被爆地ヒロシマ(1) | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

2010年8月 記


被爆地ヒロシマ
あの日から65年経った2010年
復興を遂げたのかどうか
平和を手に入れたのかどうか
その答えを求め
8月15日の記念日にヒロシマの街を歩いてみた



1.爆心地(現島内科)
東経132度27分27秒,北緯34度23分29秒
この上空約600mで原子爆弾は爆発をした



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あもん達はこの爆心地から続く広島のメインストリート本通りで
普通に恋人とデートしたり、買い物をしたり
その奥にある繁華街で飲み会をしたり、カラオケをしたりしていた
原爆がこの近くに落ちたという事実は知っていたけど
あもん達はこの街で佇み涙を流さない
だって、あもん達も普通の若者なのだから
ただ、広島に生まれたってだけなのだから…



2.広島瓦斯株式会社跡
爆心地から約250m
地上3階地下1階 コンクリート及び煉瓦造
原子爆弾の猛烈な爆風圧を受け西南角一部を残して崩壊した



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あもん達は飲み会で酔っぱらった時
よく酔い覚ましにこの川沿いを歩く
春には対岸の桜が美しく夜桜歩きだってする
市民はこの川沿いで憩い恋人達は語り合う
65年前のあの日には死体がイカダのように連なってこの川を下っていったらしい
あもん達はそんな街で生まれ育ったんだ



3.中島地区(現在の平和記念公園一帯)
爆心地から100m~700m
昔からこの地は城下町でにぎわい下町情緒が漂っていた
時勢により学童疎開によりあの日の住民は少なかったが
建物疎開により動員されていた学徒がこの地で犠牲となった
原爆の一閃によりこの地はひとかたまりもなく崩壊
そして終日、この地は火の海となっていた
翌日、数えきれない死体は橋の麓などで油をかけられ骨となっていった
身元が分からず引き取られなかった遺骨はこの地に還る形となった
後日、学童疎開から帰って来た学童たちは
親も兄弟も家も無くなったこの地で孤児として生きることとなった



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動員学徒慰霊塔
建物疎開被爆者6907人を慰霊している



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原爆供養塔
氏名不詳の被爆者7万柱の遺骨が納められている
現在でも遺族が分かり次第手渡されている


あもん達は幼い頃からこの地を何度も訪れ原爆について教えられた
原爆資料館を初めて訪れた時は震えが止まらなかった
だけど成人になり何度も何度も訪れるにつれて
広島人である使命を感じるようになり
その使命を果たすことによって広島人を誇れるのだと思った
あもんは30歳を超えた頃にようやく
幼いころから続いていた平和学習の真意が伝わったと思う
伝わったということは伝えるということである
次世代に伝えることこそ平和学習の真意である



4.広島産業奨励館
爆心地から160m
鉄骨入り煉瓦及び石造り 
大正4年8月15日開館 設計者ヤン・レツル(チェコ建築家)
広島県下の物産の展示をしており即売も行われた
被爆後は昭和42年,平成元年,平成14年に保存工事が行われている
現在は核兵器の恐怖を示す生き証人と呼ばれている



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アメリカ軍が計画をした原爆投下都市として挙げられていたのは
小倉・広島・新潟・京都であった
最終的に広島に決定された理由としてアメリカ軍はこう記している
「広島はきわめて重要な軍事目標であった。陸軍司令部は城跡に設置され、約2万5000人の兵力が各所に駐屯していた。それは九州と本州を結ぶ補給と運輸交通の中心地宇品をひかえていた。広島は京都を除いて空襲による被害をまだ受けていない最大の都市であった。人口は30万を超すものと信じられており多くの軍需工場がある」


日本軍の敗戦ムードが漂う時に何故原爆を投下したのかは幾つかの説が伝えられている
①日本を早く降伏させてアメリカ軍の犠牲を少なくしたい
②ドイツ降伏後3カ月以内にソ連が対日参戦することが決定していたがその前に原爆投下によって日本を降伏させ、戦後世界でアメリカがソ連より優位に立ちたい
③原爆を実戦で使い、効果を測定したい


先述した大江健三郎著の「ヒロシマノート」の中で彼は以下のような仮説を立てている
世界で初めて落とされる原子爆弾の地として広島を選んだのは原爆投下によって科学的に地獄は予想できるが
しかし、それは人間の文明の歴史の全ての価値を一挙に壊滅させてしまうほどの最悪の地獄ではないであろう
広島ではその地獄をもっとも人間的な地獄に変えるべく働く人間がいるであろうから


あもん的解釈によると
原爆投下によって人類がどこまで復興できるのかを実験したかったのかもしれない
人間が人間らしくなくなった時人間はどういう行動に出るのか
それから人間らしくなるためには何がどれだけ必要なのか
アメリカ人の人体実験は現在もまだ続いているような気がする



