あもんは視力が弱い
社会人になってPCを使い始め
一気に視力低下現象が加速した
目が悪いと言うことはいいことではない
遠くを見られないということは
かわいいあの娘を探し出すのに不利だし
メガネあもんという第一印象を植え付けるより
メガネをかけたあもんの印象を与えたいという
どうでもいいこだわりが潜在している
決して世のメガネ君を悪く言っているわけではないが
飾らないすっぴん顔を見つめていたいという
どうでもいいこだわりも潜在している
しかし島国の宝物探しにはメガネが必要である
このメガネはメガネ屋では売っていないプライスレスなメガネで
メガネをかけて人相が変るわけではない
荒木飛呂彦さんの世界に勝手に入らせてもらって言うなら
スタンドメガネである
日常から幽体離脱している旅先では
例えて言うなら
3Dメガネを初めてかけて
迫り来る映像に思わず避けてしまったような
初めてやったファミコンのコントローラーを
キャラクターの動きと同じ方向に動かしてしまったような
無理やり起こされた携帯音に反応して
思わずTVのリモコンを握ってしまったような
そんな吉本新喜劇の生ライブより面白い日常が
非日常で日常的に起こるからである
この人間ドキュメントサスペンスドラマチック劇場の中に
島国の宝物が隠れているのである
日常でかけているメガネでは決してみることが出来ないだろう
メガネスタンドはいたって簡単なところにある
本来は個人それぞれが携帯電話以上に携帯しているものであって
荒木飛呂彦さんが解説するように
精神力でかけるメガネである
各々の魂に反応する物体に出会ったとき
その精神力が最大限に発揮できるのが
人間の潜在能力であって
潜在のままにしている人間が多いのは
少し寂しい気がする
島国の宝物をいくつか見つけた僕でさえ
自由にコントロールできないけど
僕はどこでスタンドが見えるかぐらいは分かってきた
僕にとってそれは「みんなの海」だった
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『島国からの贈物』
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『みんなの海』
2004年7月21日 沖縄県座間味島
青とはどんな色なのだろう
与えられた色では答えられない
透るとはどこまで見えることなのだろう
与えられたメガネでは見えない
流れとはどこまで流れることなのだろう
与えられた流れでは実感できない
リラックスとはどこまで脱力できることなのだろう
与えられた快感では脱力できない
答えはきっと
みんなの海にある
みんなの海だから
あもんは典型的モンゴロイドである
次回更新 『もうひとつの此処』