上の娘が急性骨髄性白血病で亡くなってから、もうすぐ1年になります。
娘の生きていた証として、忘れないうちに記録を残しています。
気になる方はスルーして頂けると助かります。
いよいよ絶望の日が近づいてきました。
タイから帰国する前日の記事です。
丁度ホテルに隔離されていた時期で、私はプールサイドでコーラを飲みながら仕事をしていた。
かみさんからのLINEを読み、かなり厳しい状況である事を認識した。
毎日行ってる採血でも、全く生着の兆しが見られなかった。
白血球も好中球も、年末からずう~と”0”のままなのである。
もうこの時点で、生着不全はほぼ確定だった。
何故もっと早く再移植に踏み切れなかったのだろう・・・
早く娘に会いたい。
ただそれだけだった。
そして帰国・・
娘から来た悲痛のLINEを読みながら、私は3日間の自主隔離期間を過ごしていた。
最大の問題は肺に水が溜り始めた事だった。
全く抵抗力の無い体で体内感染が始まってしまったのだ。
記事では、15日にかみさんが末梢血幹細胞移植の為に入院の予定を立てていた。
でも・・
これでは・・・
遅すぎるんだ・・・・
何故もっと早く移植が出来なかったのだろうか・・
担当医師のチームが熟考の上で立てた計画なのだとは思うが、やはりもう少し別の手は無かったのだろうかと、今でも悔やみ続けている。