お彼岸は春分の日や秋分の日を中日としてその前後7日間をいいます。今年の秋のお彼岸は23日が秋分の日ですので、20日から26日となります。つまり本日からお彼岸期間となります。


秋分の日は、宮中祭祀では秋季皇霊祭、秋季神殿祭の日となっていますが、一般にはお墓参りの時期です。


お墓参り行っていますか?


日本でお彼岸の習慣ができたのは、平安初期に桓武天皇の遺言で崇道天皇のために諸国の国分寺僧に、春と秋の二回、七日間にわたって金剛般若経を読ませたことに始まったといわれています。

それが歴代の天皇、皇后、皇太后、皇族の御霊のお祭りと神恩感謝となって宮中祭祀としてあるのが、春季と秋季皇霊祭ならびに春季と秋季神殿祭です。

日本では元々祖先を敬い祀る習慣があったので仏教的なお彼岸会も定着したともいいますが、それがまた神道とも融合して現在のような形になったのでしょう。いずれにしましても現在にまで伝わる日本の伝統・しきたりは古来からのものと宮中のしきたりが結びついたものがたくさんあり、その一つがお彼岸の習慣となります。

お盆もお墓参りの時期ですが、月命日などもっと多くお墓にお参りしている方もいますし、福井県などでは家の前にお墓があるのが当たり前だといいますから、毎日お参りしてるのだと思います。以前感銘を受けたのが、自己啓発界でのベストセラー作家ひすいこたろうさんのブログで、奥様が毎日お父様のお墓参りをしていること。(ひすいさんご自身は新潟ご出身で、現在奥様の御出身地近くにお住まいです。)

 

私が東京へ来てからできた長年の友人と、中学時代以来の友人が、ほんの数年違いで逝ってしまった後、その喪失感がとても大きくて、苦しい時期が続いていたことがあります。この喪失感が消えることはありませんが、時間の経過とともになにか計り知れない応援団が出来たような不思議な気持ちが湧いてきて驚き複雑な心境ながらも嬉しくなったことがあります。それは御仏壇やお墓の前で、友人達がそこにいるように話ができることに気づいたからなんです。私が若い頃、高校生で逝なくなってしまった従妹のことが、その後長く心理的に影響を与えたことを考えると、歳をとるとはこういうことなのかもしれない、と最近では考えるようになりました。

だから、もしかしたらひすいさんの奥様もお墓でお父様と会話をされているのだと考えています。人はいつかは必ず死を迎えます。いつかは迎える死のことを、年齢とともに死に出あう機会の多い年齢の者がいつまでも引きずって生きていかなくても済むような心持になれるように年齢とともに死との向き合い方も変わっていくのだと思います。

私の母は、なにをするにも仏壇に報告します。外出する時も帰宅した後も仏壇に向かいます。毎食ご飯は仏様に供えてから食べます。仏様に供える前に食べることはありません。母の口癖に昔から「長生きできない!」というのがあるのですが、それでも長生きしているのはもしかしたらそのようにいつも報告をし、仏様に護られているからではないかと今では考えています。そうした相手がいる人は誰よりも強いのだと。

 

昨年、英国のエリザベス二世女王の国葬が行われ、ウィンザー城内の聖ジョージ礼拝堂に埋葬されました。ここはエドワード4世以来の歴代の国王・女王の埋葬地となっていますが、王室専用の礼拝堂でもあり1日最低3回の礼拝が行われ、英国君主のための祈りが捧げられる場所と聞いて形は違えど先祖崇拝の表れに納得しました。ウィンザー城といえば、エリザベス女王が週末を過ごされてきた城として、英国王室のニュースには頻繁に登場してきたお城です。つまりそれほど英国王室にとって身近な場所に埋葬されたわけです。

 

The state funeral of Queen Elizabeth concluded with her coffin being lowered into the Royal Vault at St George's Chapel.  A lone piper played a lament which marked the end of an historic ceremony.

エリザベス女王の国葬は、彼女の棺が聖ジョージ礼拝堂のロイヤルボールトに降ろされて終わりました。
バグパイパーが弾き悲しむ姿を披露し、歴史的な式典が終わりを告げた。

 

なぜバグパイプが弾かれているのかと思ったら、この方はエリザベス女王の起床時に毎朝バグパイプを弾かれていたんですね。そんなことがあったとは知りませんでした。

 

エリザベス二世の父君、ジョージ六世の国葬の動画がありました。多少時代による変化はありますが、今回の国葬と変わらないものであることがわかります。つまりこれが伝統的な英国君主の葬式だということなのでしょう。

 

先日の国葬を見ていて、やはり王室が長く続いている国は(国や宗教による違いはあれど)ご先祖様がしっかり祀られている感を強くしました。

 

