先日、4月14日(日)の朝日新聞の歌壇・俳壇から。
まず、短歌。
「昨日まで子のいた部屋を掃除する春風そっと通り過ぎゆく」。この歌の作者は、東京都の女性名の方。この歌の『評』に、「就学または就職で家を出たのだろう。場面の取り方がうまい。」とあります。
「開発で里山の森がなくなって住宅の屋根でフクロウが鳴く」。この歌の作者は、出雲市の男性名の方。
「裏金だパーティーだなどと騒ぐ間にほらほら兵器売る国となる」。「子らはどう学ぶのだろう武器輸出するこの国の平和憲法」。武器輸出の前に、そもそも、自衛権や自衛隊は中学・高校でどう教えられているのでしょうか?
「卒業の高校生が船長に花束渡す小豆島港」。この歌の作者は、常連の観音寺市の篠原俊則さん。いい風景ですね。
「花大根のうすむらさきは祖母の色一生(ひとよ)働きわれを愛(かな)しみ」。この歌の作者は、名古屋市の女性名の方。
次に、俳句。
「飾りたる雛(ひな)を納めず逝き賜う」。この句作者は、洲本市の高田菲路さん。何とお読みするのでしょう。性別は?
「縁石と棒切れが好き春休み」。そういえば、わたくしもしきりと棒切れを振り回していた頃があったように記憶しています。60年ほど前。
「春愁などこの腰痛にくらぶれば」。この句の作者は、常連の栃木県壬生町のあらゐひとしさん。 「小一に壁のそびえる四月かな」。
「それからはぶらんこばかり漕いでます」。この句の作者は、長崎市の里中和子さん。この句の『評』に、「こちらの人生には何があったのか。」とあります。わたくし、遠慮なく想像させて頂きますと、連れ合いの方が亡くなったのではないでしょうか。これは無季、身辺報告。でもいい句だと思えます。
「白き富士消えて一村花吹雪」。この句の作者は甲府市の女性名の方。桜吹雪だとすれば、投稿時点では先取りの予定稿でしょうか。
今回は、上のようでした。