本日は天皇陛下のお誕生日でありますが、孝安天皇の祭日でもあります。我が国は歴史の長い国ですから、こういう日が重なることもあります。天皇陛下は百二十六代天皇となりますから、ちょうど百二十代前の天皇となります。百二十代前のご先祖様の祭日がわかっているとは凄いことではないかと思います。

 

 

第六代孝安天皇は日本建国初期の頃の天皇です。


御父は孝昭天皇、御母は世襲足媛命(よそたらしひめ)/余會多本毘売命(よそたほびめのみこと)。


御名は大倭帯日子国押人命(おおやまとたらしひこくにおしひとのみこと)/日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)。


考昭天皇の崩御後、第二皇子である大倭帯日子国押人命が即位されました。


宮を室(奈良県御所市室)に移し、秋津島(嶋)宮(あきつしまのみや/あきづしまのみや)といわれました。考安天皇の宮の跡地とされる秋津の一帯では、大規模集落や水田、祭祀跡が発見されています。

 

宮跡にある八幡神社↓

 


考安天皇三十八年には、考昭天皇を掖上博多山上陵(わきのかみのはかたのやまのかみのみささぎ)へ葬られています。


古事記によれば、百二十三歳、日本書紀によれば百三十七歳で崩御されました。


御陵は玉手丘上陵、奈良県御所市大字玉手にあります。

 

 

 

御陵の近くには考安天皇社もあります。

 

歴代天皇一二五代のうち、第二代綏靖天皇、第三代安寧天皇、第四代懿徳天皇、第五代孝昭天皇、第六代考安天皇、第七代考霊天皇、第八代孝元天皇、第九代開化天皇は欠史八代と言われています。


それがなぜかという理由の一つは、古事記・日本書紀共に天皇の事績に関する記述が少ないことからです。しかし、平凡な毎日のくりかえしであればあらためて記録すること、言い伝えることがなかったということもできます。平凡な毎日の繰り返しの時代であったということは、つまり平和な時代であったということになります。そういう平和な時代が八代もの間続いたというのであれば、素晴らしいことですしそれほど初代神武天皇の統治の影響が大きかったのだということもできるかと思います。ここは素直に日本人なら誇りにしていいことではないでしょうか。

 

また、一方では建国の時代で忙しすぎたために言い伝えが少なかったのだという説もあります。よく知られているのは、桃太郎の鬼退治のモデルになった岡山エリアの平定であり、孝安天皇をはじめとする「孝」のつく天皇の代がその平定に関わっていた代とされます。


いずれにしても、当時血縁ネットワークを広げていたことが伝わっており、記紀には天皇と周辺の豪族などの娘である皇后の結びつきが記録されています。こうした血縁による結びつきは現在でも通用する地盤固めの一つの方法でもあり、そうしたことが大切であったからこそ必要最低限そうしたことは伝えてきたのだともいいます。

 


「建國の正史」において森淸人氏は、
「古事記を通覧してもわかるように、古事記が最も力を注いで記しているのは、御歴代の系譜であって、仁賢の巻以後はただそれだけを記してあり、書記にあっても皇室の系譜及び皇位継承の記事がほとんど各巻の中心を成している。」
と書かれています。

 

つまり記紀の記述は事績に関する記載が少ないのではなく、一番重要なことのみ記載されていたということになります。

 

またもう一つよく言われていることが、その崩御年の高すぎる年齢です。記紀で年齢の違いがありますが、考安天皇も百歳代となっています。しかしこのことについても、古来日本では半年を1年とする春秋歴説があったといわれていますので、単純に2で割ると古事記では61から62歳、日本書紀では68から69歳となるので違和感のない年齢となります。


ただし、春秋歴説で考えると、その宮の跡と考安天皇の時代にはずれが生じるかと思いますが、古代は伝承の時代ですから、伝言ゲームの様に言い伝え違いなどもあるかもしれません。しかし、簡単に記録と照らし合わせることができないからといってそれを否定するのは、先人達を否定することになってしまいます。たとえ伝言ゲームの伝え違いがあったとしても、その伝承の場所から遺跡が出てきたということが真実であり、その存在の真実を否定することはその子孫であるといわれる私たち自身をも否定することになってしまいますから、素直に受け入れることも必要ではないかと思います。


「建國の正史」では、襲名についても書かれています。現在も伝統のあるところ、有名なところでは歌舞伎や能などですが襲名がされていますが、この襲名により年齢が長くなっているのではないかというのです。以下に詳細はまとめてありますが、さまざまなこうしたことが示していることはただ一つ、いかに日本の歴史が長く続いていることかということです。

 

 

私達は神話から続く天皇の歴史をいただく国に生まれました。神話から続く歴史ということが示しているのは、神話になるほど、神話になってしまうほど歴史が古いということです。そしてその初期の頃の天皇さえも神話と変わらないほどやはり古い歴史の国なのだ、ということに誇りをもっていいのではないかと思います。神話から続く世界で唯一の国、そして今上陛下の誕生日を本日祝える我が国に生まれたことを有難く思います。


参照:「宮中祭祀」
「天皇のすべて」
「古事記」
「全現代語訳日本書紀」

 

 


私にとって建国の時代が理解しやすくなった本の一つ。神武東征から、仁徳天皇の大土木時代までは、水田による稲作が普及し発展する時代と重なっており、神話の稲穂の神勅とも繋がり日本の歴史とも符合しています。

 

こちらの本によれば、欠史八代の記紀の記載が少ないのは平和ではなく建国の時代で統一に忙しかったから伝える暇がなかったという説です。孝安天皇の前後は吉備(岡山)平定の時期にあたり、この時代が桃太郎伝説の時代とも重なる時代にあたることからです。

 

 

『米の日本史』では、米が日本に根付いた様が天皇の歴史に重なっていくのが面白いです。

 

 

 

 

 

🌸🐎🐎🐎🐎🐎🐎🐎🐎🐎