昨日、天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下、秋篠宮皇嗣同妃両殿下が、昭憲皇太后の110年祭を前に明治神宮に参拝をされました。昭憲皇太后は4月11日崩御で祭日もこの日となっていますが、実際は大正三年四月九日(1914年)に崩御されたといいます。公式には4月11日となったのは、当時の政治的配慮によるものだとのこと。本日参拝されたのは、本来の崩御日にというおぼしめしではないか、と考えています。なお明日、11日の祭日には、皇居内の皇霊殿にて祭祀をされるため、事前の参拝となられたのではないかと思われます。

 

宮内庁のHPでみると、26年の4月11日の祭日には、百年式年祭が行われており、この年は4月2日に明治神宮へ参拝をされてらっしゃいます。

 

2024/04/09

天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下ご夫妻、秋篠宮皇嗣同妃両殿下ご夫妻は9日、明治天皇の后・昭憲皇太后崩御が亡くなって110年を迎えるにあたり、明治神宮を参拝された。 9日午前、両陛下は東京・渋谷区の明治神宮に到着された。 明治天皇の后・昭憲皇太后崩御が亡くなってから110年の節目にあたり、強い雨が吹きつける中、最初に陛下が玉串をささげ、深く拝礼された。 明治天皇と昭憲皇太后がまつられている明治神宮は、皇室にとってゆかりの深い場所で、陛下に続き、ロングドレス姿の皇后陛下さまもゆっくりと本殿に進み、拝礼された。 このあと上皇上皇后両陛下ご夫妻も明治神宮を訪れ、上皇陛下さまは、しっかりとした足取りで本殿へと進み、曾祖母にあたる昭憲皇太后に拝礼された。 上皇后陛下・美智子さまは、雨の中、傘を手に階段で少しバランスを崩す場面もあったが、女性護衛官の腕に手を添え、ゆっくりと参道を進まれた。 午後には秋篠宮皇嗣同妃両殿下ご夫妻も拝礼され、10日は両陛下の長女・敬宮愛子内親王殿下さまが初めて参拝される予定。

※敬称を追加訂正しています。

 

明治神宮には、天皇陛下の高祖父であらせられる明治天皇とその皇后の昭憲皇太后が祀られています。明治神宮のおみくじは、明治天皇と昭憲皇太后の御製と御歌からなっているのは、御存じの方も多いのではないかと思います。皇室の御祭神の神社としては皇居に一番近くにある神社で、縁としても近しいため、節目の時に参拝されることの多い神社です。11日には、昭憲皇太后祭が行われます。

そしてこの時期にあわせて、明治神宮ミュージアムでは「受け継がれし明治のドレス」展が4月6日から開催中で、昭憲皇太后のお召し物を中心に展示されているとのこと。

 

2017年に、横浜美術館で行われた展覧会「ファッションとアート 麗しき東西交流」では、明治初期鹿鳴館華やかな時期の昭憲皇太后のドレスもいくつか展示されていました。しっかりした本物のドレスというものをこの展覧会で初めて目にしましたが、美しいドレスばかりある中で、昭憲皇太后の大礼服は圧倒的な美しさで、保存状態も良かったと記憶しています。明治神宮の写真を見ると、その時とは違う大礼服が展示されているようで修復もされたばかりのようで期待しています。

 

明治天皇と比較すると昭憲皇太后については知られていないかと思いますが、明治維新後の日本の西洋化に伴い、初めて洋装された女性として、また表に出て公務を行うようになった皇后として有名です。敬宮殿下が入社された日本赤十字の発展も昭憲皇太后の貢献によるものです。以下の産経新聞の記事は、日本製にこだわられて、その後の技術者への貢献になっただろうことがうかがい知れます。そもそも着物にもたくさんの刺繡があったわけですから、それが洋装の作製にも生かせないはずがないとの思し召しもあったのではないかと推察いたします。

明治天皇の后(きさき)、昭憲皇太后の崩御から110年を迎える今月、その事績を改めて振り返る催しが明治神宮(東京都渋谷区)で開催される。6日から始まる展覧会では、昭憲皇太后が着用し、昨年、修復が完了した「大礼服(たいれいふく)」を東京で初めて展示。5年に及んだ修復プロジェクトの集大成となるシンポジウムも開催予定で、関係者は「日本の近代化に尽力した昭憲皇太后の思いを感じてもらえたら」と話している。

