世界中が非常事態の今、国そのもので考えるとアメリカの状態が今一番悪いのは感染者が世界一多くありながら、すでに家にいることに我慢ができなくなってデモなどを始めたりしているからです。これはまずい傾向といえます。映像を見てもこれだけ多くの人が密集してシュプレヒコールをしているのは、いい状態とはいえません。そもそもアメリカで爆発的に感染者が増えたのは、大統領選の集会が何度も行われていたからだと私は考えています。そのニュースを見ながらこの時期にアメリカはこんな大集会を何度も行っていて大丈夫なのか?と不安に思ったからです。

 

 

一方で日本は、データーでみるとうまくいっています。毎日アップしてくださる「ねこおぢ3」さんのデーター2種類と東洋経済のデーターです。各国と比較しても爆発的な増加になっていませんし、全日本カレンダーで見ると、先週の同曜日と比較して減少の日が増えてきました。全日本カレンダーは潜伏期間を考えて1週間毎の増減の比較が見やすいように作られたものです。そして東洋経済のデータを見てもこの10日間ばかり全体的に減少傾向になっています。緊急事態宣言が出て2週間となりましたから、これからその成果がもっと表れてくるものと期待していますが、一方で、緊急事態宣言が出て地方への移動等があったことで国全体へと広がったことから、そうした影響もこれから出てくると予想されます。

 

 

 

これはやはり、緊急事態宣言だけで自粛することができる我が国であるからだといえます。一部例外もありますが、海外の例と比べれば微々たるものと言えるかと思います。

 

これは、いい意味で日本の自立自営の精神が効いているのかもしれないと思いますし、アメリカは今回悪い意味でフリーダムの考え方が働いてしまっているのかもしれません。

 

 

江崎道朗氏の「フリーダム」に、その言葉の意味がこう書かれています。

 

「フリーダム」は「自由」というよりも「自主独立」と訳す方が適切ではないのか、という話になったのです。といいますのもアメリカの保守主義者たちは、政府による福祉などに依存せずに、また政府の規制に過度に干渉されることなく、独立した個人として(神への信仰と道徳・慣習に基づいて)時分のことを自分で決定できる自由を「フリーダム」と呼んでいるのです。

政府による社会保障を拡充することは増税につながり、個人の財産権、ひいては国民の自由を侵害することになる。一方、逆に政府による規制が少なくなり、税金が安くなれば、それだけ国民の「フリーダム」は強まり、国民の経済は活発になり、豊かな国民が増え、結果的に国家の基盤を強くすることになると考えているわけです。このようにアメリカの保守主義者たちは、個人の「フリーダム」を守っていくことが、国家の「フリーダム(自由、自主独立の精神)」を守ることになるという捉え方をしているのです。
この「フリーダム」という言葉の語感は、竹本忠雄・筑波大学名誉教授が靖國神社の参道で開催された「第十一回戦没者追悼中央国民集会」(平成9年8月15日)において述べた、次の一説を読むとさらによく理解できるのではないでしょうか。
 
「およそ一国が独立国といえるためには、三つの自由がなければなりません。
第一は、自国の防人をもって自国を守ること。
第二は、自ら教育したいように自らの子弟を教育するということ。
そして第三は、自ら祀りたいように自分達の神々を祀るということ。
この三つであります。日本に、この中のどの自由もありません。」

 

日本にフリーダムがないのは、今回のような非常事態にさえも他国を気にして独自の政策が行えなかったことが示しています。この機にこれを変えなければ、たぶん次の非常事態まで変えることはできないんじゃないかと思いますが、そうした変更さえも阻むシステムになっていますし、今できる最善のことをしても批判する人ばかりという状態の中でそうした変更ができるとも思えません。

 

一方で、自立自営の精神は災害大国で暮らしてきた以上、昔のようにちゃんと教えられなくなっても伝わっているのではないかと思います。意識しなくてもわかっているからこそ、多くの人がつたえてきたのです。

 

しかしせっかくなら体系的にきちんと自立自営を知ったほうがいいのではないかと今回改めて考えています。

 

自立自営とは、単純に言えば自分のことは自分でする、ということです。しかし、だからといって援助を拒めということではありません。助けが必要な時は助けあうことが重要です。ただし、そこに自立の芽を阻むものがあってはならないということです。

 

自立自営という言葉は、戦前の修身の教科書に何度も登場するテーマでした。なぜ何度も登場するかというと、これは、人が生きていく上でとても重要な基本的な教えだからです。

自立自営とはなにか?

