「失礼します、相葉です」
「……どうぞ」
「一人?」
「ん」
「そっか。あ、先生見て!怪我したーー」
約束をしたとはいえ、よくもこう毎日毎日来るもんだ。怪我だけじゃない。腹痛だったり頭痛だったりを理由にほぼ毎日、健康そうな顔をしながら休み時間や放課後にやってくる。
「どこ?」
「膝。見てよ、血ぃ出てる。絆創膏貼って?」
見れば、少しだけど確かに膝には擦った様な傷がついていてそこからは血が滲んでいた。
「体育?」
「うん、サッカーでコケた」
笑いながら言うから安心する。一男子生徒の膝からの少しの出血程度で過度な心配は無用なことくらい分かっているけれど。
「気を付けろよ」
それでも、綺麗な肌に傷を付けるな、なんてそんな言葉が口から出そうになって止める。若さと自然治癒で恐らくいつものように傷なんて痕も残らずに治るに決まっているんだから。
「先生、絆創膏、いい?」
「あぁ、ごめん。待って?」
定位置にある絆創膏の箱の中から1枚取って渡す仕草をすれば
「貼って?」
甘える表情は昨晩と同じ。
「自分で貼れるだろ」
そんな甘い表情に絆されそうになるけれどここは学校なんだと。自分はあくまでも保健医としてここにいるんだと意識を立て直す。
「ダメなの?翔さん、貼って?」
「こら、学校だぞ」
「ふふ。はーい」
「絆創膏も自分で貼れ」
膝よりも上の部分が、捲るハーフパンツから見える。昨日俺がつけた痕がそこに見えるのは、恐らくわざと。して欲しいとせがまれて、受け入れる前に濡らす目的も兼ねてした時に俺が付けた。
「見えてる」
「何?」
「足」
「あぁ、コレ?」
「ったく、晒してんじゃねぇよ」
今は誰もいないから良いけれど、他の誰かに見られたらどう言い訳するつもりなんだか。若さゆえの浅はかさはコイツに限ってはないと思ってはいるつもりだけど。
「分かってないな。見せびらかすんだよ?オレにはこーゆー人がいますってね。しかもこんな位置にだよ、ってね」
他に人がいない保健室の中、ついさっきまでの無邪気さはもう無い。
「だから、見せて?翔さんの痕も」
一気に大人の顔になった雅紀がそう言って、器用に俺の白衣の中のネクタイを緩めた。
「見るだけなんだよな?」
緩めたネクタイは、同時にシャツのボタンも上から数個外された。
「まさか」
当たり前にそう言って、開いた首元に恐らく口をつけようと近づく。
「だから、学校だぞ、ココ」
嫌なら逃げればいい。雅紀の体を押し戻せば良いだけの話。今日まで力づくでされた事は一度もないんだから。
「嫌?」
「嫌とかじゃなくて、ダメだろ」
「どうしてダメ?嫌じゃないなら良くない?翔さん、オレにされるの嫌なの?」
初めて体を重ねた翌日に言われた。名前で呼んでもいい?って。ムードも何も無いラーメン屋でだったけど、それが何だか嬉しかった。今までこんなにも真面目にやってきたのに、とその時に思ったかの記憶は無い。だけどまさか学生とこんな関係になるなんて、想像すらしていなかった。
「……見えないところに一つだけにしろよ」
なんて言ってみるけれど、今朝雅紀が起きる前に確かめた痕は無数。数えるには恥ずかしすぎて途中でやめた。だから一つや二つ増えたからと言って今更何かが特別変わる訳では無いのだけれど。
「はぁい、翔さん」
だけど、耳元でめちゃくちゃに甘く言う雅紀の返事は
「こら」
俺が言った事は何も守られなかった。まぁ、最初からそんなことは分かっていたけれど。
「先生」
「ん?」
「ここで先生の事抱きたい、って言ったらどうする?」
卒業まであと少し。卒業すれば雅紀がここに来る事はなくなってしまう。
「ここで、か」
雅紀が来なくなるこの場所の想像が今の俺には出来ない。俺にとってここは、いつの頃からか雅紀と会うための場所になっていた。
「ダメならいいんだ。聞いてみただけだから。先生の大切な仕事場だもんね」
この先、自分がここで過ごす時間は長いだろう。異動の話はまだ無い。もし今ここで抱かれたら、雅紀が来なくなるこの場所で雅紀の事をいつの時も怖いくらいに思い出せるかもしれない。
いいよ?ベッド、使おうか
そう考えると、思わずそう言いそうになった。
「困らせてごめん。うそうそ!ここではしないよ!でもちゅーはいいでしょ?もっかいしよ?」
そう言いながらもうしているキスは、雅紀なりの我慢ってやつなんだと知っている。下手くそな誤魔化しは一生懸命。それも理解した上で、ごめん。
「キスだけだぞ」
まだ、ここで抱かれる勇気は無い。神聖だと信じているこの場所では、まだ。同じ学校内でも他の場所ではあんなにも大胆になれたのに。
「うん」
もっとこいつがワガママだったらきっとこのままやったんだと思う。絆されて、簡単に。それくらいに緩いのは俺が雅紀の事を好きすぎるから。だけど違う。若く人生の経験が俺より遥かに少ないはずなのに、人の心を理解しようと必死。きっと俺には勿体なさすぎるほどの良い男にこれから先もっと成長していくんだろう。
「卒業したら」
「何?」
「いや、何でもない」
雅紀が卒業したらどうなるのかな。きっと耐えられないのは雅紀ではなくて俺の方なんだと思う。だから、そうだな。
「あのさ、そのネックレスについてる指輪」
「あぁ、これ?」
「しないの?」
して欲しいと言えば良いのに。独占欲の塊ですって。雅紀は俺のだという印なんだから指にして欲しいって、そう言えば良いのに。
「え?!していいの?マジ?え?していい指輪だったの?飾りじゃなくて??」
慌ててネックレスを外す雅紀が可愛くて思わず笑えば照れくさそうに笑う。
「貸して?俺がやる」
頑張って外そうとする雅紀の後ろにまわってネックレスを外して、そこから指輪を抜いて雅紀の左の薬指に嵌めた。
「うわぁ、やば!超いいね!卒業したら毎日付けていい?今は学校ではダメだよね?だって没収とかされたら絶対嫌だから」
嬉しそうに自分の左手にある指輪に見入る雅紀に言いたい言葉はひとつだけ。
「雅紀」
「何?あ、指輪?見て見て!すげぇピッタリ!」
「ん、すげぇピッタリだな」
見ているだけで幸せな気持ちになれるこの笑顔をずっと一番近くで見ていられますにと願わずにはいられない。
「ね!凄いよね!!」
俺の前に左手を翳す雅紀のその手を掴んで、指輪のある位置に唇をつけた。
「俺のそばにずっといてよ」
指輪の位置とこの言葉の本当の意味を雅紀が分かるのは何年後かな。まぁ、何年先でもいいか。
「うん!当たり前でしょ!」
だって、これから先も間違いなく俺たちはずっと一緒にいるんだから。
保健室 番外編
終わり