「齋藤孝のこくご教科書」は、その始まりが福沢諭吉の『学問のすすめ』となっていて、国語を学びながら普遍的な考え方の基礎を知ることが出来る素晴らしい教科書となっています。『学問のすすめ』を読むと普遍的な内容となっていて良書は時代を超えることをあらためて考えさせられます。『学問のすすめ』の初編から三編は「民間の入門書または小学校の教科書」として書かれており、齋藤孝さんがこれを使用したのは必然でもありました。また、明治時代の国語教科書を見ると、国語教科書はただの国語の教科書ではなくその内容が実益も兼ねていることが多かったのですが、『学問のすすめ』を教材にすることは、その実益を兼ねることにもなって一石二鳥なわけです。

 

 

『学問のすすめ』は明治という当時の新しい時代に人々を啓蒙するために書かれていますが、そのベースには記紀をはじめとする国学があるのではないかと思います。というのも浅学な私でも何箇所か記紀などの影響を見つけることができるからです。我が国では、海外から新しいものが来ると、それを我が国仕様にリニューアルしてきました。そうしたことを明治という新時代に行って書かれたのが『学問のすすめ』ではないかと思います。福沢諭吉というと、当時最新の西洋学を学び、また海外にも渡航し、新しい学問を入れるのに熱心なイメージがありますが、やはりベースには国学があってこそであるということなのです。

 

これは『ねずさんの世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』福沢諭吉の言葉が引用され、それが雄略天皇の遺詔と同じだったことから、これは『学問のすすめ』をもう一度見直したいと、開いてみて再確認したものです。

 

 

上記したように普遍的なことが書かれている『学問のすすめ』は何回でも読み直したほうがよく、もっと教育に活用したほうがよい本です。定期的に読み直すことによって発見があるのが名著でありますが、そうした一冊が『学問のすすめ』であり、また普遍的な内容ですから、今現在のような時代の移り変わり激しいときに、読み直すと誰でも新たな発見があるのではないか、と思います。

 

以前から実学の面から、『学問のすすめ』をもっと学び実践したほうがいいと考えてきましたが、国際関係の面からも『学問のすすめ』は学びとなる本でもあります。福沢先生は本書で「愚かな民が酷い政府をつくる」とおっしゃっています。一人一人が賢くなるためにも、学びは必要であるということです。

 

 

『学問のすすめ』は、一編が短い読み物冊子で、前述したように最初は福沢諭吉の郷里の学校開設にあたり書かれた冊子でしたが、だんだんと追加され全部で十七編の読み物となっており、明治九年十一月二十五日(1876年)十七編出版をもって一応の完成とされています。つまり、本日は『学問のすすめ』完成後147年目の日なんですね。

 

一編、一編が短いものですから、義務教育の間に全編、国語教科書に載せて全て学ばせてほしい内容です。しかも、十七編というのも意味深な数です。段々と追加されていったこのシリーズを、十七で終了させたのは十七条憲法を意識したのではないか?というのは穿ち過ぎでしょうか?十七条憲法も義務教育で叩き込んでほしいものであり、官僚には毎日暗唱してほしいものなのですが、『学問のすすめ』も同様に官僚にも毎日見直してほしい内容であり、また重なる内容でもあります。

 

繰り返すことで、それまでは気づかなかったこと、理解できなかったことに気づき、理解できることもあります。繰り返すことで理解が深まることもあり、単純ながら重要な行為が繰り返しです。

 

 

角川文庫版の『学問のすすめ』は、巻末にある解説が気に入っていますが、原文で読む場合は慶應義塾大学出版のものが一番読みやすいかと思います。福沢諭吉は慶應の創始者ですから、流石慶應といったところです。

 

また齋藤孝氏は何冊も『学問のすすめ』本を出しており、解説本もあります。子供向けもあります。

 

本を読む場合、私はパラパラめくり、見出しや解説を参考にすることが多いのですが、以下は角川文庫版の目次・見出しです。

 

はじめに

初編 学問をすれば、誰もが賢人になれる

 学ぶか学ばないかで賢人か愚人かが決まる

 日常生活に役立つ「実学」を学ぼう

 学問をするには分限を知ることが大事である

 国民は政府に訴え出て議論する自由がある

 自由独立のためには道理を知る国民でなければならない

 国民よ、快適な暮らしを求めて学問に志そう

 

