’99年4月8日、札幌駅前のアスティ45ビル内に献血ルームが開設された。記念すべき第1号をゲットのため、早めに到着。セレモニーの後、受付開始で前検へ。私の周りをテレビクルーや新聞社の報道陣が囲む。担当のナースも「緊張する・・・」、と小声で漏らした。血圧測定で上が160(!!)を記録。この状況では当然だろう。測り直してそれでも高いが可に。アミカスで血小板成分献血ができた。採血ベッドに横たわる私の姿が地元で最大部数を誇る北海道新聞に掲載された。後日、採血番号欄に『02-2334-0000』と記載された検査結果が届いた。
Upd2002/1/2(水)

’95年4月から献血回数のカウント法が変わる。それまでは、200ml=1回、400ml=2回、成分=3回だったのが、全て1回に統一された。一部の献血者(200mlしかやらない人?)から、一回のボランティア機会は同じなのに、献血手帳に押されるハンコの数や、50回毎の表彰機会への到達度合いに差がつくのはオカシイとの苦情(?)があったらしい。しかし、200mlはほんの数分で終わるが、成分は30分~90分間と採血針の刺さっている時間が違い、精神的な負荷も重い。薬価でも格段の差がついており、医療への貢献度合いの違いは明らかだ。差をつけることを悪とし、何でも平等を叫ぶことが本当に正しいか?
Upd2002/1/2(水)

中堀由希子さんの逝去から間もなく大阪・MBS毎日放送が『10万人目の奇跡キャンペーン』と題した骨髄バンク推進のためのCMを流し始める。中堀さんの生前の姿、涙を流すアップの顔と死去のテロップ。番組の合間に頻繁にこのCMは流された。やがて、CMは全国のTBS系列各局でも流れることに。’93年秋、私は啓発活動に専念したいと考えて証券会社を辞め、実家のある札幌で活動しているボランティア団体で専従することに。もちろん無給のため、朝刊の新聞配達をすることになる。会社を辞めてでも、今やっておかねば後で後悔するという思いが強かった。 今もこの選択は正しかったと思っている。
Upd2002/1/1(火)