ウィンザー城は英国王室のお城で、その城内にご先祖のための礼拝堂があり日々祈られているわけですが、日本では皇居内に宮中三殿があり、三殿の内の一つは皇室のご先祖様を祀るための神殿で、日々お祭りがされています。また、神話から続く我が国のその神話の時代の神も祀られており、こことそして遠い昔に宮中から分かれた伊勢の神宮でも毎日お祭りがされています。神話から続く神とは、つまり神となってしまうほどの大昔から続くご先祖様ということです。神様の子孫とは、つまりはそういうことであって、神様仏様ご先祖様などと同列で言うような、日本的考え方、表現の仕方でしかありません。つまり、神様とは基本ご先祖様とのこと、日本人であれば理解しやすいことではないでしょうか。

 

その仏様として祀られているのが、京都の御寺泉涌寺です。

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仏殿

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弘法大師由来の寺ですが、四条天皇が葬られたことをはじめに御寺となっていきました。

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天皇陛下、皇族の方々はなかなかお参りには来られませんがその代わり勅使がいらっしゃいます。
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明治天皇が再建された霊明殿。天智天皇以降のご歴代天皇の御尊牌が奉祀されています。1474406903724.jpg
 

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霊明殿の右側の細い道を行くと月輪陵があります。
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この名前は圧巻です。
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泉涌寺左手の山道を登った一番奥に後月輪東山陵があります。
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来た道を降りて行くと右側に観音寺陵があります。

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後堀河天皇陵です。四条天皇が泉涌寺が御寺になるきっかけとお寺の案内にもありますが、その四条天皇の父君である後堀河天皇の御陵が先に泉涌寺のある山にあります。四条天皇は僅か12歳で事故で崩御されましたので父帝の側に御陵を定めたのかもしれません。ということは、御寺の本来の始まりは後堀河天皇なんだと思います。
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私が泉涌寺にお参りした時、東福寺側から回って行って凄く遠回りをして山道から泉涌寺に入って、帰りは表の門から出て行きました。知らずに参道を逆に辿りましたが、本当に雰囲気が良くてお参りして良かったと思ったお寺です。東福寺周辺に比べると泉涌寺へお参りしている人は少なかったと感じたのですが、このお寺の存在感がなにしろ凄かったのでお寺もこんなにも存在感があるということを改めて実感したお寺でもあります。

御陵はわかりやすい月輪陵と後月輪陵が一緒にあるので、そこではすれ違う人がいましたが、もっと奥で案内も書かれていない後月輪東陵と観音寺陵にはお参りする人があまりいないようで、私は御寺の人に道を聞いたらそのお寺の人も場所はうろ覚えでしか覚えていなくて驚いたぐらいです。しかし、それでもその方が多分とおっしゃった通りに行ったら後月輪東陵があり、その途中に観音寺陵もあったのです。

もし、泉涌寺にお参りしたら、せっかくですから是非御陵全てをお参りするといいかと思います。私が訊ねたお寺の方はよくご存知ではありませんでしたが、それでも写真で見る通りにきれいに管理されています。最初に山道をたどって来た時に親王と内親王陵の前も通ったのでお参りしましたが、皇室の方々の御陵もある山のお寺となっています。

さらに宝物殿には、崩御された天皇の私物が収められていて、それを展示しています。少しずつしか展示していないのが残念ですが、この時は後水尾天皇の肖像画を拝見することができました。

ところで、天皇陵は明治期になって日本全国の天皇陵が整備され祭祀も整えられ復活したといいます。明治期は皆さんご存知の通り王政復古ですが、それが現在まで続いています。日本は古来からご先祖様をお祀りしてきた民族ですが、ご先祖様をしっかりお祀りすると子孫が繁栄するというのを天皇自らお示しなされているのが御陵だと思います。天皇の子孫が繁栄し続けるということは、天皇=日本ですから、日本が繁栄し続けるということになります。宮中祭祀をしっかり行うということは、天皇と皇族だけの為ではなく、日本のためであるという重みがあるのです。

月輪陵の宮内庁の案内を見ると、戦国時代が始まった時の後土御門天皇から、戦国時代終了頃の後陽成天皇までの五代が灰塚となっています。後土御門天皇は葬礼の費用がなく40日も遺体が安置されたままと記録されており、そのため火葬になったのかもしれません。この時代が歴代の天皇の中で一番貧窮した時代といわれていますが、その時代の御陵が灰塚なのです。そして、大政奉還を迎える直前の孝明天皇の御陵の大きさ。そして、未だお参りできていないのですが、明治天皇の伏見桃山陵は大きいですし、その後の御陵である武蔵野御陵もとても立派です。明治以降の日本の世界の中での発展や復興と結びつけて考えてみると、その御陵の立派なところとその維持管理との結びつきに驚きます。だからこそ、天皇が葬礼は質素にと言われてもしっかりと御陵が造られてきたのだと思います。つまり、天皇の御陵が立派にあるということは、日本そのものが立派にあり続けるために必要なことということになります。御歴代の天皇はご自身の御陵は質素にと言い続けたといいますが、こと御陵に関してはその時できる最高の御陵を用意してきたのが我が国であり、現在の宮内庁は異常過ぎるといえます。(上皇陛下の言葉のまま縮小した御陵を用意しているという。2年前、その用意のために整備された土地を拝見する機会がありましたが、確かに昭和天皇陵、大正天皇陵と比較して小さかったです。大きくしなくても小さくする必要はなかったと考えています。)