二編 才知と徳行を磨け

 文字を読むのが学問ではない

 人が生まれるのは天の配列による

 人が同等なのは生活状況ではなくて権利通儀である

 政府は人民を保護し、その費用を賄うのは人民である

 徳川幕府は不都合な税を勝手に取り立てた

 政府は人民の権利通儀を妨害してはならない

 国民は才知と徳行を磨き政府と向き合える力を持とう

 

三編 世界中全ての国の権義は平等

 権義に関しては、日本は西洋諸国に劣らない

 国民に独立の気力がなければ、独立国家にはなれない

 第一条 独立の気力のない者は、国を愛する気持ちも希薄である

 第二条 日本人として独立のできていない者は、外国人と交わっても、独立した権義の主張は不可能である

 第三条 独立の気力のない者は、他人の力に頼って悪事を働くことがある

 まず国民一人一人が自立しよう

 

四編 国の独立は民間事業の振興から

 政府と国民は助け合わなければならない

 政府と国民は力の均衡を保たなければならない

 文明は学術・経済・法律とかかわりがある

 文明の遅れは人民の無知無学が原因である

 文明は政府の力だけでは進歩しない

 民間事業の模範を示してくれる人が必要である

 自ら先駆者となって進む方向を示したい

 国の独立を個人としての立場から支援しよう

 

五編 国民の独立心こそが文明の精神

 明治七年一月1日の詞

 我が国の独立はひ弱い

 日本の文明は西洋諸国に遠く及ばない

 人民の独立の力こそ文明の精神である

 独立の気力のない文明は外見だけのものである

 国民の気力を奪っているのは政府である

 中間階層の奮起を期待する

 慶応義塾に学ぶ者たちよ、学問を文明に生かそう

 

六編 国法は、なぜ貴いか

 政府は国民の代理人である

 国民は法律の実施を政府に任せることを約束している

 民間人が強盗を捕らえても罰するのは政府である

 敵討ちは政府との約束違反である

 四十七士の人たちは、政府に訴えるべきであった

 法律は政府のみが施行すべきものである

 「私裁」の中で最も害の大きいのは、政敵の暗殺である

 法律に従うよりも警官を恐れるというのは嘆かわしい

 些細なことでも法律に反することは、すべきでない

 

七編 国民は政府とどう対応すべきか

 国民には二つの立場の務めがある

 国民は権義を守ると同時に国法に服従すべきである

 政府は国民の代理人であり、国民は主人である

 国民は政府の仕事を監視しよう

 税金は安全を買うための支出である

 政府が暴政を行ったら国民はどうするか

 主張を曲げて政府に従うのはよくない

 力で政府に敵対するのは心得違いである

 道理を説いて政府に迫るのが上策である

 むやみに命を棄てても文明には何ら役立たない

 

八編 自分の考えで他人を束縛してはならない

 人間には五つの性質がある

 第一 人にはそれぞれ身体があります

 第二 人にはそれぞれ知恵があります

 第三 人にはそれぞれ情欲があります

 第四 人にはそれぞれ生まれながらの至誠の心があります

 第五 人にはそれぞれ意志があります

 自分も他人も五つの力を使う自由がある

 上下関係で人の行動を支配してはいけない

 男女の差別は体力を基準としたもので意味がない

 一夫多妻を肯定する論理に惑わされてはいけない

 子供を教育せずに親孝行を強要するのは間違っている

 上下貴賤の考え方から生ずる悪習慣は根強い

 

九編 未来へ文明の恩恵を遺そう

 心身の働きは個人と社会人との二つに分けられる

 衣食住は自然が与えてくれたものである

 衣食住の安定が独立したということではない

 人間として生きた痕跡を残さなければならない

 人間は交際が広がるほど幸福を感じる

 文明の進歩は先人の遺産と恩恵のおかげである

 我が国の文明は外国との交際を開いた先人の遺産である

 学者よ、今のチャンスを逃さず学問に励め

 

十編 艱難に耐えて学問に励もう

 人間は食べることだけで満足してはいけない

 学問を究めるには時間がかかる

 国の国際的地位獲得は、学問をする人たちの学業の成果による

 学問をする人よ、目先の安楽に惑わされず将来の大成を目指せ

 

十一編 「偽君子」を看破する力を養おう

 「名分」は本来善意から生まれた

 大人同士他人同士の間に親子の交際方式は無理である

 政府と人民の付き合いには規制や約束が必要である

 経営者と従業員の間にも利益配当の約束が必要である

 名分を振りかざす者ほど「偽君子」である

 義士は頼りになるほどの数が居るわけではない

 「名分」と「職分」を混同してはならない

 

