1991年10月(亜美6ヶ月)幼児洗礼 | オレゴンの微風

オレゴンの微風

在米49年、木々のざわめきで知るオレゴンの微風の中に小さな幸せを感じる今日この頃。特別養子で授かった愛しい娘の事や、結婚生活36年でこの世を去ってしまったオットとの日々、それにチワワのむ〜ちゃんを交え、徒然なるままに書くブログです。

私は、クリスチャンです。滅多に教会にも行かないし、信心深くも無いけれど、やっぱり、今までの長い人生を振り返っても、クリスチャン以外の何者にもなれ無い自分がいます。

 

オットは、、、???何なんでしょうね〜。義母はクリスチャンですが、亡くなった義父(義母とはとうの昔に離婚)はエホバの証人だったらしいし、その前は天理教にはまっていたらしい。オットは、その両方に反発しながら育ち、私たちが結婚した頃には(偶然出会ってしまった2回を除いて)、義父とは絶縁状態でした。

 

亜美を育てるに関し、オットは全面的に私の意見を通させてくれました。と言うか、オットは育てること自体に特別な思い入れもなかったので、私のやりたい放題!爆  笑爆  笑爆  笑

 

私の属する聖公会(イギリス国教会系)では、幼児洗礼というものがあります。勿論、『まだ聖書の教えもよくわからず自分の意志決定が十分にできないうちに洗礼を受けたって意味がない』や、『宗教は、親が押し付けるものではない』と考える方も沢山いらっしゃいます。

 

でも、たとえクリスチャンの中では放蕩娘である私でも、キリスト教に培われた私の魂を亜美に伝えなければ、私が亜美の母である事の意味が無くなってしまいます。それに幼児洗礼を受けさせても、亜美が自分自身でキリストを受け入れると決める時には堅信式というものがあり、それを経て、やっと大人の信仰生活に入る事になりますので、それまでは、両親や教父母が『キリスト教の精神を持ってこの子を育てますよ』と表明する事に他ならないのです。

 

私は亜美に幼児洗礼を受けさせる事にしましたが、それをするには、オットと私が幼児洗礼の意味とその後の宗教教育に関するセミナーを受講する必要がありました。当時、かなりオットは忙しかったので、難色を示すかと心配しましたが、快く数回にわたるセミナーに出席してくれ無事、洗礼式を受けられる事になりました。

 

下がその時の写真です。亜美の受洗ドレスは私が心を込めて縫いました。何時もはアロハシャツやTシャツばかりのオットも、この日はジャケットを着てくれました。

 

牧師さんと一緒に。

 

記念に写真やさんでも、お写真を撮ってもらいました。

 

受洗後のパーティーには、お店(当時、和食レストランを経営)のレストランサイドの従業員も駆けつけてくれました。ラウンジはこの時開業していたので、ラウンジサイドの従業員はいません。お寿司屋さんのお兄ちゃんに抱かれても亜美はニコニコでした。

 

***

キリスト教を通して私が亜美に伝えたかったのは、慈愛の精神、感謝の心、祈り、シェアしたり貢献する心、等々。25歳の亜美を見ていると、私が満足いく程度には伝わっていると思えます。が、亜美の堅信はまだです。拒否では無く、今まで宗教について考える機会が無かったと言うのが実情です。それに、これは以上は、亜美と神様の問題なので、私が亜美の宗教に関わるのはここまでです。

 

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