高校時代、札幌大通献血ルームに通っていたが、同所に通う献血者がメンバーとなり献血啓発活動に取り組もうということになり、RBS(レギュラー・ブラッド・サスペンダー)というグループが結成されることになり募集があって私も応募。その発足集会の席には、北海道赤十字血液センター所長に就任間もない関口定美氏も出席され、メンバー一人ひとりの自己紹介の時、私は「献血回数の日本記録を目指します」と宣言した。関口所長は後に輸血に関する本を何冊も執筆されるなど日本の血液事業に大きな功績を残された。既に故人となってしまったが、今も当時の情景が鮮明に思い出される…
Upd2001/12/30(日)

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初献血は16歳の時。誕生日の翌月、高校通学で乗換駅だった大通駅のある地下街・オーロラタウンに献血ルームが開設されたのを知って行ってみた。当時、成分献血はなく全血の200mlのみ受付されていた時代。高校生でも1ヶ月の間隔をとれば献血可能だったので、毎月通うことになり、年間12回献血した。当時、新聞配達(朝刊のみ)のアルバイトをしていて、しかも部活(陸上とアーチェリー)もやるため、当然毎日が睡眠不足状態だったが、若さで乗り切れていた。今思うと献血までするのは無謀。母は結婚前、看護婦だった。もしかして、医療へ貢献する精神が一部遺伝したのかも…?
Upd2001/12/28(金)