十二編 談話・演説は書き言葉に勝る

 演説とは大勢の人の前で意見を述べることである

 学問の本質とは読書ではなく生活に活用することである

 学問の手段の中で談話と演説だけは相手が必要である

 学問をする人で、談話と演説を実行する人のいないのは残念である

     見識・品行を高尚にしよう

 見識や品行は見聞が広いことで高尚なのではない

 理論と実行する心とは別のものである

 見識は品行の高尚を目指し自ら妥協してはならない

 学校の評価の対象は学問であって風紀ではない

 政府は、国全体と外国の文明国との比較によって評価される

 大国のインドとトルコはなぜ国力を失ったか

 

十三編 「怨望」は不善中の不善、これ以上の悪はない

 貪吝と節約との境界線は不鮮明である

 奢侈は必ずしも不徳ではない

 誹謗か弁駁かを見極めるのは難しい

 不徳と徳とは紙一重だが「怨望」は不善中の不善である

 怨望はあらゆる悪の根源である

 怨望の原因は「窮」の一字につきる

 自由がないと他人を怨望するのが人間の自然感情である

 封建時代の御殿女中の世界は極端な怨望の生活だった

 政府は人民の生活を妨げてはいけない

 時には、民間も人民の活動を妨げることがある 

 自ら「隠者」となって勝手に怨望を抱く者もいる

 「堪忍」の心は「怨望」を消してくれる

 政府も人民も自由な活動を妨げてはいけない

 

十四編 人生にも「棚卸し」が必要

 人間は自分が気付かずに悪いことをしていたりする

 人間のすることに失敗は免れない

 物事は計画通りに進まない

 計画には仕事に要する時間の計算が大切である

 人生にも「帳簿」と「棚卸し」が必要である

 人生を総点検して今後の方向を見つけよう

     「世話」をするのには「保護」と「命令」の配分が大切

 「保護」と「命令」は「世話」の中に同居している

 「保護」と「命令」はバランスが大切である

 「世話」という言葉は経済論の最も大切な要項である

 経済の原則論に心酔して慈しみの心を失ってはいけない

 

十五編 信疑を見分け事物を取捨できる力を養おう

 多くの人たちが偽りを信じている

 文明の進歩は疑いを持つことからスタートする

 学問は信疑を見分ける力を養うためのものである

 西洋文明のすべてが我が国に勝っているわけではない

 信疑取捨を誤らないよう学者の精進を望む

 

十六編 物欲を抑えて精神の独立を果たそう

 「不羈独立」の正しい意味を理解しよう

 有形の独立はわかりやすいが無形の独立は意味を誤りやすい

 人間の心は物欲に支配されがちである

 金銭に支配されることなく精神の独立を得よう

      「心事」と「働き」とのバランスを保とう

 理論と実践との食い違いを避けなければならない

 「心事」と「働き」とのバランスが利益をもたらす

 「心事」が高尚であれば「働き」もまた高尚である

 「心事」が明確でなければ「働き」は徒労に終わる

 「働き」には時と場所を考慮すべきである

 「心事」が高尚で「働き」が乏しい人は不平不満が多い

 他人を批判する前に自分の「働き」と比較してみよう

 

十七編 人望を得る道は交際を広くすることから

 人望のある人物でなければ社会に役立たない

 人望は知恵と徳行によって得られる

 真の知徳者である士君子は栄誉や名声を求めない

 知徳による栄誉は大切にしなければならない

 栄誉・人望は分相応のものにすべきである

 引っ込み思案から脱却して活発に活動しよう

 音声言語に習熟しよう

 快適な話し方や表情を心掛けよう

 交際に必要なのは虚飾ではなくて真心である

 交際を広くして多くの知己友人を得よう

 

見出しだけでも本書を要約しているようにみえますが、有名な冒頭の句が多くの人に勘違いもされたように、やはり全文を読んでこその「学問のすすめ」です。

 

「学問のすすめ」が書かれたのは、義務教育が進められていく時代の中での国民への啓蒙を狙ったものでしたが、義務教育が当たり前となって「学ぶ」ことの本来の意味が歪められてしまっている今こそ必要な啓蒙書であるといえます。

 

明治時代のベストセラーですが、いつの時代にも必要な書が『学問のすすめ』です。

 

 

以前翻訳ブログで話題になっていた、福沢諭吉先生

 

 

上記ブログで引用の動画↓

 

 

 

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