三浦春馬さんの「日本製」の巻末インタビューに、三浦春馬さんが五代友厚を演じたことについての言葉が残されています。

 

2019年の秋に、新たな作品の撮影で薩摩藩士として生まれて、実業家として大阪の経済発展に貢献した五代友厚を演じさせてもらったのですが、歴史的な人物をしっかり演じなければならないというこの撮影を通して、自分の意識の変化を実感しました。とても役者冥利に尽きるというか、長いこと役者をやってきましたが、これほど重責を感じることはなかなかありませんでしたね。もちろんどの作品にも責任を持って臨んでいますが、第一に実在した人物を演じるということの責任感と、特に今回は”五代友厚プロジェクト”という支援会の方々が現場にいらっしゃることがあり、五代さんのことを研究してきた方々や、五代さんの事を純粋に応援したい、といった方たちとの交流が多かったんです。そういう方々が打ち上げにも参加されるぐらい、役柄との繋がりの強さであったり、ひとつの作品を作る上でこんなにも大勢の方が関わっているという実感をいつも以上に感じられる現場で、史実を扱うことの責任の重さみたいなことを今までにないほど感じていました。昔の自分だったらそれをプレッシャーに感じてしまったかもしれませんが、今回は期待感の方が大きくて、墓前祭で、「ごあいさつをお願いします」と言われた時にも、臆することなく皆さんの前でしっかりと想いを伝えることができました。大したことは言えませんでしたが、主役として関わってくださる皆様にきちんとご挨拶したいという気持ちが整っていたからだと思います。

 

またこの映画の中では、五代友厚が製藍事業に力を注いでいたことから「日本製」で出会った藍製品を作るBUAISOUに頼んで、この時代にあった雪花絞りのハンカチを作り、撮影に使用していたという。

 

 

その映画が、「天外者(てんがらもん)」で、天外者とは鹿児島の方言で「凄い才能の持ち主」のことだという。それを知って、まさに三浦春馬そのものではないかと感じたのは私だけではないと思う。稀有な才能の持ち主だったが、明らかに20代半ばから作品に恵まれなくなりました。これほどの才能があり人気もあった俳優であれば主役級の映画がもっとあってもおかしくないはずですが、あったのは誰が見ても失敗に終わるだろうというSFXが大掛かりな大作と、小品ばかりでした。ただし、その小品の演技が皆素晴らしすぎる。そして、いくつかの舞台にも進出しましたがそれがどれも好評となるできで、ミュージカルのキンキブーツに至っては、国内では酷評されたようですが海外から好評をもらい、また観客にはこれを見て三浦春馬ファンになった人が続出したといいます。いずれにしても私はオンタイムでそうしたこと知らなかったしそうした評価についても最近知りました。しかし、観ていなくても、確かにそうだろうと遺された映像等で納得させられる存在感が確かに三浦春馬さんにはあります。

 

私は、三浦春馬さん自身を「永遠の0」ぐらいでしか知りませんでした。多分、大河ドラマでもなんでも三浦春馬さんが出演したものを観ていたら絶対その子供時代の演技力で注目するようになったと思うのですが、大河は「宮本武蔵」も「功名が辻」も最初を観て観るのをやめてしまっていたのが惜しいです。「永遠の0」では芸達者に囲まれて全然引けを取らなかったわけですが、芸達者に囲まれていたがために現代パートはあまり注視してなくて春馬さん自身についても注目するにいたりませんでした。しかし、今思うにそこまで作品に馴染んでいたからでもあると思い返しています。というのも現代パートでは凄く下手と思った人がいたことも思い出したからです。ワンシーンでもそういう人がいると気に障ってしまうものです。

 

この2カ月半色々見た三浦春馬さんの作品で一番注目した作品は「サムライハイスクール」です。この撮影時春馬さんは19歳でしたが、当時のアイドル的売られ方からは考えられない演技力を発揮していて、ご先祖様のサムライとその御先祖様が乗り移る現代の高校生という役を別人のように演じていて度肝を抜かれました。この撮影時には色々とあったようですが、このような演技を発揮した若者には色んなオファーが殺到しただろうと年齢を確認しながら思ったものです。そして、これを見た時に、なぜこんな才能がある人の映画作品が少ないのだろう?と作品ノートを作ることにしました。

 

そのノートをみると、やはり「永遠の0」の後にオファーが減ったのだろうと考えています。きっと役作りで日本について調べていたことや、プロモーションで御祖父が学徒兵だった話などされていたこと、そしてこの時から毎年靖国神社に参拝していたことから疎まれてしまったのではないかと思えるのです。つまり、真の日本人である人が、このように人気があって演技力もあり身長もあって顔も良い俳優では困るという人達がいたのだと。

 

