~ Motion Picture Angel ~ 映画の天使が誕生した日(1) | 日本と芸能事が大好きな Ameyuje のブログ

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米合衆国領土グアム島と仏領ポリネシアのタヒチ島とボラボラ島しか訪れた他国無し。比較対象が少ないのに「僕に一番合うのは日本」と思う。反日国に侮辱されても毅然とした態度をとらない現在の母国には「いやんなっちゃうな~」と立腹するけど、やっぱり日本が大好き。

 『川喜多 かしこ(かわきた かしこ、1908年3月21日 - 1993年7月27日)は昭和期の映画文化活動家。川喜多記念映画文化財団理事長で東和映画の代表』

 

 

 Wikipediaで 冒頭、このようなラインで紹介される女史が我が国に残された功績の大きさはは計り知れない。 国際的映画人であられた夫君の川喜多長政氏とともに、日本国の映画文化の発展に絶大な貢献をされた方である。

 その かしこ女史をして『あの方は映画の天使だと思います』と称賛せしめた人物が、百十一年前(明治42年)の今日、4月10日、神戸市兵庫区に生まれている。



 昨日も 昔の文章転記に終わったけれど、今日も22年前に書いた文章を使って同じことをする。ただご容赦頂きたいのは、以下の文章は 当時孤独だった私が心の支えにしていた3つの存在のうちの一つ、そんな大好きな淀川長治先生を他の人に紹介したい!というただそれだけの思いで書いた文章なので、これ以上の力を注いだ文章はもう書けないのです。

★ ★ ★

~ Motion Picture Angel ~ 
淀川長治先生は 映画の神様が地上に贈った映画の天使だ! 


 チャーリーよりも丁度20歳若い(二人とも4月生れ)淀川先生も、今年(1998)の4月10日で89歳になられます。チャーリーを超える年齢を重ね、彼とは別のアプローチながら映画と深く関わって暮らしてこられた淀川先生。


 私は今、同じ日本の大地の上に先生が居て下さることに感謝しながら、先生のページを作成したいと思いたちました。

淀川先生って・・・



 淀川長治先生は兵庫県の神戸市出身でいらっしゃいます。正確には御生家は兵庫区柳原で、そのご実家は明治初期発行の商店紹介絵図「神兵豪商 湊の魁」にも紹介されている料理貸席業 「淀川」という、料理屋と置屋を営む兵庫では有数の富商でした。

 

 父上は 淀川又七、そして先生が生涯愛し抜かれた母上は りゅう というお名前です。先生は母上が亡くなるまで、自分の誕生日は「私を生んでくれた母に感謝する日」として、余人を交えずにお二人で過ごす日に決めていたそうです。

 

 父上は母上よりも32歳も年上でした。 そのことには実は複雑な家庭内事情があり、そのあたりの詳細は先生が83歳の時の著書で語られています。


 この年の差夫婦に二人の娘さんができた後、1909年(明治42年)4月10日(土曜日)の朝10時15分に「富家・淀川家」待望の男子が生まれ、長治と名付けられました。 先生の著書ではこの日は日曜日だった、となっていますが、私のPCで計算すると土曜日でしたので、それに従いました。また(余談ですが)、4月10日というのは先生と仲の良い放送作家&マルチタレントの永六輔氏の誕生日でもあります。


 先生誕生の前日まで、映画館の株主でもあった御両親は、揃って活動大写真を観ていました。 どれだけ映画好きだったかわかりますね。御両親は歌舞伎や文楽など、その他の舞台芸術全般がお好きだったようですが、この血が先生にも伝わったのでしょう。(この御両親は長男の長治少年を大変に可愛がり、映画のみならず、芝居、文楽、その他の舞台などにはいつも一緒に連れていったそうです)

長治少年って・・・

 

 「私はねぇ、小さいときは信じられないくらいの人嫌い! 恥ずかしがり屋でねぇ・・ひとが向こうから来たりすると逃げ回ってばかりいたの」と先生は語っておられます。


 富家である淀川家は大きなお屋敷。そのお屋敷の戸袋の横や廊下の奥といった薄暗いところで ”じいっと” 隠れているのが好きな子供だったそうです。ただ、動くものや綺麗な模様を観るのが好きな子供でもありました。
 

 ここで先生の幼少期のエピソードをいくつか紹介しましょう。
 明治43年5月19日、地球に近づいたハレー彗星が日本上空で観られました。1歳1ヶ月の先生はお祖母様に背負われてそれを眩しく観たことを覚えているそうです。
 

 そして2つ3つといった年齢の頃、いつものように奥で隠れていると、戸袋の間にあった釘跡の穴から差し込んだ光が障子に外の景色を映し出した。なんと! 表の景色、人力車が走る様子などが逆さまに障子に映っている。 この感動も強烈だったようです。

 そして活動写真への目覚めが4歳の時です。勿論、それまでにも幼児の先生は活動写真好きのご両親に連れられ(抱かれ)て映画への接触はしていましたが、一人分の席を与えられて、活動写真を初めて正面から見たのは4歳の時だったそうです。
 

