先週、1月22日(月)の読売新聞の歌壇・俳壇から。
まず、俳句。
「再会の手袋咥え脱ぐ握手」。この句の作者は久喜市の女性名の方。「教え合ひほめ合ひ笑ひ日向ぼこ」。この句の作者は、女性名の方。「考へずゐて無になれず日向ぼこ」。こちらは男性名の方。
「ごみ出しと犬の散歩の年暮るる」。この歌の作者は、川越市の益子さとしさん。簡素なご立派な生活、潔いうたです。
「動くかに見えて動かぬ飾海老」。「この赤はなんという赤寒椿」。「獲物から羽噴き上ぐる鷹の狩り」。「冬帽に卵もらふ生活(くらし)して」。この句の作者は、岩出市の男性名の方。
「七度目の辰や五臓に寒の水」。「ひしやげたる枯蟷螂(かれとうろう)の腸(わた)乾(から)ぶ」。
「薬喰(くすりぐい)営業課女子四人組」。この句の作者は、常連の志木市の谷村康志さん。「薬喰」とは、「むかし寒中に身の栄養になるものを食べるとしてシカ、イノシシの肉などを食べたこと」。
次に、短歌。
「ゆるやかな坂道なのに息が切れ秋の扇風機のように寂しい」。この歌の『評』に、「秋の扇風機のようだ、という一個の比喩だけで成り立っている歌。比喩ひとつで、歌ひとつ。以前はこんな坂道なにごとでもなかったのに。老いは厳粛にして悲しい。」とあります。
「壊れゆく脳持つ母は突然に仁王のような顔で怒りぬ」。この歌の作者は女性名の方。この歌の『評』に、「これは悲しい。突然、激情に駆られて怒り出す。その理由がわからない。わたしの母もそうであった。怒るうちはまだ元気だったと思う日が来る。それを待つしかない。」とあります。上の歌もこの歌も、選者は小池光さん。
「杖をつき「文藝春秋」買いに行く毎月十日の母のルーティン」。「本能をもちてオスメスそれぞれの役目果たせりヒトを除きて」。「小さき手にランプの火屋(ほや)を磨きしとふ母の生家は住む人もなし」。
「燃え盛るほのお迫りたりし道二十九年経て寒木瓜の咲く」。この句の作者は、神戸市の男性名の方。この句の『評』に、「一九九五年一月十七日に起きた阪神淡路大震災。あれから二十九年が経った。街を呑み込む炎の赤と、寒木瓜(かんぼけ)の花の赤。色彩を介して震災の記憶を印象的に描いている。」とあります。
「からすうり一つ残りて藪にありこれが見納め春には宅地」。「旧姓の筆名の短歌投稿す母さんがいつか忘れる前に」。「我よりも早起きだった朝がもう我より寝坊になって極月」。
「貝殻に入りし皸(あかぎれ)軟膏をすり込む母の記憶今でも」。わたくしは、祖母が貝殻の膏薬を使っていたことを記憶しています。母の方は、近所に生えていた何とかの植物の柔らかい実を塗り付けていたことを記憶しています。その母は、昨年末103歳で他界しました。
「雪である理由は見ればわかるから夜中に海へ降ったらあかん」。この歌の作者は、枚方市の久保哲也さん。この歌の『評』に、「人の心は雪のようなものだから、貴方(あなた)の心は私の知らないところで勝手に消えないで…という歌かと読みました。どうであれ美しい抒情と想像力を言葉にした一首です。」とあります。
「スーパーのレジに列なす老夫婦に労り合える歳月が見ゆ」。「やさしい人のやさしさが枯渇するまでに覚えねばならぬ仕事の手順」。「苦しみに耐へがたき夜は独房に母の手紙を繰り返し読む」。この歌の作者は、山形市の新垣ちのはさん。
今回は、上のようでした。