「あとは?」
グラスから手を離して、二宮さんが楽しそうに笑いながら言う。
「……え?」
「あと、聞きたいことは何?まだあるでしょ?」
「……」
なんだろう。
なんだろう、この人は。
ほぼほぼ、初対面なのに。
『聞きたいことは何?』なんて、まるで俺が詮索するのが好きな奴で、二宮さんと店長さんとの関係を知りたくて仕方ない奴みたいじゃないか。
落ち着きなく視線を動かしてから、ちらりと見上げたら、茶色い透き通った瞳が俺をまっすぐ見ていて、慌てて視線を落とした。
こちらの手の内を全部知られているような、心を読まれているような……そんな気がして、手に汗が滲んだのを誤魔化すようにグラスを手に取った。
「……昨日は、ずいぶんと失礼な店員だなって思ったんだよ、二宮さんのこと」
「『ニノミヤ』でいいよ、翔ちゃん」
「は?」
「俺、堅苦しいの嫌いなんだ。翔ちゃん、同期だしさ。だから呼び捨てでもなんでも、好きに呼んでよ」
「しょうちゃんって……」
俺を見て『んふふ』って楽しそうに笑う二宮…さん、から目をそらして、グラスについた水を指でなぞった。
昔、ばーちゃんや母さんにそんなふうに呼ばれていたことはあったけれど、まさかこんな歳になって、しかも男からそんなふうに呼ばれるとは思っていなかった。
恥ずかしいんだか懐かしいんだか、よくわからない感情が渦巻いて、やっぱり二宮さんはちょっと変わった人なんだなって、そう思うことにした。
『ちょっと変わった人』というカテゴリに二宮さんを放り込んで、ほんの少しだけ、ほっとする。
「失礼します。セットのサラダです」
心地いい声とともに、店長さんがサラダを持ってやって来た。
「まーくん、この人ね、めちゃくちゃ優秀な俺の同期の櫻井翔さん」
黒目がちな丸い目が、俺を見てにっこりと笑う。
「くふふ、うん。仕事できそう!」
「で、この人は『こぐまのまーくん』」
「ちょっと!かずくん!」
店長さんが、二宮さんの肩をばしんって叩いた。
「『こぐまのまーくん』……?」
いや、全然クマなんかじゃねぇけど。
首をかしげて見上げた俺に、ぱたぱたと手を振って、店長さんが慌てて言う。
「櫻井さん、なんでもないですよ!かずくん、いっつも変な事言うんです!あ、大変。パスタパスタ!」
バタバタとカウンターに戻っていく店長さんは、すらっとしてて、クマというイメージからは程遠い。
……けど、何かが引っかかる。
「『こぐまのまーくん』……こぐまの……って、あぁ!!!」
一気に蘇る、昔の記憶。
「……俺、持ってた」
お気に入りだった、絵本。
茶色い小さなクマが、色んなことに挑戦して失敗して。
何回も何回も読んでもらった。
同じようなクマが欲しいって、ねだって誕生日に買ってもらって……
忘れていた記憶に、心がほっこりあったかくなって、ふふって、笑い声が零れた。
ふと顔を上げたら、二宮さんが優しい笑顔で俺を見ている。
「思い出した?」
「……え?」
二宮さんの言葉に、俺の心臓がどくん、と大きな音を立てた。