多分昨夜は皆さん、東京五輪の開会式をご覧になったでしょう。無事に開会式が終わり、本当に良かったです。私も楽しみました。開始前に色々と不安に感じることが多くあったのですが、直前までバタバタしていたのに、このような世界中が非常時の中でここまできちんと行えたのは凄かったと思います。実際に運営に携わった現場の方々が一番大変だったろうと思いますので、感謝したいです。

 

 

 

 

私は各国の選手入場が毎回大好きで、ウェアのバラエティを楽しんでいますが、今回、日本のためのデザインや色遣いがいくつもあって、特にイタリアのアルマーニがお気に入りでした。最初はえっ?スイカ?って思っちゃったんですけど、日の丸とイタリア国旗の融合だそうです。そうみるとかわいく思えます。それからキルギスの桜、とてもきれいでいいですよね。

 

ただ、いくつか残念な点がありました。それを全部上げる気はありませんが、以下に二つだけは大切なことなので書いておきます。

 

そのうちの一つである、陛下の開会宣言の最中に、東京都知事が立ち上がり、それにつられて首相が立ち上がったことは、みっともないとしか言いようがありません。前回の東京五輪の時には、昭和天皇のみ起立して宣言していますので、最後まで座っていれば良かったのです。あるいは、立つのでしたら陛下が立ち上がるときに一緒に立ち上がればよかったのです。途中で慌てて立ちあがる瞬間が全世界に流れたのは恥ずかしいことだと思います。

 

なお陛下の宣言が短いことが話題になっていました。それはその前の二人が異様に長かったから、余計際立って歓迎されたわけですが、実は宣言は文言が決まっていて変えられません。ただし、今回通常なら「祝う」と翻訳する言葉がこのようなコロナ禍の時には使えないとして[記念]という翻訳に変えて宣言されています。これは事前に既に話題になっていましたのでご存知の方も多いかとは思いますが記しておきます。

 

 

 

そして、今回私が一番期待していた「君が代」、これが台無しでがっかりでした。今回誰が歌うのか、あるいはどのような演奏となるのか、これを一番楽しみにしていたのです。特に、世界がこのような状態の中ですから、世界一の予祝であり言霊の歌である「君が代」がきちんと歌われることはとても大切なことであると考えていたのです。メダル授与式などでは曲だけとなりますから、歌があればいいと考えていました。長野五輪の時には雅楽演奏でしたから、東儀秀樹さんの演奏で誰かが歌えばいいなと期待していたんです。ただ今回のような、随所に日本下げが織り込まれているような運営ですから、どうなることかと危惧していたのですが、予想以上の酷さで唖然としています。MISSIAさんと知って不安がよぎったのですが、あまりにも酷くて呆然です。ツィートなどでは、彼女が出てきて素晴らしいと盛り上がっていましたが、私は聞いた瞬間酷過ぎると身もだえしていました。

 

その理由は3つあります。

①言葉を不明瞭に歌った

②言葉を区切った

③変な歌い方をした

 

この方は歌が上手いことで有名ですが、①と③の歌い方は「君が代」を理解せずに反対する人たちの歌い方です。それをこのような全世界の人が聴く場で行わせてしまったのです。そういう人選をしたということでしょう。今までにも何度かこの方の国歌独唱を聴いていますが一度もいいと考えたことはありませんでした。しかしまさかこのような最悪のものになるとまでは考えていませんでした。「君が代」を台無しにしてしまったというだけで私からすると最低となっています。きちんと歌えない、歌う気かないのなら辞退するべきでした。失敗してしまったのなら仕方ありません。しかしこれは明らかに失敗ではなく、意図的です。彼女ほどの力量があれば、素晴らしい歌にするのは簡単だと思うのです。そしてだからこそ酷いと考えています。日本の国歌を国際舞台で冒涜したのですから、五輪を冒涜したといっても過言ではありません。なぜなら自国の歌を冒涜するということは、その国に敬意を払って参加している世界中の人を冒涜しているのと同じことになるからです。