現存最古のドレス
バラの花や葉の文様に沿い、金属製のモール糸で施された立体的な刺繍(ししゅう)。華麗な長さ約3・5メートルのトレーン(引き裾)の先には、小柄な体に強い意志を携えた女性の姿が浮かぶ-。
明治期、近代化の中で宮中改革を牽引(けんいん)し、皇后として初めて洋装を取り入れたことで知られる昭憲皇太后の貴重なドレスが6日から、明治神宮ミュージアムの展覧会「受け継がれし明治のドレス」でお披露目される。
今回展示される大礼服は、明治22年前後に製作されたとみられる現存最古のもの。明治末期、皇室とゆかりの深い尼門跡寺院の大聖寺(だいしょうじ)=京都市=に下賜され、大切に受け継がれてきた。
貴重な歴史資料である一方、経年による傷みが激しく、明治神宮や中世日本研究所(同市)などが平成30年、修復と研究のためのプロジェクトを始動。国内外の専門家が力を合わせるこのプロジェクトには、上皇后陛下さまをはじめ皇室の方々も心を寄せ、支援を続けられてきた。

日本の職人が製作
大礼服の製作の詳細は当初、謎に包まれていたが、修復の過程でさまざまな事実が明らかになった。
豪華な刺繍の裏側にあてられた補強のための和紙には、横須賀海軍造船所の経理台帳が再利用されていたことが判明。当時のドレスは欧州で製作されたものも多い中で、この大礼服は西洋の意匠を取り入れながら、日本の職人が国内で製作した可能性が高いことが分かってきた。
明治神宮国際神道文化研究所の今泉宜子・主任研究員は「昭憲皇太后は洋装を奨励する中で、国産の生地の使用や国内の産業の振興にも目を向けられていた。大礼服はそうした昭憲皇太后の思いに、当時の技術者が応えた成果ともいえるのではないか」と話す。
調査・研究と並行し、国内外の知見を結集して手作業で行われた永年保存のための修復は、昨年2月に完了。今回の展覧会では、昭憲皇太后の姿がイメージできるよう、大礼服を着用当時に近い形で展示するほか、約5年間の修復過程を映像でも紹介。初日の6日には、プロジェクトを支えた国内外の関係者が一堂に会し、成果や展望について語るシンポジウムをミュージアム近くの明治神宮会館で開催する。

和歌の英訳本も
日本の大きな転換期を生きた昭憲皇太后は、多くの和歌を残したことでも知られる。崩御から110年を前に、生涯で詠んだ約3万首から、厳選した100首を英訳とともに収録した本「明治を綴る麗しの歌 英語で伝えたい昭憲皇太后百首」が先月、刊行された。
明治天皇の御製の英訳本も手掛けた詩歌翻訳者のハロルド・ライト氏が英訳を担当。歌人の永田紅さんが解説を寄せた。

《みがかずば 玉も鏡も 何かせむ まなびの道も かくこそありけれ》

女子教育にも尽力した昭憲皇太后が明治9年、東京女子師範学校(現・お茶の水女子大)に贈ったこの歌は、今も校歌として歌い継がれる。

《新衣(にひごろも) いまだきなれぬ わがすがた うつしとどむる かげぞやさしき》

永田さんは解説で、大礼服をまとった頃の明治22年の歌を引き、「まだ着慣れず見慣れない、自身のドレス姿へのとまどいが伝わる」とその心情をおもんぱかる。
英訳の監修に携わった明治神宮国際神道文化研究所の佐藤正宏所長は、「女性らしいきめ細やかさや、機知に富んだ表現がみられる。英訳とあわせることで海外はもちろん、日本の若い世代にも改めて昭憲皇太后の人柄や時代背景を感じてもらえたら」と話している。(緒方優子)

 

上記記事で紹介されている『明治を綴る麗しの歌 英語で伝えたい昭憲皇太后百首』

 

本ブログで何度も紹介してきた『天皇家百五十年の戦い』は、明治以降の天皇と皇室について書かれているのですが、皇室があることによって日本の福祉の発展があったことがよくわかります。その明治時代の第一歩を踏み出したのが昭憲皇太后の御存在なのです。

 

 

本日は敬宮殿下が参拝され、12日には秋篠宮佳子内親王殿下が参拝されるご予定とのこと。この春から日本赤十字社に入社された敬宮殿下においては、その思いもひとしおではないかと思われます。また、皇室縁の神社であるのに、敬宮殿下は本日が初めての参拝となるそうで、私たち下々の者と違って、好きな時に参拝できない不自由さを知るたびに申し訳なく感じてしまいます。

 

 

 

 

 

 

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