って「荒神市場」と呼ばれていた時代もあるが、昭和63年に愛友市場を改名をした
温かみがあり、ふれあいが深まるようにとの願いを込め、「私(I)」と「あなた(YOU)」の意味があるらしい
広島市民の中でここは有名で暖かい賑わいを守り続けて市場だ




しかし、有名になりすぎるのを拒んでいるのか、テレビや雑誌の取材にはあまり協力的ではなかった
平成19年からは市場の一角で、「ウルトラC級市場で逢いましょう」というイベントも行っている




平成21年に新広島市民球場がこの近くにでき、自然と客の動線が愛友市場の近くにできた





しかし、その独特な雰囲気と世界観で若者が近づくことは少なかった

そこで浮上したのが広島駅南口再開発事業
この愛友市場を取り壊し、ここに11階建ての商業棟と46階建ての住宅棟が出来る計画だ
この計画は平成12年から活動を開始し、ようやく平成25年11月に工事が着工することになった
活動開始から工事着工までの13年間、様々な戦いがあったのだろう





あもんが愛友市場を訪れたのは平成25年11月2日
消えていく愛友市場を目に焼きつけようと訪れたのだ




解体工事着工前の愛友市場
無論、立ち退いた店の姿が並んでいる




















68年という店の歴史が消えた
あらゆる理由があると思うが、寂しさを感じる

広島を愛するということはカープを愛するということ
この市場でもカープ熱は熱かったみたいだ







破れたアーケードの屋根が暗いシャッター通りにわずかな光を注いでいる



























止まった時計はいつから刻むのを止めたのか
それとも、権力によって止めさせられたのか

数日後から徐々に閉鎖されるこの市場だが
まだ根気強く商売を続けている店もあった
様々な意志と主張がまだ残っている











立ち飲み屋 ぱどっく
ポツンと営業していた
奥で店主が仕込みをしていた

様々な意志と主張は様々な方向でぶつかり合い
様々な力が放出される










そして、それは様々な信念へと成長していく











頑固な広島人は我の信念を尊重する
そんな信念の強さが戦後の広島復興をやり遂げたとも言える







シャッター店舗を写真に撮っていると
いきなりシャッターが開いて、おばちゃんが出てきた
怒られるかな?と思っていると
おばちゃんは親しみを込めて話しかけてきた


『おばちゃんの店も閉めるんよ~』

『ほうねぇ、大変じゃね~』

とあもんはとっさに返した
広島弁に敬語はいらない

『どんぐらい店やっとったん?』

『おばちゃんが二十の頃からじゃけぇ、もう40年じゃね』
『ウチと一緒に店もおばあちゃんになってしもうたわw』

『店、たたんで、寂しくなるねぇ?』

『いやいや、昔はようけお客さん来てもらっとたけど、最近は全然じゃったけぇ』

『どこに引っ越すん?もう店、やめるん?』


『たちまち、仁保(地名)の方に店を移して、また3年後、またここで店やるけんね!』

『ほうかね、、そりゃ、楽しみじゃね!』

『ほうじゃね、楽しみじゃ!!お兄ちゃんも遊びに来んちゃい!』

『うん。分かった。おばちゃん、頑張ってな』

『うん。ありがとうね』


とおばちゃんは笑いながら自転車で去っていった
この魚屋のおばちゃんは3年後、再開発された商業ビルで店を構えるみたいだ






















古いものが無くなり新しいものへと変わっていくということ
そこには必死に守ってきた信念もある
しかし、新たに育っていく希望もある
あもんは魚屋のおばちゃんの強さを見た
頑固者で楽天的な広島人
そんな広島人であったから戦後復興をやり遂げたのだろう
いや、戦後復興がこんな広島人を育てたのかもしれない




『ほうじゃね!これが広島じゃけんの!』
そう言い続ければ
広島の未来はきっと明るいだろう