一番分かりやすいのは、尋常小学校の低学年で登場する「じぶんのこと」です。ここには、こうあります。
「じぶんのことは、じぶんで、せねばなりません。」

それが、大きくなると難しい言葉になり、ちゃんとその言葉の意味を説明しています。

「自立自営」明治三十七年~高等小学第二学年
人は、成長の後、みな、業をおさめ、家をととのえざるべからず。これ、人たるの努なり。されば、幼きときより、わが力にかなうことは、みずから、これをなすの習慣をつくるべし。幼きときより、かかる習慣をつくりおかば、成長の後も、よく、自立して業をおさめ、家をととのうる人となり得べし。かかる自立自営の民多き国はさかえ、少なき国は衰う。
格言 天ハ、ミズカラ、助クルモノヲ助ク。

また、自立自営の偉人の物語も紹介しています。

「自立自営」明治三十七年~高等小学第一学年
フランクリンは北アメリカの人にして、自立自営の心に富たりき。その家、貧しくして、兄弟多かりしかば、十歳のとき、学校をしりぞき、家業のてだすけをなしたり。されど、学問をこのむ心深く、小使銭をたくわえて、書物を買い、すこしのひまにも、これを読みたり。
十二歳のとき、兄の家に行きて、印刷業の職工となり、よく、働きて、やがて、一人まえの仕事をなすにいたれり。その間にも、暇あれば、書物を読むことを怠らざりき。
十六歳のとき、兄の家をいでしが、生活の費用を倹約し、書物を買い、時を惜みて、これを読みたり。されば、よく、その職業をはげみし間にも、学問をなすことを得たり。
格言 困難ハ最良ノ教師。
 
「自立自営」大正九年~尋常小学校第四学年
近江に高田善右衛門という商人がありました。十七歳の時、自分で働いて家を興そうと思い立ちました。父からわずかの金をもらい、それを元手にして、灯芯と傘を買い入れ、遠いところまで商売に出かけました。
道には険しい山道が多かったので、善右衛門はかさばった荷物を担いで登るのに、たいそう難儀をしましたが、片荷ずつ運び上げて、ようよう山を越えたこともありました。また時々はさびしい野原をも通って、村々を廻って歩き、雨が降っても、風が吹いても、休まずに働いたので、わずかの元手で、多くの利益を得ました。その後呉服類を仕入れて方々に売りに歩きました。いつも正直で、倹約で、商売に勉強しましたから、だんだんと立派な商人になりました。
善右衛門は人に頼らず、一筋の天秤棒を肩にして商売に励みました。
ある時、善右衛門は商売の荷物を持たないで、いつもの宿屋に泊まりました。知り合いの女中が出て来て、「今日はお連れはございませんか。」といいました。善右衛門は不思議に思って、「始終一人で来るのに、お連れとは誰のことですか。」と尋ねましたら、女中が「それは、天秤棒のことでございます。」といいました。
善右衛門は常に自分の子供に教えて、「自分は初めから人に頼らず、自分の力で家を興そうと心がけて、精出して働き、またその間倹約を守り、正直にして無理な利益をむさぼらなかったので、今のような身の上となったのである。」といって聞かせました。
 
昭和九年からの尋常小学校の第四学年では、渋沢栄一版の「自立自営」の話もありました。そして、自立自営の題で紹介はされないけれども、自立自営そのものの生き方をしていたのが、修身の人気者二宮金次郎(尊徳)です。
 
金次郎といえば薪を背負いながら本を読む姿ですが、金次郎が読んでいたといわれる本が儒学の「大学」という本で、そこにあった教え「修身斉家治国平天下(まず自分の身を修めて、家庭を斉(ととの)える。家が斉ってのちに国が治まる。国が治まって天下は平らかとなる)」を実践したのが、金次郎の生涯です。そしてこの「自分の身を修める」これこそが自立自営の精神です。
 
簡単に言えば、金次郎が幼い時家は没落し、13歳で父が亡くなり家族が離散してしまいます。しかし、仕事と勉学に励み、家を建て直し家族と再び一緒になり、その後国(小田原)を立て直し、その後天下(日本)まで立て直す生涯をおくるのです。
 