 「両親と出かけた九州・別府への10日間の温泉旅行中のある晩、別府の街ではお祭りがありました。広場のテント小屋では活動写真の呼び込みがお客を集めていました」と淀川先生は語られています。
 

 活動写真好きのご両親は当然テント小屋に入っていきます。幼い長治ちゃんも草履を脱いで座布団にfあがり、初めて大きな白い布を真正面から座って観ました。上映されたのは、ある男が借金まみれで切羽詰まり、とうとう鞄の中に隠れてしまって、その鞄が一人で動き回るというトリックの滑稽写真でしたが、「その映像を観た時に初めて、活動写真とはこんなに面白い物か!と思ったものです」と淀川先生は語っています。 そして驚くべきは、たった4歳の淀川先生がそのストーリーを正確に記憶していたことです。


 その作品は「クレティネッティの借金返済法 (1911年度 作)」だったのですが、後年、先生が2ヶ月余りの入院生活をおくった時に知人の方が用意してくれた「明治期の活動写真を集めたVTR」の中にその作品を見つけました。自分の記憶と寸分違わぬその内容に感激されたそうです。


 淀川先生は講演会などの舞台に立つ度に「私は4歳の頃に九州の別府で観た活動写真、鞄のトリックの滑稽が面白くて、面白くて、それで今日まで来たようなものです」と語り続けられているそうです。
 また、先生は5歳で松井須磨子がカチューシャを演じる舞台を観られているそうです。 

長治少年に映画の洗礼
 

 淀川先生は少年期に観た3本の映画によって「映画の洗礼を受けた」と語られています。勿論、その頃にはこの「淀川のボン」は毎週のように映画を観ていたそうです。

 



 まず1本目の作品は10歳で観たモーリス・ターナーの「ウーマン (1918:大正8年公開)」でした。5つのストーリーからなり、それが全て「女性の内面」を描くという映画で、長治少年の心にこの映画で見た「女」というものが深く焼きついたといいます。

 

 

 


 続いて2本目の作品が翌年11歳の時、神戸の第一朝日館(長治少年はここの常連でした)に一人で出かけて(しかも、エエトコのボンボンだった長治少年がとったのは一等席!)観たセシル・B・デミル監督の「男性と女性 (大正9年公開)」でした。

 


 グロリア・スワンソンとトーマス・メイハムが共演するこの映画は、大富豪とその召使い達の乗った船が嵐で無人島へ漂着するところからドラマチックな展開を見せるのですが、その展開が「ハラハラ・ドキドキ、あまりにも面白い!」ので、途中とうとう長治少年は第一朝日館で電話を借りて家族を呼び、ご両親やお姉さまやその他で7人分の席まで予約して待ってから、もう一度観たそうです。

 


 巨匠デミルのこの作品によって、「映画は最高の娯楽だ!」との思いを強める長治少年でした。


 そして、映画洗礼の決定打は13歳の時に観た、デイヴィッド・ウォーク・グリフィス監督の「散り行く花 (1919:大正11年公開)」でした。主演はリチャード・バーセルメスとリリアン・ギッシュ。20歳の中国人青年と13歳のイギリス人少女の愛と死の物語でした。

 


 長治少年はこの映画から「愛に国境は無いんだ、世界中愛は一つなんだ」ということを学んで涙したそうです。 此処に至って長治少年は心から思ったのです。


 「なんと、映画とは立派な芸術だろう! 映画は文学や音楽や絵画にも負けないなぁ、映画こそ本当の芸術だなぁ。 僕はできることなら、一日一食しか食べられなくてもいいから、神様、僕は、映画と一緒に暮らしたい!」・・・ と。

 この頃までに、先生はロシアの歴史的バレリーナであるアンナ・パブロワ(1881-1931)が「瀕死の白鳥」を踊るのを神戸の映画館の舞台で観ています。(この時は気が変になるくらいに感激して、なんと二度も観に行ったとか。チケットは現在のお金に換算すると5万円ほどだったそうです。)

 


 また、スペインの舞踊家アルエンティーナの舞台は15、6歳の頃にご覧になったそうです。
 

 これらの体験は淀川先生が後にハリウッドを訪問したときに大いに役立ちました。MGMのミュージカルスター達にこの頃に観た舞台のことを話すと、先生はスター達に最敬礼されたそうです。このようなエピソードを知る度に、私は、この20世紀の芸能史を肌で記憶している肉体と頭脳が、同じ日本という国土の上で現在息をしているという現実に感動します。
 

 余談ながら、長治少年は「学校の先生、バレエダンサー、映画の仕事」と、なりたいものが3つあったそうです。 (結局、先生の情熱は映画の仕事に収束するのですが)
 

★スミマセン、無茶苦茶長いので 分割します★

 

執筆者への愛のムチを

頂けましたら幸甚ですニコ

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