「すみません!まだ大丈夫ですか?!」
診察中の札をしまおうとドアを開けたところに、慌てた様子の男の人が駆け込んできた。
「こんばんは。どうされましたか?」
「いや、あの……山で拾ったんですけど……」
泥だらけのその人が僕に差し出したのは、マフラーに包まれた1匹の犬。
「崖の下に蹲ってて……血も出てるし、元気もないし……崖から落ちたのかなって……」
「分かりました。診てみます」
腕の中の犬よりも不安そうな顔をしたその人にそう言って笑いかけると、安心したように息を吐いた。
「すいません。今は僕ひとりなので、ちょっと手伝って貰えますか?」
「え?ええ?!私が、ですか?」
「はい。ここ、押さえていて貰えますか?」
「あ、は、はい……」
ぎこちない動きで犬を押さえるその人の手は、傷だらけで少し震えている。
「よし、これで大丈夫」
処置を終えて犬をケージに入れて立ち上がると、その人の凛々しい眉毛がふにゃりと下がって、笑顔になった。
「じゃあ、次はこっちですね」
「ええ?!」
傷だらけの手を取ったら、驚いた顔で僕を見つめる。
「貴方も怪我、してますよ」
「ああ、いや……私は大丈夫です」
「ついでなんで、手当しちゃいましょう。僕は獣医ですけど、人間も動物ですから」
「あぁ……えぇ、確かに」
あははって、大きな口を開けて笑うその人に、僕もつられて笑った。
「教授、ですか……すごいんですね、青江先生」
渡された名刺と免許証を見て呟いた僕に、青江先生は恥ずかしそうに笑う。
「いや、すごくないんです。たまたま、ポストに空きがあっただけで……」
そんなふうに謙遜するけれど、研究者として大学に残るためには、それなりの努力と実力がなくちゃ無理だってことは、僕もよく知っている。
しかも、青江先生の名刺に書かれた坂の下にある大学の名前は、かなり偏差値の高い有名大学で、いくら空きがあったとしても、能力がなければ教授のポストになんてそうそうつけるものじゃないのに……
研究のために山に行っていたから、今は持ち合わせがないって、申し訳ないって何度も頭を下げる青江先生に免許証を返して、やめてくださいって声をかけた。
泥だらけになって傷だらけになって、怪我をした野良犬を抱えてくるなんて、優しい人に決まっている。
「明日、必ず診察代を持って来ますので」
「くふふ。忙しくないときで大丈夫ですよ。とりあえず、この子はしばらくウチで預かります。怪我は大したことなさそうですけど、だいぶ衰弱してますから」
「よろしくお願いします。高円寺先生、本当にお世話になりました」
僕に深々と頭を下げてから、ケージの前にしゃがみ込んで犬の頭をそっと撫でて、『またな』って優しく笑うその人に、何故か僕の心がほわっとあったかくなった。