♪言葉はみんな~、生~きているぅ~♪生き~ているから、変~わるんだぁ~♪ | 日本と芸能事が大好きな Ameyuje のブログ

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米合衆国領土グアム島と仏領ポリネシアのタヒチ島とボラボラ島しか訪れた他国無し。比較対象が少ないのに「僕に一番合うのは日本」と思う。反日国に侮辱されても毅然とした態度をとらない現在の母国には「いやんなっちゃうな~」と立腹するけど、やっぱり日本が大好き。

 

 私には兄が一人いて、学年は1つ上で、年齢は1歳10か月上だ。 私と違って彼は大学を出るとすぐに結婚して、娘を3人持った。

 その娘たち3人も、とても若い年齢で全員が結婚していて、高校生や中学生の子供を2~3人持っている。つまり我が兄は8人ほどの孫を持っているのだ。 私から見れば孫(てっそん)なのだが、親族なのにもう最近はほどんど会うことがない。

 

 孫たちと同じ年齢の少年少女たちと少しだけ会話をする機会があった。 その際に、おそらくSNSでの用語なのだろうが、少年少女たちの会話中にまったく意味を解しかねる言い回しを聴いた。

 当然、いつもの私の頼りの綱、インターネットにアクセスして 「SNS 若者言葉」 といったキーワードで検索をかけてみる。愕然とした。短縮、合成だけではなく もはや原型をとどめないまでに加工された「若者言葉」。

 

 「まじ卍」 くらいは3年前の「踊るさんま御殿」で知ったものだけれど、同じことを繰り返して言う際に「定期」と付けたり、「おはようのあいさつをありがとう」というのが「おはあり」とか言うのだと聞くと、 昭和35年生まれには 令和の時代の少年少女たちの世界は、月よりも遠くに感じられた。

 

 なんで こんな断絶の深さを嘆いて、愚痴を書いているのかというと、かなり以前のブログでも書いたように、定年きっかけで古いHDDの整理をしていると、昔の文章がぽろぽろ見つかるわけで、その中には過去において「ことばは生きている」なんて感じた時の文章が出てくるからだ。

 

 あぁ、あの頃の俺は、そのさらに過去に対しても隔たりを感じてたんだなぁ~と、昔の自分の文章を読むとタイムマシンに乗っているような気分になるのだ。これを現在の少年少女に読んで頂いても言いたいことの半分も伝わらないかもしれないが、 以下に転記してみたい。 ※ちなみに、書いたころの私は転勤しており広島県福山市在住でした。貼り付けた写真は文章の内容に合わせて 現在の私が加工して作成したものです※

 

[2000年3月] 「言葉はみんな生きている」 
 

 西宮に住む中学生の姪(彼女は「ダ・パンプとGLAY」のファンである)と会話したときのこと。「SHAZNA(シャズナ)のボーカル(IZAMのこと)はキモイわぁ・・・」と彼女は言った。最近の西宮ローカルの女子中学生は「気持ちワルイ」を「キモイ」というのだとわかってひっくり返った。

 ヤングはいつの時代もカッコイイ事が大好きである。最近の子供は日本語はなんでも「短縮すればカッコイイ」と思っているのだろうか?
 

 英語の Acronym のように頭字語化された「MK5:マジ切れ5秒前」に至っては、初めて耳にしたときには「ISDN」やNTTの「INSネット」よりも意味がわからなかった。(もっとも数年前にはISDNの実体もあまりわからずに Ittai Naniwo Surundesu? ネット などといった時期もあったが・・・)。
 

 いや、新語を使うのは子供ばかりでもないか・・・、我々大人も時折変な新日本語を会話中に使っている。言葉は生き物だ。自分の中に「美しい日本語を使いましょう」と思う心もちょっぴりあるのだが、ナマで、リアルで、感性に喰い込むのは意外と「美しくない」言葉だったりするからヤヤコシイ・・・のだ。
 

 昔の映画などを見ていると、よく面白い言葉に出会う。
 喜劇中のサラリーマンが「今日はロハで飲めるな!」などと言う。タダ酒が飲めると言うことだが、これは「ただ(無料)」→(当て字で)「只」→(分解して)「ロハ」となるところからきている。このロハなどは今は死語であろう。
 

 また、加山雄三さんの若大将シリーズでは、上流家庭のお嬢様が「若大将ってイカスわね!」などとおっしゃる。
 

 