「修身斉家治国平天下」にあてはめるとこうです。
 
自分の身を治める・・・これは何事においても基本です。わかりやすく言えば、自立自営です。修身の教科書では自立自営について繰り返し教えられました。もっと簡単にいえば「自分のことは自分でする」ということ。基本中の基本です、これは。この基本があれば例えば人を支援する場合も、必ずその人が独立できるように支援する方法を考えます。ところがこの教えがないとただただ人を助け、助けられる人の自立心を奪うことにもなりかねません。自立自営の教えは、自分だけでなく周りの人々のためにもなる教えなのです。金次郎は学問を修め、仕事に励みました。
 
家庭をととのえる・・・どんな人にも家庭がありますが、この家庭がととのっていなければ必ずその人にも影響が起きます。家庭をととのえるというのもやはり何事においても基本となることなのです。金次郎は離散した兄弟を、仕事に励んだ後に呼び戻すことができました。
 
国が治まる・・・どんな人も家も必ず集合体の中に含まれています。その集合体である国が治まっていなければ、一生懸命に生きたとしても必ず影響が起きます。ですから国がちゃんと治まっているということは平安な暮らしをするには不可欠です。小田原藩に奉公していた金次郎は家老の服部家や、小田原藩主の分家の再興を行い成功させていきます。そしてついには小田原の飢饉の再興も行います。いわゆる当時の国を治めたことになります。
 
天下が治まる・・・国が治まっていればその国の器である天下も平安であるということです。金次郎は次々に再興を遂げたため、後に幕府にも召し抱えられ日光山領の仕法を命じられるまでになります。また、弟子たちが各地で再興を行うようにもなりました。

こうしたことを知ると日本の教育機関の「大学」の命名も、ここから来たのではないかと思います。
 
これは、とても大切なことで、この言葉があったからこそ、戦時中の日本は大陸に行っても、台湾に行っても、またアジアの国々へ行っても、現地の人達が自立自営できるように教えられることは教えるということが当たり前にできたのだと思います。(これ植民地政策を行っている欧米等では行っていないことでした。これだけでも日本が植民地政策してないのがわかります。そしてこうした国々は第二次世界大戦後次々に独立していきました。)
 
こうした修身の教えを受けた終戦までに小学校に行った人達が、戦後の復興を吸引した人達になりました。戦後こうしたことは教育現場で以前のようには教えられなくなりましたが、こうしたことは伝えられました。なんといっても、古来から災害の多い国でしたから、何が起きても人々が自立自営の精神で、自ら動くことができなければ、復興も速やかに出来ないからです。
 
ただ、教育で行われないと伝わらないところも増えていきます。

東日本大震災の後、どこかの市長だったかが避難所に行って愕然とした話がありました。ボランティアの人々が上げ膳据え膳で、被災者の食事の世話をしていて、被災するまで家で家事をしていたようなお年寄りたちが、やることもなくぼ~としていたというのです。これはまずい(ボケてしまう!)と、即それを止めさせたといいます。

自立自営の考えが行き渡っていれば、ボランティアの方々もその自立自営を邪魔しない活動ができたはずでした。

人は自立の機会が奪われ、保護される時期が長ければ長いほど、自ら自立する意欲・意識が減るようで、難民キャンプ等でもそう言う問題があります。
 
それから「自立自営の民多き国はさかえ、少なき国は衰う」の少なき国とは、バラマキ政策に騙されるなということでもあります。再度書きますが、自立自営のため人を助けるなというわけではありません。例えば現在のような非常時は、助けがなければ生活を維持するのが大変な時です。自立自営と助けや協力は共存するものです。だからこそ、この非常時が終わった時に人々のやる気がなくなってしまわないように考えていかなければならないのではないかと、この長い緊急事態の生活の中で憂いています。
 
 
参照:明治・大正・昭和 親子で読みたい精撰尋常小学校修身書、小学館文庫
国民の修身 高学年用、産経新聞出版
 
 

復刻版修身の教科書が出ましたが、ここにもきっと自立自営が書かれているはずです↓

 

困難な時代に人々を励まし一つにしてくれる言祝ぎの歌、君が代にワンフレーズついて最強の言霊歌に。