 

ということで、せっかくの五輪というお祭りですから、私のお気に入りの君が代をいくつかあげますので、こちらで清め祓っていただきたいと思います。

 

私が一番期待していたのは野々村綾乃さんが歌われることです。野々村綾乃さんを一躍有名にした伝説の高校野球での「君が代」は何回視聴しても鳥肌ものです。私は生でも3回ほど聴いたことがあるのですが、本当に素晴らしい君が代を歌います。

 

それから平原綾香さんの君が代も素晴らしいです。平原綾香さんについては、過去の国歌独唱を追ったことがあるのですが、最初の頃は実はきれいな君が代ではなかったのですが、どんどん洗練されてきて今のようになり、「勝利の女神」とまで言われるようになったのです。最初は「さざれ石」の歌詞も切ってしまっていましたが今ではきれいに流れるように歌われています。ここを切らずに歌うと本当に美しい歌になる、「君が代」成功の秘訣です。

そして最近のお気に入りは、涼恵さんの歌われる「君が代」です。角松敏生さんといえば、長野五輪の時に公式ソングではなかったのに、その歌が人気で応援ソングとなり、しかも閉会式には歌うことになったエピソードがお気に入りです。

 

 

 

さて、今回海老蔵さんの暫くが凄く格好良くて素晴らしいものでした。睨みを効かせて、悪霊退散させたわけですが、この睨みは一年無病息災で過ごせると言われていますので、世界中の人がそうなりますように、という願いが込められた祓いによる予祝をされたことになります。長野五輪の時には四股を踏んで地固めをし祓いを行いましたが、今回は歌舞伎でそうした予祝を行ったわけです。

ウィキペディアより↓

主人公の「暫」は悪霊を払う霊力を持つ前髪姿の少年である。その霊力を、代々の團十郎は相伝の「にらみ」で表現してきた。かつては、魔よけのためと楽屋裏にまで押しかけた贔屓に暫の隈取のままにらむといったことまであったという。

上記より

歌舞伎十八番【かぶきじゅうはちばん】の一つ。
『暫』は、初代市川團十郎【いちかわだんじゅうろう】が初めて演じたといわれます。現在の扮装【ふんそう】に近い形にしたのは、2代目團十郎です。ウケといわれる敵役【かたきやく】に殺されそうになっている人々を助けるために、「しばらく、しばらく」と言いながら荒事【あらごと】の扮装をした主人公が花道【はなみち】から出てくるという、簡単なストーリーです。
 『暫』は、歌舞伎十八番【かぶきじゅうはちばん】の中では他の作品と違【ちが】った性格を持っています。江戸時代、11月の行事である顔見世【かおみせ】で上演される演目【えんもく】の中には、この『暫』の場面がありました。つまり演目や登場人物が違っても、敵役に殺されそうになる人々を「しばらく」と言いながら助けに来る場面が、毎年あったというわけです。
 『暫』には、化粧声【けしょうごえ】や六方【ろっぽう】など荒事の要素がほとんど揃【そろ】っているという特徴【とくちょう】もあります。

 

 

それからいい意味でも悪い意味でも、「多様性」が目立ちその象徴として「imagine」が流れました。これについても色々とツィッター上で話題になっていましたが、私はこの歌は、小野洋子さんの詩「グレープフルーツ」に既に影響を受けていたジョン・レノンが、日本的考え方に共鳴して書かれた歌だと考えており、単純に左翼的とかグローバルな歌だとは思いません。ただ、せっかく日本での開催なのだから、日本人が日本語の歌詞で一部を歌っていればなお良かったと、それだけが残念です。

 

 

日本の魅力は伝統と最新の融合だといいますが、この五輪開会式もそうした構成でした。反対する人が多いように見受けられましたが、始まってみればやはりこれまでは声の大きい人が目立っていただけで、多くの人が待ち望んでいたことが露わになっています。世界中の人が楽しめる競技が無事に最後まで行えることを願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、もちろん日本人選手にはがんばってほしい\(^o^)/

 

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