先日の、日光東照宮へ多分小学校以来の参拝をして、三猿以外にも発見がありました。

とても日本的なものです。

 

それは日光東照宮の御祭神です。 徳川家康公じゃないか、と思うかもしれませんが、家康公だけではなかったのです。

 

 いつもは御朱印をお願いするときにいただいていている御由緒をいただいていなくて、確認できてないのですが、帰りにそうか、と思ったのです。 

 

そうしてあらためて検索してみたら、通常はHPに記載されている御祭神の項目がありません。もちろん御由緒には家康公のことが書かれているのですけれども。 つ まりこれは公然の秘密なのだな、と。 

 

でもそこに行けば、堂々とあるわけです。 なにがあるのかといえば御神輿です。 5月の例大祭には、神輿三基が二荒山神社に渡御するということで、そのお神輿が東照宮と東照宮の宝物殿に新旧置かれていたのです。 それぞれ三基ずつです。

 

 

つまり、三柱の神様がいらっしゃるわけです。 その名前に驚かされたのです。

一基はもちろん徳川家康公、そしてあとの二基は源頼朝公、そして豊臣秀吉公なのです。新しいほうも、旧のも同じです。

 

源頼朝公は、徳川家康公が手本にしてきた源氏の頭領として知られています。 だから、なるほど、という感じです。 しかし、豊臣秀吉公と言えば、豊国神社は家康公によって廃絶され、明治になるまで復活できなかったことが知られています。 ところが、北関東の奥深く、日光東照宮には豊臣秀吉公が祀られていたわけです。 驚きますよね。

 

ただし、日本の歴史をみるとこれは当たり前でもあって、やっぱりなるほど、と思うのです。

 

日本神話の国譲りにあるように、そして多くの神社の奥宮には別の神様がいるように、東照宮には秀吉公が祀られているわけです。 ちなみに日光東照宮の奥宮は、家康公の墓所となっていますが・・・。

 

つまり家康公は、秀吉公を自分ともに祀らせることで滅ぼされた豊臣家の怨霊の発生を抑え、また神として祀ることで供養し、その力も得ていたということなのでしょう。

 

凄く日本的な祀りの形だと思います。

 

こういうことを知ると、やはり現地に行かないとわからないものだなあ、と思います。

 

ちなみに、なんとなくこの御神輿は見た覚えがあったので、昔も見て頼朝公と秀吉公の名前を見ていたのでしょう。 ただ、当時はこうした知識はなかったので、へえ~で終わっていたのだと思います。 子供の頃に見ていたものも、大人になって知識の蓄積があってから見るとまた違って見えるものです。

 

 

 

おまけ

 

東照宮の標高は、スカイツリーと同じ高さ

 

奥宮へ登る途中の休憩所にある自販機は一択w 全部同じって初めて見たかも。

 

 

 

 

 

 

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