本日は秋分の日、お彼岸の中日です。

 

皇室では桓武天皇の遺言によりお彼岸の行事を行ってきており、本日は秋季皇霊祭と秋季神殿祭が行われます。

 

一年で二回、昼と夜の時間が同じ長さとなる春分の日・秋分の日、神秘的な日ともされるこの日を中心とした前後3日間を、お日様(太陽)に願い、気候や自然に感謝する特別な日として、元々は「日願」としていました。そしてこの「日願」の春は五穀豊穣を願い、秋は収穫の感謝を捧げてきたのが本来の日本の習慣であったといいます。そしてここに、元々あった先祖崇拝、つまり先祖である神様に祈り、感謝することが組み合わさったのが現在のお彼岸の形であるわけです。

 

日本人の生命観は、親から子、子から孫へと血と心の縦の連続性を重んじる国柄であり、先祖崇拝はまさに縦文化そのものだといいます。しかし、その縦が整って家が栄えれば、その周辺である横も整い栄えてくる、縦と横のバランスで人生は成り立っていきます。どちらか一方だけというアンバランスではなく、バランスが整ってこそ人生は潤っていきます。

 

日本人は、周りにあるあらゆるものに神様が宿るとして感謝してきました。つまり、先祖崇拝という御先祖様である神と、あらゆるものに宿る神とのすべてに感謝して祈りを捧げてきたのが元々の日本の習慣であり、これが縦と横のバランスとなっていた日本人の祈りの根幹にあったものだといえるかと思います。

 

ノーベル生理学医学賞を受賞したアレクシス・カレル博士は「祈りは人が生み出し得る、もっとも強力なエネルギーです。それは地球の引力と同じ、現実的な力です。医師として私は多数の人々があらゆる他の治療で失敗した後に、祈りという厳粛な努力によって、疾病や憂鬱から救われた例を目にしてきました」と語っているそうです。

 

以前聞いたことがあるのですが、手術等で目を覚ますかどうかの境目の時、付き添い声をかける人、あるいは手を握っている人がいるかどうかによって差が出てくるといいます。それはそばで回復を祈る純粋な祈りの力が届きやすいからではないかと思います。

 

実は、私の友人は持病で体調が酷かったときに苦しかったためか常備薬を多く取り過ぎて意識不明となり処置をされて、もう大丈夫だと病院で云われた後、翌日一度も目を覚ますことなく亡くなりました。この時、病院でもう大丈夫といわれて家族が家に帰ってしまったのだと後から聞いて、驚きました。もしかしたら旦那様が外国人であったため、日本人と考え方が違ったのかもしれないとこの時考えたものです。私はこの時知っていたら目が覚めるまで付き添いたかった、付き添って手を握っていたら違っていたかもしれないのに、と非常に悔しく思ったのでした。もし病院でもう目を覚ますことはないと言われたとしても、私は付き添いたかったと思います。でも、大丈夫だといわれたのなら、なおさら目が覚めるまではそばで励ましたかったとも思ったものです。(ご家族にはこのことは何も言っていませんが、友人たちで連絡をもらってさえいたら・・・という話はしました。)

 

祈ることは、日本人だけでなく世界中の人が行っていることです。ただ、全ての物を神として感謝し祈る心がある、というのは日本人ぐらいでしょうか。これを日本では大和心といいますが、それだけ祈っている、祈られている日本は、私達が考えているよりも強く祈りで守られているのではないかと思います。

 

日本では古来から、御先祖様を敬うことを「敬神崇祖」といい、戦争前は辞書に載っていた言葉でしたが戦後この言葉は辞書から削除されました。つまりこの「敬神崇祖」は我国の美風を表した言葉であり、我が国の精神的強さを形作ったものであるからこそ、消されたものだといいます。しかし、辞書から消されてもこの言葉は今でも残っており、そして普段は云われなくても私達の習慣から祖先を敬うことは消えていません。これは我国の習慣、例えばお彼岸やお盆、あるいは命日などのお墓参りなどの習慣、また社寺の祭祀等が今もきちんと残っているからです。つまり、習慣やしきたりを守っていれば、いくらジワジワ排斥されようとしても基に戻していくこともできるのだということです。実際、皇室では何度も祭祀の中断を再興してきています。

 

敬神崇祖の言葉は神社でもみられますが、神様は元々先人であることを考えれば不思議ではありません。だからこそ、お墓参りの時には産土神社にもお参りするといいといいます。(この場合先にお参りするのは神社)産土神社の杜には、遠い御先祖様からの和魂(にぎみたま)が宿り、故郷の繁栄や子孫を見守っているからです。

 

終戦時、天皇の祭祀が残っていれば日本は大丈夫と言われた人がいましたが、しきたり、伝統が残っていれば日本人も大丈夫なんだと思います。

 

だからこそ、今日のこの日、あるいはこの日願の期間にお墓参り、あるいは遥拝を多くの人がしていればいいと願ってやみません。

 

以上は、『命が消えたらどこへゆくのか』から引用したことですが、著者は最後に「閉塞した現代日本を立て直していくには、国や組織の改革よりも、個々人が死から命を見つめることで霊性を開花し、「大和心」を取り戻すことにある」とも書かれています。

そしてこうしたことは全て、ここで何度も紹介している本『FULL POWER』で、自分の出自を知っていたり、祖先の歴史を知っていることが人を強くするということと符合しています。

 

 

上記ブログで、ご先祖様をしっかり祀ってきたこと、明治以降にはそれまでできなかったお祀りや大きな御陵が造られるようになったことが、皇室=日本のパワーに繋がっているのではないかと書きましたが、ここで何度もとりあげている『御成敗式目』の「神は人の敬に依りて威を増し、人は神の徳に依りて運を添ふ」の言い換えもできます。「ご先祖様は子孫の敬いに依りて威を増し、子孫はご先祖様の徳に依りて運を添ふ」です。あらゆることが繋がりあい支えあっています。

 

 

三年前三浦春馬さん急逝後、その死の謎が深まる中で命について考えていた時に出会い、随分精神的に助けられた本。

 

 

この本には、人は苦しむために生まれてきたのではなく、日々楽しく、面白く生きるために神様から命をいただいてきたのだとも書かれています。

 

全ての物事は進展し良くなっていくと考え、今の状況が悪かったとしても、これからよい方向へ進んでいく前兆と考えるのが神道の考え方であり、これを「陽転思考」と表現していたのがパナソニックの創業者松下幸之助です。

 

そういえば古事記にはやたらとダジャレが載っていますし、天岩戸神話で天照大神が岩戸を開けたのは神々が大笑いしていたからです。古の昔から、笑いのパワーを先人達はよくご存知だったわけです。

 

しきたりを守り笑いを絶やさない、これが大和心の道ということなのでしょう。

 

 

 

 

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