どんなに完璧に見えている人にも、人間誰にでも過去はある。素晴らしい過去ばかりの人もいるのかもしれないけれどそんな人は極一部だと思う。
オレから見れば完璧でしかない櫻井君だって、オレが知らなかっただけで普通の男の子だったんだよね。
「つーか、女遊びしてたんだ」
「まぁ……人並みにはね。軽蔑した?」
そう言いながらも櫻井君の顔の近くにあったオレたちの手は更に近くなっている。
「しないって。櫻井君がモテるのなんて容易にわかるし」
気になったら止まらない。話の内容よりも、オレの手が櫻井君の唇に届きそうな位置ギリギリにあることの方が気になってしまう。
「軽蔑しないんだ?」
「意外だとは思ったけど、軽蔑は無いよ」
そのギリギリの手の位置に比例するかのように、体の距離も近くなっているように思う。手をオレに見せた後すぐにその手がオレの腰を抱いた事には当然気付いていたけれど、お互いにその事には触れずに今まで。
「……そっか」
だけどもうギリギリ。櫻井君の息が手にわかる距離にある。こんな事くらいで高揚している自分に驚くのは当然で。だって初めて人と手を握っているわけじゃないから。
「軽蔑云々より、初恋の話の方が気になるけど、ね」
手が気になりつつ、だけど少しだけ話を逸らそうとしてみるけれど
「それはまだ、ダメ」
「まだって……」
「だって言ったじゃん。100回って」
「それは片想いの相手の事じゃないの?」
「……やば」
墓穴……と独り言のように呟いた後で、とにかく100回会うまではダメだと言う。
「マジで100回?ふふ、そんなの無理じゃん?」
「そう?本人たち次第じゃない?」
近くで笑う櫻井君はやっぱり綺麗だと思う。こんなに綺麗な人にオレの今までの事を知られたらこの距離は一気に遠くなってしまうんだろう。
「櫻井君」
言えばきっと軽蔑されるだろう。もしかしたら気持ちが悪いと罵られるかもしれない。今の櫻井君からは想像する事も難しいけれど、嫌悪感でいっぱいの表情になるかもしれない。
「ん?」
それでも言うべきだと思う。まだ何も始まっていない今だからこそ。自分の過去を話してくれた櫻井君に対する、それが最低限のルールだと思うから。
「……オレは、さ、女遊びなんて易しいもんじゃないんだ。オレの場合は男遊び。気持ち悪いよね、ごめん。でも、オレのそういった対象は幼い時からずっと男なんだ」
勢いで一気に言った。櫻井君の目を見ることは出来なかった。軽蔑を意味する表情を見ることが怖かったから。
離れていくであろう手も体も諦める。だって仕方がないことだから。軽蔑されても当然だと自分でも思う事を発言したのだから。
今までのオレなら適当に相手の都合の良い様に話を合わせたのに。
せっかくこれが恋愛という感情なんだと気付くことが出来たのに。
オレにはやっぱりどうしたって恋愛と言うやつは不向きなのかもしれない。
「知ってたよ」
そう言った櫻井君がオレの手に唇を付けた。ギリギリの距離を保っていたはずだったのに。
それはまるで本物の王子様の様に。
そのキスひとつで、今までのオレの事全てが許されるんじゃないかと錯覚した。
「知ってたって、何が?なんで?」
誰かに言ったつもりは無い。自分が普通と違うんだと知られたくなかったから。隠さなくてはいけない事だと分かっていたから。
あの店を知るまでオレは隠し通す事に懸命だった。だからそれまでの人達に知られているなんて思ったことすらなかったのに。
「人伝いに聞いたんだ」
「人伝い?……潤君?」
「いや、松本じゃない。それこそ学生時代の友人。去年かな。もうちょい前かも。そういう店で相葉くんのこと見たやつがいてね」
無い話じゃない。その頃はもう隠して生きるのをやめていた。対象が男であるということを認めてくれる世界の中では自由に生きていたから。
「……そうだったんだ」
「黙っててごめん」
「ふふ。それこそ櫻井君が謝ることじゃないよね」
知っていたという言葉と離れない唇に気持ちが楽になった。本来ならその友人とやらに知られた事を気にするべきかもしれないけれど。
「相葉くんは一際目立ってたって。だから見間違いじゃないってさ。そいつ熱弁してくんの」
手に唇をつけたまま話すから少し擽ったい。つかまれた腰はその距離を縮めてもう、体が重なりそうだった。
「オレのこと、気持ち悪くないの?」
重なりそうな体の意味は好意だと思いたい。ここまで話したんだ。軽蔑しているならとうに離れているだろう。
「男遊びについてはこれから詳しく聞かせてもらう。だけど、対象が男な事はむしろ喜ばしい」
「喜ばしい?いやいやキモイでしょ。男とヤッてたんだよ?オレ」
また自分の首を自分で絞めてるし。わざわざリアルに言う必要なんて無いのに。
「はは!まじで素直だな。相葉くんってあの頃からそうだったよね」
真っ直ぐな目を好きになったんだ、と言ってまた手にキスを繰り返しする。わざと立てる音が照れくさい。
「よく言うよ。オレのことなんて知らなかったでしょ」
「知ってたよ。相葉くんはすごく目立ってた」
今までのことを知られても尚、手へのキスを繰り返す櫻井君にこれ以上を求めたくなることは間違いなんだろうか。
「だからずっと目を話せなかった。そのくせに声のひとつもかけられなかったんだから意気地が無かったよな、俺」
過去のことを思い出していて無意識に唇が離れたんだと思う。櫻井君の唇で少しだけ濡れた自分の手が、ものすごくいやらしく見えた。
「意気地が無かったのは、オレも」
今なら進めるかもしれない。あの頃踏み出せなかった一歩目を。自分の感情がどの位置にあるのか分からなかったあの時には踏み出せなかった一歩を。
「相葉君も?」
「ん。情けないよね」
そう期待してオレは、紅く柔らかな櫻井君の唇に自分の唇を付けた。