そういえば、風水は元々なんのために生まれたかというと、そもそもお墓を立派にして子孫が繁栄するために生まれたものだといいます。そう聞いて、皇室の御陵の管理をみると日本が世界で一番古く続く国だというのもうなずけますし、御陵は大切だと思います。だからこそ、祭祀を行う御陵を発掘することなど考えられませんし、またそのためにこそ御陵が狙われているのだということがわかります。

天皇と皇室を知ることは、私達がすべきことを知ることにもなります。なぜなら、天皇と皇室の伝統やしきたりが我が国の伝統やしきたりになっていることがほとんどだからです。そしてそうした中にお墓参りもあるのです。そしてこのお彼岸のしきたりは、天皇が作り出したしきたりと民間のしきたりが融合しているというのも古来からの日本のしきたりらしいしきたりでもあります。

 

そして機会があるときに各国のそれと比較することも重要なことだと考えています。

誰にも等しくご先祖様があり、先人達がいてこその今の自分があるということに感謝することが大切ではないか。あるいはご先祖様に限らず、友人や恩人のお墓参りもひとえに感謝の表れではないかと思います。

 

そして、そこに恩恵が生まれたとしたら、それは亡くなった人と生きている人の紐帯があるからではないかと思います。それを確認できる機会がお墓参りではないでしょうか。

たとえ普段はそのように意識していない人でも、そうしたことを感じられる時間がお墓参りの時期ではないか?と思います。こうした感謝や繋がりを確認できるのとできないのとでは、物事に対する姿勢も変わってくるのではないかと考えています。こうした繋がりが多い方が、長い時間で考えた時、つまり人生やあるいは時代が豊かになっていくということの教えが「お墓参り」ではないかと思うのです。

 

だから私達は直接関係はなくても自分自身に大きな影響を与えた偉人などのお墓参りもするわけです。そこにあるのは、感謝の心でしょう。

 

家系や歴史を知る人ほど、有能で精神的にも強いことがわかっています。それは、自らのプロフィールを知ることが自己認識を強化するからでしょう。ご先祖様を知ることはその一つであり、ご先祖様を知れば自ずと敬いお参りすることに繋がっていきます。自己認識が強化されることで、強くなる・・・FULL POWER、凄くわかりやすいタイトルです。

 

天皇や皇室の方々の御陵や縁のお寺は各地にありますが、現在はお参りされる方が多く御陵印を集めている人もいます。私は泉涌寺をお参り後、駅に向かう途中の定食屋さんで遅すぎるお昼を食べたのですが、なんとそれがその店の最後の定食で後から来た人は断られていました。そしてそのお店で、泉涌寺にお参りしたことを、珍しいと言われながら褒められて、実は知る人ぞ知るお寺で有名人が沢山お参りしているんだよ、と言われたのでした。京都でこんなに気さくなお店があるんだと感激した定食屋さんで(定食屋さんだから気さくだったんだと思いますが)色んなお話を聞いて、薄闇の中駅に向かったときはお昼も食べずにずっと広い泉涌寺を歩き回った疲れも癒えて満足感に包まれ東京に帰ってきたのでした。

こうしたしきたり、習慣が当たり前にある日本に生まれ育ったことには本当に感謝しています。海外の遺骨収集活動をしていた友人がいますが、国によって考え方が違いますので、遺骨に対する考え方が日本とは全く違っていてそれが遺骨収集の障害になっていることも多いと聞きました。今思えば、そうした遺骨に対する畏敬の念がない国は、やはり国としての基盤のもろさと比例しているように感じられます。しかし我が国では遺骨は遺骨であって時を経てもそれは変わりません。先人達に感謝することは、我が国の伝統、しきたりだからです。そしてもしかしたら、それが我が国を護ってきたのだとしたら凄いことではありませんか。

 

そしてそれがそのまま私達一つ一つの家族にもあてはまるのだとしたら。

ここ何年か、お彼岸もお盆も、お墓参りに行けなかった方が多いかもしれませんし、今回も行けない人も多いかもしれません。また、遠方にお墓があってなかなか行けないかたもいるかもしれません。でも、遥拝という方法があります。お墓の方角に向けて祈るのです。皇室の方々は、なかなか簡単に御陵にお参りできませんが、普段から遥拝をされているといいます。それを私達もとりいれればいいのです。

 

今は遥拝でも、行けるようになったらお参りすればいいのです。

 

もちろん、お墓が近くでお参りできる人は、ぜひお参りしてほしいと思います。

 

御歴代天皇の御陵。神武天皇陵及び先代三代の御陵には、事あるごとに天皇からの奉告がありますし、式年祭にあたる御陵では山稜祭が行われています。

 

 

 

 

 

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