再生不良性貧血、白血病等の血液疾患の患者は定期的に血小板の輸血を受けねば生きることができない。血小板は人間の体でしか造ることができず、全量を献血者に頼らねばならない。私は中堀由希子さんをテレビで見てからは、献血手帳を複数持ち、ルームによって使い分け他県へも越境して毎週血小板成分(PC+PPP)献血するのを数ヶ月続けた。当時はコンピューター管理が甘く、献血者コードを複数取得できた。全国のシステム統一で名寄せがされたのはずっと後になってから。現在は生年月日を偽らなくては不可能となった。結果的に日赤に虚偽の申告をしたが、患者のためウソも方便だと思った。
* 献血手帳・献血カードを複数所持しての制限超過献血は違法のため、後年実施された日赤の新システム移行時、メイン手帳への統合及び献血回数の合算申し出はしておりません。当HP開設当時より、トップページ記述の通算献血回数には、サブ手帳での献血回数は含まれておりません。
Upd2009/11/21(土)
’92年春。毎週土曜日の18時からテレビ朝日系で『ザ・スクープ』が放送されていた。’91年末に日本骨髄バンクが発足、ドナー登録が開始されたばかりで世間での認知がされていない。この番組に何人かの白血病患者自身が自ら登場してドナー登録を訴えていたが、その中に中堀由希子さんもいた。彼女の流す涙と必死に訴える姿を見て、私はドナー登録。彼女は積極的にマスコミに出たり全国各地を回り、他のドナーの見つからない患者のためにもと、バンクのキャンペーンガールとして頑張った。しかし彼女は’93年1月死去…直後のザ・スクープ追悼番組、バックで流れたエルトン・ジョン『ユアソング』は一生忘れないだろう。
Upd2002/1/1(火)
東京・八王子支店勤務時代は、すぐ近くの八王子そごう内にあった献血ルームへ通っていた。’90年に大阪・千里中央支店へ転勤。全血400mlの初回は同年7月。成分献血の初回は’91年1月4日、大阪・日本橋献血ルーム。それまでは全血が本当の献血なんだと思い込んでいた。赤血球を提供しない献血なんて邪道とまで(笑)。だって、成分献血をしている人の採血バッグ内に溜まっている液体が黄色くて、こんなの本当の献血じゃない、という偏見を持っていたのだ。しかし、外国からの輸入製剤の比率を下げようとしている現状を知ることになり成分献血を始めることに。
Upd2002/1/1(火)