じいちゃんの命日 | 富士山の見える大きな川のあるところ

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自分の人生のいろいろを紹介します。


祖父の命日


1945年4月17日は祖父の命日


私が生まれる何十年も前のこの日


私の祖父は戦争の赤紙が来て戦地へ


シンガポールのある土地で、食料も尽きた部隊は同盟軍の食料を盗みに行くしか食べる宛もなく


順番で盗みに言っていたと聞きました


隊の同胞の不調で交代して盗みに行った時に射殺されたと


見も知らない祖父を私はとても信頼しています





母に対する不信


私は幼い頃から母に甘えたいのになんで甘えさせてくれないのかな、といつも感じてました


添い寝しても母だけが寝てしまって私は一人寂しく思ってました


言う事を聞く時は機嫌よく、私が何もしてない時は素っ気なく、とにかく甘えられませんでした


なので、母に対する不満を誰かに言いたい時、祖父母の家の仏間に入って、祖父に話しかけたのです




色んな声がする


戦死した祖父は、私を慰めてくれました


「ごめんな、一緒にいてあげられなくて」とよく言われました


私は一緒に話せるだけで安心して自宅に帰りました


何度も祖父と話して行くと、他の先祖の声も聞こえるようになりました


もっと幼い頃には犬や猫、色んな動物とも話せると思っていたので、小学6年の時まではみんな動物とも話せると思ってました


なので、道行く人も自分に何か言ってくると言う事も有りました


でも、とんでもない発言が多かったから、心の声を私だけが聞こえていたのだと思います


それが分かったのは、結婚して息子と歩いている時に確認して気づきました


人に合わせて生きてきて


協調性が無いと、物心つくぐらいから言われてました


親からも人に合わせなければいけないと諭され

余り目立たないように生きてました


それまでは自分の好奇心の赴くまま生きてました


学校でも行事などに協力するようになりました


それまでは自分には関係ないと思ってました


結婚しても合わせなければならない所は合わせてました


ママ友とは余り付き合いませんでした


しかし、結婚20年過ぎた時、もう無理となりました


一人暮らして


別居してアパートで一人暮らしをしていると、それも違うと感じ旅に出て、アパートを引き払いました


そこから転々と色んな方のお宅に住まわせて頂いて今の所に来ました


一人過ごす時間は私は、祖父と話すようにその他の存在と話してました


それをしている時は落ち着いていられました


しかし、誰かと住んでいると相手の心、体調など読んでしまい、疲れるのでした


今も、トイレにいきたい感覚は困ることがあります


相手がトイレにいきたい時、私も行きたくなるのです


だから、一人で暮らす方が良いと思ったのでした


私は基本、寂しくはないから


見えない存在と話せるから、ただ身体は疲れたりします


それで、ネット動画を見すぎているというのもあります




引越す


祖父と久しぶりに今日話しました


分かったことは、祖父も繊細だったということ


薄々、気づいてたのですが、私の父方も母方も繊細な人が多く、父もよく霊を連れて帰ってきました


霊を連れて来ている時は全く別人格になってしまってます、表情も険しい


祖父は私と似たような思いを抱いてました


なぜ戦争に2回も行ったのか?と云う質問の答えは、「世の中何とかしたい」でした


自分一人の力ではどうにもならないけど、何かをしなければという思いに突き動かされた、ということでした


私も今のこの世の中に生きて、何とかしたいと云う思いはあり、自分一人ではどうにもならないも思ってます


今、私は引越しをしようとしてます


これまでの関係性は終わらせて、自分で生きていくために


自分がしたいことも、場所を変えればできるようになると思ってます


その助走が引越しだと


祖父や守護の存在と一緒に生きていく場所になりますように






 

 



 

 



 

 



 

 



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