事実、「永遠の0」の後に公開されたのは同時期に撮影されたであろう映画しかなく、「永遠の0」公開時には春馬さんが自ら提案した難病になってしまう青年のドラマ「僕のいた時間」放映時期と重なっていましたが、これ以降に撮られたであろう映画は「進撃の巨人」までないのです。それは「僕のいた時間」で感動を呼ぶだけではない驚かされるほどの演技力を発揮したドラマの後では不自然といえるものです。「僕のいた時間」のラスト、言葉を機械で発するようになったところまでの映像には本当に驚かされました。ここまでの演技をテレビドラマでやってのける俳優が日本にいたことを全く知らなかったからです。この時頬の皮膚を動かすことまでやっていました。私は以前顔の筋肉体操をしようと専門家に教わってやったことがあるのですが、なかなかできないことを知っていました。しかも顔の筋肉だけに集中的に練習することもかないません。忍耐強く毎日練習を重ねて筋肉を動かせるようになったのだとわかるだけによけい驚いたわけです。

 

ところで、「進撃の巨人」の製作が決まった時私は過去の例からも主役をやる人はかわいそうだなと思ったものです。それが三浦春馬さんでした。この時この俳優ついてないなあと思ったのは覚えています。予想通り映画はこけてしまったようで、主役としてその評価が下がってしまったといわれているようですが、今となってはだからこそ三浦さんにこの役をやらせたのではないかと思えます。演技力があるのでもしかしたらうまくいけばそれそれで美味しいし、うまくいかなければそれはそれでいい、と。

 

その後の映画は助演である「銀魂2」、ゲスト出演?「SUNNY強い気持ち、強い愛」、助演「こんな夜更けにバナナかよ」、群像劇の「アイネクライネナハトムジーク」、助演の「コンフィデンスマンJPロマンス編」、完全に脇役の「コンフィデンスマンJPプリンセス編」、来年公開予定の助演の「太陽の子」、と同じく助演の「ブレイブ群青戦記」だけで、完全な主役は「天外者」以外ないのです。

 

24歳の春までの三浦春馬という俳優への熱狂を考えると嘘のような作品群です。

 

22歳からのこの時期が一番作品も充実していた時でした。

22歳の春 地球ゴージャスプロデュース公演「海盗セブン」

22歳の夏 東野圭吾ミステリードラマ「小さな故意の物語」放映

22歳の冬 劇団☆新感線「ZIPANG PANK五右衛門ロックⅢ」

23歳の春 ドラマ「ラストシンデレラ」放映(4月~6月)

23歳の秋 映画「キャプテンハーロック」公開(声優)

23歳の冬 映画「永遠の0」公開(ロングラン)

23歳の冬 ドラマ「僕のいた時間」放映(1月~3月)

24歳の春頃 映画「真夜中の五分前」撮影 公開は年末

※この撮影については「永遠の0」ロングラン中のプロモーションでテレビ番組出演時に中国ロケの話をしている。

 

演技力もない俳優が主役や助演級でいい映画に何本も出ているのを見ると、これだけの才能があり人気もあった俳優が多くの映画から疎外されていた日本のエンタメ業界は異常としか思えないと改めて考えています。大河ドラマをはじめとするドラマなども同様であったようです。助演の大河ドラマ「井伊直虎」がありましたが、それも含めこれ以降の春馬さんのドラマは暗すぎたり悲惨すぎたり、荒唐無稽なものばかりでした。しかし、どんな役も昇華させてしまったのが春馬さんでした。正当な面白いドラマの役がもっとあったら、どんな姿を見せてくれただろうと今更ながら残念です。実は、大河ドラマの主役のオファーがあったり、有名監督からの仕事のオファーがあったのに、他の人に替えられたり、断られたりしてしまったということが今言われています。

 

それもおかしな話です。既に10代の時の「恋空」や「君に届け」の大ヒット映画や、「東京公園」という佳作の実績も残し、助演の「永遠の0」という大ヒット映画まであって、この時まだ23歳だったのです。しかし、なぜか三浦春馬さんの映画リストに「永遠の0」が載せられていないことが多くあります。それはなぜなんでしょう?

 

今週急逝された時に撮影中だったドラマの最終話が放映されましたが、今回ほとんど三浦春馬さんの映像がないにもかかわらず最期までガスライティングが激しく、寂しくなりました。とても軽い物語であるにもかかわらず、三話のラストでは多くの感動と共感を呼んでしまった春馬さんの演技が話題になっていただけに、わかってはいても、元々の物語全部を見ることができなくて残念でならないドラマです。一方で、ここまで堂々とガスライティングを行って見せているというのは、前代未聞のドラマでもありました。

 

しかしガスライティングをされようがなんだろうが、春馬さんは渾身の演技を見せつける、だからこそ「てんがらもん」が春馬さんそのものだと思えてきたわけです。春馬さんが置かれていた状況がわかってくるにつけ、春馬さんのことを「ラストサムライ」と揶揄している人もいます。こんな状況の中、何かをやり遂げるのは大変ですが、こうしことをやってきた春馬さんは相当強い人だと思いますし、サムライと言いたくなるのもよくわかるのです。