5.猿楽町通り付近
爆心地から150~200m
旧広島市民球場
被爆当時この辺りは防空壕が広がっていた


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被爆から1年経った8月6日に広島人は平和復興祭を大体的に開催し
犠牲者の霊を慰め復興を誓った
広島人は被爆地では70年間は草木が生えないと言われていたのに
被爆したその秋に草が青々と生えるのを見た
それでこの地で生きられると実感したのである
その広島人の復興を盛り上げたのが「広島カープ」の発足であろう


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広島カープは現在でも親会社を持たない市民球団である
1950年にカープは発足し1975年にリーグ初優勝、1979年には初日本一になった
広島人が復興により人間らしい生活を送れるようになったのは
被爆後25年ぐらいであったから広島カープは広島の街と共に成長を続け
復興の証しとして優勝できたと言っても過言ではないだろう
2009年4月新球場完成によりこの市民球場は静かになった
当日は平和公園の折り鶴展示と小学生野球のグランドとして使用されていた



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「カープは阪神の2軍じゃけん」という冗談が言われる現代に
広島カープを盛り上げる市民パワーはあるのだろうか
負けても悔しがらないという感情はもしかして
他県並みの都市として復興できたという安堵感から出ているのかもしれない



6.路面電車
広島市内一円



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広島の路面電車の歴史は古く1910年(明治43年)からである
現在は日本最大の路面電車となり、もちろん広島人の手軽な交通手段として重宝されている
多くの都市は路面電車から地下鉄に返還をしスマートな都市計画を進めてきたが
広島には地下鉄道は走ってはいない
その理由のひとつとして広島の街は元々河川を埋め立てて造った街であり
地下工事が難局を示すことが挙げられているが
原子爆弾により地に還った動植物や人間の灰を掘り起こして造る事業が
広島人の精神を痛める結果になるという理由もあるのかもしれない
広島の街は被爆者がいるからこそ今の街があるのである



7.お好み焼き


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主食である米が不足であった戦時中に子供のおやつとして野菜を焼いた焼き物が始まりである
被爆後、夫を亡くした妻がお好み焼き屋を始めるケースが多く
「○○ちゃん」という屋号が広島県内に点在をしている
現在では広島の名物として有名になり多種なお好み焼きが誕生した


ちなみに写真のお好み焼きは「入れすぎチーズ」
昼ビールと共に食べるのがたまらなく美味しい
広島のお好み焼きも広島復興に役立ったことは間違いない


8.旧日本銀行広島支店
爆心地から380m

爆心地から380mという近距離にも関わらずこの建物は
外観と地下金庫は被爆に耐えたのであった
被爆後2日で営業を再開しており広島復興に役立った建物である
現在では広島市の管理により被爆建物として保存しており見学が可能である



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平和学習をしていると
「平和」っていったい何なのだろう?という疑問が繰り返される
ノーモアヒロシマ,ノーモアナガサキと唱える方はたくさんいるが
ただ、世界から核さえ無くせば平和になるというのだとろか?
戦争の被害を受けた街は広島,長崎だけでは無い
戦争により亡くなった方々は日本中にいや世界中にいるのである
古代から現代まで戦争の歴史は人類の歴史といっても過言ではないであろう


敗戦国日本が戦後の経済成長により現在は世界に意見を出来る立場まで辿り着けている
戦後の憲法改正や安保条約がその源にはあり
島国日本人の互助精神が日本をここまで成長をさせた
成長の過程で日本人は過去を恨んではいないのだろうか
成長の過程で日本人は過去を恨まれていないのだろうか
戦争を知らないあもん達が負の遺産を学び
「全世界が平和でありますように」と言うのは軽々しい言葉では無いのだろうか


平和とは「平らに和む」と書く
平らに和むとは皆が微笑むということ
戦争放棄をした日本は今、皆が微笑んでいるのだろうか
差別や偏見、暴力や憎しみ、いじめや虐待
微笑みを無くした人間が日本には多くいる
こんな日本は平和なのだろうか?
平和って一体、何なのだろうか?


この界隈を歩いていると何年かぶりにある人を見かけた
はっきりとした記憶が無いから何十年ぶりなのかもしれない
彼はちょっとおしゃれな鏡張りのカフェで
外を見つつ飲み物を飲んでいた
彼方を見つめるその顔全体にはケロイドと呼ばれる火傷痕があった
その顔は決して不幸顔ではなく
飲んでいる飲み物を美味しそうに飲んでいた
あもんは彼を見てただ普通に通り過ぎただけだったけど
何故か嬉しかった
これが「平和」のひとつなのかもしれない





続く