昭和20年8月15日(1945年)に朝刊はなく、特報が配られ正午のラジオ放送を聞くようにとの知らせがありました。また、予告放送は前日午後9時のニュースと15日午前7時21分のニュースでもされていました。
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76年前の今日、朝刊は朝ではなく正午の放送後に配られたのです。

 

前日からこの日の正午の放送を聞くよう連絡も回っていましたから、当時の人々はその放送について色々考えていたのではないかと思います。野坂昭如氏の「『終戦日記』を読む」には当時の有名、無名の人たちの日記・日誌が紹介されていますが、戦争が終わる発表だとわかっている人がいれば、なにもわからないと書いている人もいて、この日に重大な発表があることだけはきちんと知れ渡っていたようです。

昭和の詔勅、いわゆる玉音放送は子供の頃から何回も同じ箇所を聞いてきました。しかし、平成23年(2011年)までは恥ずかしながら内容をわかってませんでした。平成23年にこの内容を全部を知った時感動したものです。漢語調の文体のため実は当時聞いてその内容をすぐ理解できた人は少かったそうで、「堪え難きを堪え」のところで察した人が多かったといいますし、この辺りばかりが「終戦の詔勅」としてテレビや映画で何度も流されてきました。

しかし、午後一で配られた朝刊には、その全文が載っていました。一回聞いただけではわからなかった人もこれを読めばわかったことでしょう。
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ウィキぺディアによれば、時差のあるニューヨークでは、ニューヨークタイムズの15日付けにその訳文が記載されたそうです。

玉音放送での昭和天皇の独特の節回しは、宮中祭祀の祝詞によるものといいます。

ということは、これは昭和天皇から国民への祝詞だったのではないかと思います。日本の為の祈りであり日本が復興再生するための予祝でもあったということです。実際、詔勅の最後には未来を信じた言葉が連ねられています。だからこそ言霊としてこれは何度でも日本人が聴くべきものだったと思うのです。そうしていれば、詔勅の中で危惧された「日本人同士いがいみあい、混乱が生じ、そのために人としての道から外れ、世に信義を失うようなこと(現代語)」は戦後もっと減っていたのではないかと思うのです。そしてだからこそ今からでも、8月15日には毎年全部を流すべきだと思います。しかしメディアがそうしたことを行うことはありません。流すとしたら同じ箇所だけで、印象操作をするだけです。東日本大震災の際の平成の玉音放送も全部の放送がきちんとされなかったのは記憶に新しいところです。平成二十八年八月八日の上皇陛下の御言葉は全文きちんと放送されたでしょうか?私はテレビを持っていませんので、それだけが心配でした。

しかし昭和の時代と違うことは、ネットがあり動画があって、全て自ら拝聴し、その素晴らしさを確かめることがいつでもできることです。

本日は是非玉音放送が日本中で拝聴されればいいと思います。そしてその時に、注意していただきたいのは、全部を聴く、あるいは文章に起こしてあるものを全文読むことが大事であるということです。切り取りでは意味がありません。

数年前から、いくつかの出版社から玉音放送についての本が出版されており、CDが付いているものもあります。あさ出版CDブック「昭和天皇玉音放送」には、放送のプログラムの他、玉音放送の後に和田アナウンサーに奉読された鈴木貫太郎首相の「内閣告諭」の全文が記載されています。私はこの本を読むまで、玉音放送の後に他にも放送があったのを知りませんでした。


この本を読むとここまできちんと国民に説明を行っていたことに、今更ながら驚きます。玉音放送はそれだけが流れていたのだと漠然と思っていたら違ったのです。よく玉音放送を聞いても意味が分からなかったと言われていますが、その時はわからずとも、そのまま放送を聞いていれば理解できたわけです。また、正午の放送の後も、数回終戦についての放送があり、午後7時には鈴木貫太郎首相自ら「大詔を拝して」という放送も行っていました。こういう放送があったということは、玉音放送とセットでもっと語られてきても良かったのではないかと思います。この本には、「大詔を拝して」も抜粋されており、薄いけれども充実しています。

こうしたことを教わってこなくても時代は変わりこうしたことを伝えてくれる人々が現れ、その手段としてのネットも一般的になりました。また記録したものをあらためて出版される時代になってきているわけです。当時を知る先人達が少なくなってきている現在、こうしたことを次の世代に残していくのは中今の私達であり、私達は次の世代へ語り継ぐためにきちんと知らねばならないのです。

