先日、図書館で見つけた本『千年の田んぼ』は、その印象的なタイトルや、古代の装束を着た家族らしき人達が田んぼを眺めている挿絵の表紙、そして秘境の離島に最古の田んぼとの言葉から、即手に取ってしまった本です。本書はしかも平成30年度の中学生の課題図書となっていました。

 

著者の石井里津子氏は、20年以上に渡って全国の農村を訪ね歩き、地域文化や農業についての取材を続けられてきた方で、農山漁村に残る大切なものを伝えることを自身のテーマとされてらっしゃるそうです。

 

その石井氏が、千年前に作られた田んぼが残っている島として取材された記録が本書です。山口県萩市にある国境の島、見島です。萩市のHPでは見島のことをこう紹介しています。

萩市の北西に進むこと約45km、日本海にポツンと浮かぶ「見島」。周囲に何もないので、島の最北端にある「長尾ノ鼻」からは、日の出と日没の両方を見ることができます。他にも1200万年前の火山活動の姿をそのまま残した玄武岩の断崖絶壁「観音崎」や、1000年以上前からあるといわれる田んぼ「八町八反」、防人の墓「ジーコンボ古墳群」など、自然と人の歴史をあちこちに残した魅力ある島です。

 

ここに出てくる「八丁八反」が本書のテーマのたんぼで、萩市のHPにある見島おたからマップには、その千年前の田んぼ、「八町八反」の説明書きにこう書かれています。

八町八反(千年の田んぼ)

2017年に書籍化!古代から中世にかけて造られた条里制の水田が千年前の姿で残っており、現在も稲作が行われています。多数あるため池も特徴的で島の中で稲作を行うための先人達の知恵や努力が感じられる場所でもあります。夏は緑・秋は黄金色と稲の成長とともに色を変える景色や、吹き抜ける風に揺られる稲を見るのも心地よいです。高齢化により休耕田が増えてきているのはとても寂しいことだけど、今日まで守られてきていることに島の方へ感謝がこみ上げてきます。真直ぐ伸びる細い農道をお散歩してみてください。ただし、農耕車・軽トラがギリギリ通れる細い道ですので、農作業の方優先で!

 

こちらは、昨年ため池の木材を採取した記事で、本書にも触れています。

 

著者の石井さんは、本書の「はじめに」で田んぼについて以下のように書かれています。

田んぼは日本中どこにでもあり、ありふれた光景。でも実は千年も昔の姿のままの田んぼが残っていることはほとんどないのです。というのも明治以降の日本は、国中の土地を作物が最大限に採れるよう田んぼの大きさや形を整えたり水を十分に確保できるようにしたり、水はけを良くするなど、どんどん大改造していきました。

人が生きていくには「食べ物」を作る田んぼや畑がなくてはなりません。それゆえ私たちはたくさんの人が生きていくために、田畑をより良いものへと作り替え続けているのです。こうやって一億人を超える人口を支え、社会の土台を築いたのが日本なのです。

そして昭和平成へと時は流れ、昔ながらの田んぼはいつしか見られてなくなってしまいきました。ですから、千年も前の姿がそのまま残っているならそれは奇跡の田んぼです。見島の田んぼには、小さなため池が驚くほどあり、造られた当時の、水を得る知恵や工夫までそのまま残っているかもしれないのです。

私は見島の田んぼに秘められた物語を調べることで島に光が当たり、田んぼが荒れないようみんながアイデアを出し合ったり、人々が行き交う場になればいいと思って取材をはじめました。

今離島の田んぼを耕作する人は減ってしまって、荒れはじめています。田んぼが荒れる理由として、「農家の高齢化」や「地域の過疎化」という言葉が使われています。その背景には、人口が減ったこともありますが、私たちのの暮らし方や考え方の変化があります。

「使い捨て」といった便利で快適な一方通行の暮らし方を良しとしてしまい、田んぼや農村が持つ、受け継いで循環し次の世代へ渡すという考え方が、面倒に感じるようになったのではないでしょうか。

中略

ですが、私たちが生きるためには「食べなければならない」のです。これは大昔から何一つ変わりません。

私は、日本中の農村を取材するなかで、田畑には子や孫たちがこの地で生きていけるように・・・という願いが込められていることがわかるようになりました。とくに田んぼ作りには大変な労力がいります。人々は、子供たちの命や未来を信じるからこそ、重労働で時間がかかる田んぼ作りにも精を出すことができたのです。

田んぼと水の物語には、私達一人ひとりに命を届けてくれたそんな願いが込められています。その願いはいつしかかき消されて見えなくなっています。けれど見島が遺してくれた貴重な田んぼとため池を手掛かりにすれば、見えない大切なものが見えるようになるかもしれません。

見島にはまだ見えるものが残っていそうです。

中略

なぜ小さな見島で米を沢山作ることができたのか。それは見島には米作りに必要なだけの水を確保する知恵と工夫があり、さらには、それを可能にする働きをする人々が積み重ねてきたからです。雨水をただ待っているだけでは、田んぼに水は溜められません。田んぼを整え、人工的に水を運んだり、溜めるなど工夫と労働を必要とするのです。

米はたくさんの水を田んぼに溜めることではじめて栽培できる穀物です。この水を確保するために、物凄い知恵と労力がつぎ込まれています。それが田んぼと水の物語なのです。

 

本文では、見島の歴史や遺跡、遺構を辿り、地理学者・自然人類学者・考古学者に取材し、見島の田んぼの謎、田んぼの歴史を辿っていきます。そしてそこには国境の島、防人が滞在した島という特殊性から生じた歴史も見えてくるのです。そしてそこに、島の人口や技術、また財力では考えられないような大工事の田んぼ作りの謎の解明のポイントがありました。歴史が様々に繋がっていることの好例を見ることが出来る物語でもありました。

 

さらに「おわりに」では、歴史的な環境を守り後世に残すことは、見島だけで考えるのではなく、これからの社会の大きな使命であり、世界に誇るべき財産だと書かれています。そして「八丁八反」という不思議な名前から、開田当時の命名でなくてもそこには千年の間に末広がりの豊かな物語をつむぐ「八丁八反」であってほしいと願った人々の存在、希望を感じています。そしてだからこそ、今も受け継がれ現代にたどり着いたのだと。

 

そうした願いは、なにも見島だけのことではなく、日本中の田んぼにあったものであるはずです。私達の命を紡ぐ田んぼについて、もっと真剣に向き合った方がいいのではないか、と考えさせられます。

 

中学生の課題図書になっていましたが、漢字をひらがな表記にしているものが多く、小学生の高学年でも面白く読める本ではないかと思います。(引用文では漢字表記にしています)

 

萩市観光協会の動画

萩市キャラクター動画 4:45頃に八丁八反の風景がちょっとだけ出てきます。

 

 

この見島牛は農耕で使われるために海外から連れてこられたものですが、その頃の姿のままの牛として現在では日本固有の牛と認定されています。

今は少ないながらも食用ともなっているようですが、見島内では古来から誰も食べなかった家族のように大切にされてきた牛だそうです。

 

 

現在12月9日に行われるオンライン講座の募集中です。定員5名で山口県外の人が対象です。鬼揚子は大凧で今も見島に残る伝統行事で作られるもの。それは、子供誕生を祝う行事です。ご興味のある方はどうぞ↓ちなみに見島の紹介文はこちらのHPに記載されたものを引用しています。

鬼の顔なのに、必ずその目には涙がある鬼揚子。そこにはやさしい子に育ってほしいという願いも込められているそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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