「不思議な人だったなぁ……」
ギシッと椅子をきしませて、窓から見える空を見上げた。
「先生、どうかしたんですか?」
「何が?」
「紙飛行機も飛ばさずに、ずーっと空なんか見上げちゃって……どうしたんです?」
「普段と変わらないだろ?」
そう答えて立ち上がった俺に、今日の先生はいつにも増して使い物にならないだのなんだのと言い募る助手の奥西くんに片手を上げて、研究室を後にした。
確かに、変なのかもしれないという自覚はある。
あの笑顔と、優しい声と、手に触れたぬくもりが、昨日から何度も蘇っては、その度に顔の筋肉が緩むんだ。
一体どういう事なんだろう、と、あの人を思い出して、また緩みそうになった顔を慌てて手で押さえながら講義室のドアを開けた。
「今度はなんです?まさか、デートとか?!」
講義を終えて急いで帰り支度をする俺に、奥西くんが大袈裟に驚いてみせる。
「デートじゃないよ。ちょっと急がなきゃならない用事があるんだ」
「教授がデートだなんて、明日は雪が……いえ、槍が降るかもしれませんね」
「人の話、聞いてた?デートなんかじゃないって言ったろ?それに、この気温と湿度じゃ雪にはならないし、槍が降るなんて……そんなこと、ありえないよ」
「ものの例え、ですよ」
肩をすくめる奥西くんに、後はよろしくねって手を振って、急いで大学を出て坂道を上る。
坂の上の古い小さな動物病院。
どんなじぃさん先生が出てくるんだろうと思っていたのに……
「あ!青江先生!」
ドアを開けた俺を見て、ふわりと笑うその人は、どう見たって俺より歳下で。
柔らかい物腰で頼りなさそうに見えるのに、診察室では別人のようだったのが印象的だった。
「すみません。遅くなりました」
「わざわざありがとうございます」
「いやいや、こちらこそ。今日もこんな時間になってしまって、本当に申し訳ない。これ、昨日の診察代と入院費用です」
お金の入った封筒を高円寺先生に手渡して、お互いにペコペコとお辞儀をし合って、同時に笑う。
「あいつ、元気になりましたか?」
そう聞けば、少しだけ、彼の表情が曇った。
「人馴れしていないんでしょうね。ご飯も水も、口をつけようとしません」
「……え……」
『どうぞ』と促されて、診察室の奥のケージの前にしゃがむと、ケージの奥の隅っこで小さくなっていたそいつがぴくりと耳を動かした。
「お前、ちゃんと栄養とらないと、元気になんねぇぞ?」
そう話しかける俺をじっと見つめたままで動かない。
高円寺先生が白衣を膝の裏に挟み込んで、俺の隣にしゃがみ込んだ。
「あと何日かはここで様子を見させてもらいますけど……その後、この子をどうされますか?飼い主を探すなら、手伝いますよ?」
高円寺先生は、ケージの奥で小さくなっている犬を見ながらそう言うと、俺を振り返ってにっこりと微笑んだ。