終戦を告げる放送の全放送内容
1.正午の時報
2.NHK和田信賢アナウンサー
「只今より重大なる放送があります。全国の聴取者の皆様ご起立願います」
3.情報局総裁下村宏による天皇陛下の玉音放送の案内
4.君が代
5.玉音放送
6.君が代
7.下村宏「つつしみて天皇陛下の玉音放送を終わります」
以下、和田アナウンサー
8.大詔の渙発告知
9.詔書の奉読
10.「謹んで詔書の奉読を終わります」
11.「内閣告諭を申し上げます」
12.内閣告諭の奉読
13.終戦決定の御前会議の経過
14.交換外交文書の要旨
(ポツダム宣言受諾に関する日本政府からの通告文、連合国側からの日本政府の通告文の要旨)
15.ポツダム宣言受託に至った経緯
16.天皇の戦争終結の御聖断について
17.ポツダム宣言正文(ポツダム宣言の要旨)
18.カイロ宣言正文
19.共同宣言受諾=平和再建の大詔渙発(国民の今後の心構え)
20.緊張の1週間(8/9から14日までの重要会議の開催経過

玉音放送の動画はたくさんありますので、検索すると原文、現代語訳等選んで聞くことができます。現在とは違うNHKのアナウンサーの言葉使いの美しさも味わってください。また君が代はゆったりした曲調となっています。

 

17:49版 こちらは一部再現ですが、内閣告諭もありますので、こちらもご確認下さい。


昭和20年8月15日正午に放送された終戦関連ニュース。
口語訳をご覧になる方は9:09へジャンプしてください。
玉音放送・詔書奉読・内閣告諭を収録。
実際の放送は37分で、和田信賢放送員の声は堀聡氏による忠実な再現で構成。


玉音放送の内容の現代語訳がありますが、その内容を読めば後半は、日本人の生き方の道標と予祝となっており、昭和天皇の大御心が表れています。だからこそ、一部分の切り取りではなく、全文を毎年8月15日だけでも放送すべき詔なのです。

 

「時代を動かした天皇の言葉」においても玉音放送の御言葉の解説がされています。

 

昭和天皇は、戦後復興には300年かかると考えてらっしゃいました。つまり、真の戦後復興が終わるまで、8月15日に玉音放送は聴き続ける、あるいは読み続けていくべきではないかと思います。そのための祝詞、予祝の言葉なのですから。

 

また終戦の詔があるということは開戦の詔勅もあります。この機会にセットで開戦の詔をあらためて読み直すことは、当時の状況を見直すうえでも必要かと思います。終戦の詔勅は、開戦の詔勅と内容も遂になっており、両方を毎年きちんと繰り返してくれば、東京裁判史観が入り込む余地もなく、なぜ日本が戦争に突入したのかもわかったはずなのですが、そうさせまいという意向が働き、日本人はこの両方の内容をほとんど教わらずに76年間来てしまいました。

 

 

8月15日というと靖国神社ですが、昨年に引き続き16日までは戦歿者追悼週間となっており混雑しないように配慮されています。靖国神社、もしくはお近くの護国神社にお参りしたいものです。

 

 

 

靖国神社って慰霊施設ではない?

 

久野潤氏は、天皇に関する祝日をどんどん増やしてもいいのか?とも以前おっしゃっていて、日本を悠久の国として考えまた明治期の祝祭日の制定の仕方を考えるとなるほど、とうなずけます。今すぐは無理でも長期的視野で考えたほうがいいと思います。

 

現在公開中の映画「太陽の子」では、柳楽優弥さん演じる修が比叡山に登る日が8月15日のようなのですが、そうだとすると前日からこうした知らせが行っていたはずなので、京大の学生であれば戦局をよめたのではないかと思いますが、多分脚本を書くときに知らなかったんだろうな、と思います。

当時、これからの未来を託して散華された英霊の方々が考えていたのは日本を想う日本人が困難に遭うことではなかったはず・・・。

 

私は、今起きている様々なおかしなこと、日本が日本でないようなことは、この戦後が終わっていないことから起きていると考えています。昭和天皇が戦後復興に300年かかるだろうと考えていたのは、白村江の戦い後の日本の状況から推測されたものでした。当時よりももっと深く世界と繋がっている現在では、もしかしたらもっと掛かるのかもしれない、と恐ろしくなります。戦争が終わった時に、本当の戦争が始まるということはこのことをいうのです。だからこそ、国見を行ってきた天皇の言葉、祝詞と予祝としての天皇の言葉をもっともっと響かせる必要があるのだと最近考えています。そして、様々な音源があるからこそ、ここには文言は書かずにいくつかの動画を貼っているわけです。ぜひ、昭和天皇のそれこそ玉音の言葉を聴いてほしいと思います。

 

昭和天皇が300年後を見据えていたことが紐解かれている『敗戦復興の千年史』
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