1995年1月17日
僕は当時、学生
明け方、今まで地震で目がさめることが無かった僕が飛んで起きた
「地震だ!」
揺れが止まったのを確認して僕は再び眠りについた
朝のニュースを見ると全局で神戸の惨事を報道していた
死者は数百人…
大変なことになっているぞ と思いつつ大学へ行った
授業が終わり、バイト先のガソリンスタンドへ向かった
スタンドに面している国道二号線は大渋滞
「こんなに渋滞するのは珍しいですね~」 そんな会話をしていた
バイトをしていると、馴染みのお客さんが大量に灯油を買った
「神戸が大変なことになっている!」
渋滞の意味がやっと分かった
ニュースを見るたびに桁違いに増えていく被害者数
人生初めての大惨事にTVに釘付けになっていた
建築学科に通っていた僕は建物の脆さに唖然とした
リアルすぎる崩壊に分析なんて出来なかった
そして暫く教授が出張のために大学の講義の休講が続いた
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出張から帰ってきた教授は僕たちにこう分析した
手抜き工事からなる崩壊
意匠重視の建物の軟弱性
都市整備の遅れからの二次災害増加
断層からの予測不足の結末
マイナスの要素が全て起こったときに災害は起きる
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ある時、兵庫出身の大学の先輩が僕を誘った
「復興にはバイクが有効らしい。ボランティアに行かんか?」
僕は断った
恐かったから…
そして弱かったから…
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そして五年の時が流れ
僕は三宮駅に降り立つ
復興の光を見るためだ
人ごみの押しつぶされながら
痛く、息苦しい
子供の泣き声も聞こえる
何時間もおしくらまんじゅうを続け
ようやく光をみることが出来た
少しだけ涙が出た
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この涙はいったい何の涙だったのだろう
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『島国からの贈物』
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「たくましくなるために」
2000日 12月12年
いったい誰が罪人なのだろう
いったい誰が怒ってしまったのだろう
いったい何がいけなかったのだろう
あの時 僕は
人生で初めて身近に感じた二県隣の大惨事に
何もしてあげることができなかった
何ができるかも分からなかったから
ただ 傍観者を演じていた
もしかしたら
あの時一瞬目が合っていた人が犠牲になったのかもしれない
なんて考えてこんでみても
顔が浮かばない自分の能天気に恥じる
もしかしたら
この家で起きていたかもしれない
なんて考えてこんでみても
答えのない問題を解こうとしない自分はバカだった
だけど被災者は強かった
人間はたくましかった
あの暗闇を忘れないために
あえて新しい光を影を
あの涙を忘れないために
あえて新しい笑みを絆を
この新しい光に出会った僕は
あの時流れなかった涙を
やっと流した
あの時考えもしなかった絆を
やっと知った
忘れないために
続けないといけない
たくましくなるために
忘れてはいけない