上の娘が急性骨髄性白血病で亡くなってから、もうすぐ1年になります。
娘の生きていた証として、忘れないうちに記録を残しています。
気になる方はスルーして頂けると助かります。
これが生前最後の記事の思い起こしになります。
ビックリするほどあっと言う間に状況が悪くなって来ていました。
記事は丁度1年前の今日の事。
自主隔離を終了し、早速娘に会いに行ったが、そこには変わり果てた娘の姿があった。
2週間前のタイへの出張前の姿とは、あまりにかけ離れていた。
私は娘にマスクを外した顔を見せた。
何となく、今見せておかないと、もう素顔を見せる機会が無くなる様な気がしたからだ。
娘と仲の良かった担当医は学会への参加の為ずっと不在だった。
代わりに同じチームの別の医師から詳細の説明を受けた。
淡々とした説明だった・・。
歯車が狂った大きな原因は、2度の臍帯血移植でも生着しなかった事。
娘の言葉を借りれば、論文に出来そうな想定外の出来事だ。
最後の手段としてG-CSFの投与が始まり自身の白血球を増やす手段に出た。
でも、あまりにも遅すぎた・・。
それに強烈な前処置を行っていたので、白血球再生の可能性は限りなく低かった。
それでも僅かな期待を持ってHCUをあとにした。
私はこの時、最悪の事態を覚悟した。