お嬢様と呼ばれるほどの女性が発するには、これは本来非常に(性的意味で)きわどい台詞である。試しに自動詞にして「イク~」と発声してみると、そのきわどさが良く理解できるし、さらにリフレインなんてしてしまうと、耳を覆いたくなるくらいにセクシャルバイオレットNo1なのである。

 

 つまり本意によれば、お嬢様達は 「若大将を見てるだけで 私 イッチャウのよラブ と言ってるわけである。 しかしながら、この「若大将シリーズ」という映画がつくられた頃の日本では、もう意味する原型の鋭さが研磨されて丸みを帯びてしまっている、だからこそ映画という公共的な場で使えたのだろう。

 

 「イカス」という言葉を最初に流行らせたのは喜劇俳優の古川緑波(フルカワロッパ1903-1961)さんといわれるが、舞台や映画で最初この言葉を発するには勇気が要ったことだろう。しかし人気者の彼が発したおかげで、こんなお下品な言葉が山の手(上流)の人々にまで受け入れられ、流行ってしまったのだ。まことに言葉は生き物である。

 

 汚い言葉のオンパレードになってしまってお恥ずかしいが、ハリウッド映画でも今では「ass hole !」(昔の日本語訳ではケツメドなんて書いていた。この日本語の方が今や意味が解からなくなりました)や「shit !」など、下品きわまりない意味を持つ言葉が「感情の高ぶりを表現するシーン」などで物語中の人物から発せられるのをしばしば耳にするようになった。(勿論その人物の属する階級はそれなりに設定されているのだが)。


 「バック・トゥー・ザ・フューチャー」でも主人公マーティーが事件に出くわして「Holy Shit !(ホンマにエライこっちゃ!:直訳すれば聖なるウン○)」と叫ぶシーンがある。
 

 いくらアメリカでも昔はこんな言葉を普通に使いはしなかった(昔の映画の台詞や PEANUTS BOOK の言葉をみればよくわかる)。この「Shit」という言葉に現在の市民権を与えたのは、薬物中毒で亡くなった俳優ジョン・ベルーシ(John Adam Belushi 1949-1982) だろうと私は勝手に思っている。

 彼は、USAのTVショー「サタデー・ナイト・ライブ」でのコントをはじめ、映画ではジョン・ランディス監督のコメディー「アニマルハウス」の危険な大学生ブルート役などで全米の若者の人気をさらい、タイム誌の表紙を飾るまでになった。このブルートが敵役の愛馬を頓死させてしまったシーンで「Holy Shit !」を3連発で叫ぶのだが、私は今もそのシーンを観たときの可笑しさと衝撃を忘れられない。
 

 

 彼はその若い晩年までにハリウッドの喜劇映画、そして他の俳優人(ロバート・デニーロ、ダン・アイクロイド達は彼の親友だった)達にも非常に大きな影響をあたえたが、そもそも「排泄物ネタ」はカレッジの学生演劇時代からの「十八番」であった。最初に舞台の上で「排泄物ネタ」をやったときには一部周囲から批判も在ったようだが、殆どの観客(学生達)は転げ回ってジョンを絶賛したという。
 

 「ウエストサイド・ストーリー」の劇中歌「COOL(冷静にやろう)」から数十年を経て 「ジュラシック・パーク」ではパーク・オーナーの孫の少年が暗視スコープを手にとって「COOL !(カッコイイ)」と叫ぶ時代になった。
 

 マイケル・ジャクソンが歌った「BAD」はスラングで「カッコイイ」という具合に、意味するところが増える(拡張される)パターンも在れば、既存の言葉を合成して新語を造るパターンも昔から在る。
 

 最近では特にネットワークの世界に合成語が増えているようだ。
 ネットワーク(network)の世界に住む市民(citizen)は ネチズン(netizen)であり、彼らに身につけて欲しいエチケットがネチケット(netiquette)である。
 

 インターネットの世界を渡りゆくのはネットサーフィン(netsurfing)。そしてネットサーフィンする人はネットサーファー(netsurfer)である。
 

 また、いまや普通に使われるサイバースペース(cyberspace)という言葉は、SF小説家の Willian Gibson が、コンピュータ犯罪を起こして精神を破壊された男を描いたその著書「Neuromancer」の中で創作した言葉だそうである。
 

 まったく言葉は生き物である。 これからも言葉は新生し、混血し、変化し、そして消滅するというサイクルを繰り返すのだろう。

 

 

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