 

だからこそ12月公開の映画「天外者」に期待しています。一方で、出演者の顔ぶれを観てその弱さも感じています。予告編は本当に短くて物語も含めどんなものか予想がつきません。ただ、その短い映像の中でも春馬さんの演技だけは確かなものであると確信しているのも確かです。

 

三浦春馬さん主演の最後の映画「天外者」は、公開時期が12月であることから、へたをするとこの時期公開されるたくさんの冬休み映画に埋もれてしまう可能性があるかもしれないと危惧しています。ちょうど同じ日に公開されると今の時点で分かっている映画が人気の福田組映画で大泉洋さんをはじめとする人気俳優総出演作です。「天外者」はなかなか公開が決まらなかった映画ですが、もしかしてここにぶつけるように操作されてしまったのではないかとさえ思えてきます。

 

さらに、春馬さん不在でプロモーションも厳しい映画です。

でも、これが最後の主演作であることから、多くの人が興味を持つかもしれないとも考えています。

だってこれが本当に最後の主演作なんですから。

 

来年公開される予定の映画は二本とも助演作です。ドラマ版の「太陽の子」を考えれば、映画版「太陽の子」の出演シーンもそう多くないでしょうし、「ブレイブ群青戦記」も助演ですから多くないと考えています。

 

だから、三浦春馬さんを作品全体で楽しめる最後の映画として「天外者」を期待して待っています。

 

 

 

40秒あたりから短いですが映像出てきます。ほんの短い間の映像ですが友厚になりきって訴える言葉に胸熱です。

 

この帽子、多分三浦さん気に入っていたようで似た帽子をプライベートで何度も被っていたのは五代友厚の影響ではないかと考えています。今年の初めに靖国神社へお参りした時の写真もこの帽子です。やはり五代友厚には大きな思い入れがあったのではないかと思います。

 

 

五代友厚について全然知らないので、映画を観る前に予習しようと本を探して来ました。意外に五代友厚の本は少なくて、値段の高い専門書ばかりでした。いきなりそういうのは読めないのでお手頃そうなものを探しましたが本が書かれていても、だいたい本そのものがもう置いてなくて、やっと手に入れたのが、大正生まれの作家織田作之助の「五代友厚」。これは前半が小説、後半が伝記となっていて、間に年表も書かれていてわかりやすいです。最初、小説ならいらないと思ったのですが、後半が伝記となっていたので読むことにしました。とはいえまだ全然読んでいないのですが小説の始まりが「生麦事件」となっており、小説家の物語の導入の上手さには感心しました。この小説はイギリスに到着したところで終わり、友厚の人生の前半部となっています。これは新聞の連載だったそうですが、後に織田作之助は書きおろしで後編を書いており、五代友厚を相当気に入っていたようです。そして本書の後半の伝記はもちろん生まれから最期までが書かれており、色んな書がそのまま記載されています。いかにも昭和初期の伝記感があって、良い感じだなあと思います。とりあえず14歳の時の有名な話のところだけ拾い読みしましたが面白いです。藩主島津斉彬に命じられて世界地図を模写した際に、二枚模写し、一枚は斉彬に献じ、一枚は書斎に掲げて昼夜眺め、しまいには地球儀も作ってしまったのだといいます。やはり才能のある人は子供時代からやることが違います。これから読むのが楽しみです。

※本書の年表を見てみたら数字があわず、表を作ってみたらずれがあることが判明しました。本書の年表を見る場合は、ネットなどで確認して読んだほうがいいです。(10月10日追加)

 

なお昨日は旧暦の8月21日でしたが、文久二年(1862年)八月二十一日は生麦事件が起きた日です。これは当時の薩摩藩主島津茂久の父である島津久光の大名行列に乱入したイギリス人四名を藩士が殺傷した事件で、これにより翌年薩英戦争が起きるきっかけとなりました。そしてこの薩英戦争時に、五代友厚は他の藩士と二人で英艦に捕らわれているという関わりがあったことがから上記小説の始まりは生麦事件からとなっているわけです。

 

この事件は、イギリスが凄く傲慢にふるまった事件ですが、これで戦争が起きたということは現在にも通じる国際関係のバランスとして、日本人としてきちんと知って起きたい歴史の一つだと思います。

 

※10月11日追加↓

なお、五代友厚は上海へ行っていますがこの時の商船の船長がリチャードソンという商人で、この商人こそが生麦事件で切り殺された人物でした。歴史は繋がっています。

 

 

 

映画の準備期間は長かったといいます。きっと下準備をたくさんしていたんじゃないでしょうか。

 

10/10追加 映画写真のツィートです↓