本日は、旧暦では九月九日、重陽の節句の日です。

 

 

重陽の節句には、菊酒を飲み菊花に付いた朝露で肌を拭って災厄を祓ったとありますように、これは元々旧暦の9月9日の時期、菊の時期の行事で別名菊の節句とも言われてきました。つまり、旧暦でこそふさわしい行事であるわけです。

 

朝廷では平安時代から、重陽の宴が盛んに行われるようになり天皇は歌人を招いて詩歌をつくらせるのが習わしだったそうです。

 

元々は中国の風習を取り入れた重陽の宴ですが、中国では菊の花を入れて醸造した菊花酒を飲んだことにちなみ、我が国では酒に菊の花を浮かべて飲んだといいますから雅ではありませんか?

 

しかし菊花酒は災いを祓うことでもありましたから、重陽の節句は五月の菖蒲の節句と対をなす重要な行事だったのです。(菖蒲には殺菌作用があったことから毒気祓い、厄払いとしての節句)まだ医学の発達していない当時、こうした行事はとても大切なものでした。

 

やがてこうした習慣は武家や民間の間にも広まり、女性は茱萸(ぐみ)の袋を身につけて災いを祓うようになりました。また江戸時代の庶民の間では栗の節句と呼ばれ、蒸し栗を食べたり栗を贈る行事にもなっていきました。

 

宮中行事としては、明治維新後、祭りや行事を維新後の我が国に相応しいものにまとめた時に外されてしまったといいます。しかし、皇室園遊会(観菊御宴)もあり、菊との縁は今でも深いのです。

 

ご存知のように菊は歴代の天皇が好まれ菊花紋は天皇や皇室を表すものつまり日本を表すものとなっており私達日本人のパスポートにも菊の花の紋章が使用されています。これは後鳥羽上皇が身の回りのものに施したことから始まりました。鎌倉時代には蒔絵や衣装の文様として流行し、南北朝時代以降には天皇より下賜されることにより公家や武家の間で家紋として使用されるようになったのです。

 

写真が暗いですが、これは皇居の勤労奉仕の際に戴いたお菓子です。御陵の清掃奉仕でもいただけます。私は子供の頃から干菓子が好きではなかったのですが、これを戴いてから好きになりました。

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靖国神社で戴いた杯は菊の上に桜です。

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京都の御寺泉涌寺内にある御歴代の天皇が祀られています霊明殿の門の菊花紋。

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皇室縁の寺社には、菊花紋が使用されていますので、寺社にお参りの際には確認してみて下さい。

 

ということで、今宵は重陽の宴はいかかですか?

菊の花を浮かべたお酒や、菊の三杯酢、食後には蒸し栗を戴くのはいかがでしょう?

 

 

紫式部

菊の露若ゆばかりに袖触れて 花のあるじに千代は譲らむ

 

順徳院(重陽の節句より後の時期の菊を歌って)
冬来ても猶時あれや庭の菊こと色そむるよもの嵐に

 

凡河内躬恒

心あてに 折らばや折らむ はつ霜のおきまどわせる 白菊の花

 

百人一首に選ばれたこの歌の目からウロコの解説↓

 

 

 

新暦の頃が多いですが、重陽の節句のツィート↓

 

 

 

 

 

 

 

 

長寿を願う人形もあるとか、初めて知りました↓

 

 

 

 

本日は天武天皇の祭日です↓

 

 

 

長寿を願い言祝ぐ歌といえばもちろん君が代です\(^o^)/

 

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